第23話 病室

遡ること二週間前。

しずくがまだ病院の中にいた頃、僕らが昼食を取り終えて病室に戻るとすでに目を覚まして暇を持て余していたしずくがいた。



「皆遅いよぉ~。暇すぎて叫ぶとこだったよぉ~」



「なんで暇だったら叫ぶんだよ……」



「えっ? なんとなく?」



「そんな理由で周りに迷惑になるようなことするなって」



はぁ……

何かしずくのために怒った僕が馬鹿みたいだな。もうちょっと普通に待っていてくれ。



「ちょっとトイレ行ってくるな」



僕は席を外した。トイレに行くために外に出たのにもかかわらず、外に出ていた時間が長すぎてまた尿意が催してしまったのだ。



「なあ、あいつがあそこで何やってたか知ってるか?」



「そんなの知るわけないでしょ。私たちが下りてきた時にはもう終わってたんだから」



「ああ、確かにそうか」



「えっ、ハルくんが何かしたの?」



奏真はしずくの返答に対して得意げな様子で、僕がキレていた場面の一部始終を自分の事のように語った。

ただ話す内容は選