第34話 手詰まり
房に戻って五時間ほどが経過した。
刑務所内は活気を失い、代わりに囚人の寝息が辺りに響いていた。
さあ、行くとするか……
僕はおもむろにベッドから起き上がる。
疲労感からくる体の倦怠感に耐えながら、周囲に気を付けると換気口に入った。そしてトランシーバーを届けた時と同じ道を選びながら女子棟を目指した。
「あんた、随分な登場の仕方よね」
「普通に来ただけなんだけど」
トイレから出ると、鳴宮が仁王立ちで出迎える。
「お前こそ随分な出迎えだな」
「懲罰房男はこれで十分よ」
「お前な……」
僕は呆れてものが言えなくなってしまった。このまま帰ってやろうかとも思ったが、無駄足になるから用件だけ済ませて帰ることにした。
「それで、お目当ての品と言うのは?」
「ちょっと待ってて、今持ってくる」
言って、彼女のクローゼットから碧のペンダントを取り出し、僕の元に運んできた。
「これが例のブツ?」
「言い方……! まあ、そうよ」
「じゃあ、ありがたく頂戴するよ。とりあえず、行ってくるから、この紙の意味を考えといてくれる?」
「ええ、さっきトランシーバーで話した時に言ってたやつよね」
「そう。僕じゃ皆目見当もつかないから、分かったら教えてくれると嬉しい」
「分かったわ。じゃあ、行ってらっしゃい」
僕は鳴宮に見送られながら再びダストボックスへ戻った。
因みに他の二人は、布団で幼稚園児のように穏やかな寝顔を披露していた。
そして一度自分の房へ踵を返し、目的地へ向かうことにした。
「久しぶりですね。遅くなって申し訳ない」
「いいえ。それより懲罰房へ連行されたと聞きましたが大丈夫でしたか?」
高青年の彼は僕への心配と労いの言葉をかけた。
軽蔑の眼差しでも嘲笑の言葉でもなく、暖かな雰囲気だった。
「これがお探しのペンダントですか?」
僕は早速ペンダントを渡す。
「いや、これ私のじゃないですね……」
「嘘っ……⁉」
僕は信じられないような気分で掠れ声を出した。
「私のは、金色のチェーンに白くて丸い金と銀の線が入った石が付いたペンダントです」
「なるほど――――もうちょっと探してみますね」
「ええ、もうそんな、申し訳ないので大丈夫ですよ」
「良いんです。乗り掛かった舟なので」
僕が言うと、お兄さんは申し訳なさそうに頷いた。
「そういう事ならお願いします。でもあまり無理はなさらないでください。懲罰房に入った人は警戒度が高くなってると思うので」
「そうですね。ご忠告感謝します」
言って会釈すると、一度自身の房に戻りペンダントをクローゼットに隠した。
さてと、本格的にやることが無くなってきたな。
残りは職員棟だが、如何せん鍵が無い。しかも監視カメラも厄介な場所らしいから、手間取りそうだ。
でも、内村さんの時と同じ手を使えば、行けるかもしれないな。
僕は決心をして立ち上がると、いま一度ダクトに入った。
職員棟は看守塔の横、男子棟の対角線上に位置している。男子棟から、女子棟を経由して、作業棟を通り抜けた先にあるため、難易度が高く、幾度と行けるような場所ではない。
しかし、鳴宮の捜索でも手掛かりは見つかっておらず、リスクを冒す他情報が無いのも現実だ。
だからこそ、行動が必要にもなってきた。
僕は男子棟一階のダクトを通り、木々の間を抜け、女子棟一階のトイレ上ダクトから作業棟へ入っていく。一度経験済みもあって、スムーズに進むことが出来た。
問題は作業棟。
一度建物の隅に姿を隠し、監視カメラの死角に隠れた。
作業棟は囚人の出入りが激しいため、監視カメラが多い。しかも看守服時にもすれ違った通り、見回りの看守もいる。一度ダクトに入れさえすれば何てことない障害だが、それまでが大変だ。
辺りを見渡し、人の気配を確認する。ちょうど見回りの看守が反対側の出入り口から去っていくタイミングだった。
そして監視カメラの視界も注意する。出入口周辺を数十秒おきに右側・左側と視界が変わっていて、僕はベストタイミングを見計らっていた。
出入口頭上のカメラが左を向く。
僕は今のウチだと決心し、勢いに任せて作業棟に入った。
そこに人はいない。さびれた機械音だけで、人の気配を感じなかった。
よし、ようやく一段階進んだな。
次は――――そこのトイレに入って、同じくダクトに入ればいいか
僕は出入口入ってすぐの男子トイレに入る。
内装は他のトイレと遜色ないが、便器の数が多いように感じた。
僕は三つある大便器、その最奥にあるダクトに上った。
安堵感が全身を包むこむ。
僕は、一度冷静になって目標を思い出した。
まずは手掛かりを見つけよう。
何が何でも、鳴宮達に報告できるような何かが欲しい。
僕は決心を高ぶらせた。
一直線に伸びるダクトを進み、再び女子トイレから顔を覗かせた。
やはり女子トイレに入る罪悪感は無くならず、必要な手立てだとしても、どこか抵抗感があった。
僕はモヤモヤ感を抱えながら、女子トイレの窓から職員棟の真横に出た。草むらで、背が膝まで伸びる植物たちが、僕という存在の痕跡を残す。
足を動かすと草と足が擦れる音が立ってしまう。だから早くこの場を去りたい気持ちが大きいが、監視カメラや看守が多く、身動きが取れない状況だった。
その中で、職員棟から職員の声が聞こえてきた。どうやらこっちに近づいてきている。僕は職員棟の壁に寄りかかって、職員の死角となるように息をひそめた。
「おい、聞いたか。中島派が内村派を全員解雇するらいしぞ」
「ああ、聞いたよ。なんでも囚人に甘すぎで統率が取れていないらしいな」
「でも、中島派だって同じだろ。厳しすぎで囚人からの反発が多いみたいじゃないか」
「だな。あーあ、内村さんが看守長の頃は良かったのに、中島がなったせいで、給料も下がったし、囚人も手が付けられないし」
「分かるよ。しかも、脱獄を企てる囚人も増えてるって噂だぜ?」
「そりゃそうだ。脱獄未遂は、刑務所が変わる。それを狙っての事だろ」
「本当、迷惑極まりないよな……」
「ああ、こっちの労力も考えて欲しいもんだよ……」
看守二人は愚痴を言いながら作業棟に向かっていく。どうやら話に夢中で、僕の存在に気づいていないらしい。
今日は運が良いな。
でも、僕何かしたっけな……?
ま、いっか。とりあえず目的コンプリート目指して頑張ろうか。
僕は幾度目のダクト侵入を完了させて、やはり直線的な空間を進んでいく。
一部屋ずつ確認していくが、中々手掛かりになりそうなものはない。
職員室や看守室、監視カメラ制御室に鍵保管庫など様々な部屋を見て回ったが、職員がいて侵入できなかった。
二階建ての職員棟は、一階が事務的な場所、二階が看守長の部屋や重要な保管庫が存在する。
しかし入ろうにも職員棟はレベル3のカードキーが必要だから、入ると扉から出入りは不可能で、ダクトに戻ろうとも人がいれば叶わない。だから、人がいない隙を狙いたいが、重要施設だけあって人の出入りが激しく、また人の滞在時間も長い。
僕は二階のダクトまですべて見回って、諦めを確信した。
そのまま作業棟に戻ろうと、迅速に進む。
しかし、アクシデントというのが起きてしまうのが人生だ。
「おい、そこにいるのは誰だ?」
どうやらダクト内の進行音が聞こえてしまったらしく、職員室に残る看守にバレてしまった。
「今なら騒ぎにしないから出てきなさい。それとも入り口の非常用ボタンを押して大騒ぎにでもするか?」
男の職員は強気に言った。
ここまで言われたら逃げるに逃げれない。どうやら確信を持っている様子だし、バレるのも時間の問題だ。
「出ますよ。でも、なんで分かったんですか?」
僕はダクトを出て言う。
「静かな部屋に、ガタゴト音が聞こえたら、そりゃバレるだろ」
「そんなはっきり聞こえました?」
「まあ、パソコンで作業してた俺がイライラするくらいにな」
看守はため息交じりに言った。
続けて看守らしく、僕を追い詰めていく。
「それで、お前はこの状況をどう弁明する?」
「弁明の余地は無いですよ」
「案外素直だな」
「何を言っても事実は変わりませんし、下手に騒ぎを立てて人を呼ばれても面倒ですし」
僕は冷静だった。
囚人が侵入禁止区域にいて、しかも脱獄に危険性を孕んだ状態。
僕が今後下される処分に恐れをなす可能性も大いにあっただろう。
しかし、諦めてダクトを下りた瞬間に覚悟を決めて看守の前に現れた。
「なるほど――――だから内村さんが賭けたのね」
看守は腑に落ちたように囁いた。
「俺も一目見たかったんだよ。内村さんがジョーカーに選んだピースをね」
「僕、平凡な囚人なんで――――――恥ずかしい事言わないでくれます?」
「なんでだよ! ジョーカーとかカッコいいだろ!?」
「そういう問題じゃないんですよね……」
僕は、目を輝かせながら天然ボケを披露した看守に呆れていた。
「なんにせよ、内村さんの復讐に手を貸してくれるなら俺らも大歓迎さ」
まただ。
内村派の看守は『復讐』をしきりに使う。
「何で復讐なんですか?」
「俺もよくは知らんが、看守を理不尽で下ろされた復讐なんじゃないか」
確かに筋は通っているが……
どうにも復讐するような人には見えないんだよな。
「まあ、ここに来たことは黙っておくから早くダクトから帰ってくれ。それとだね、一つ頼みがあるんだ」
僕は、困惑を隠せないのだった。
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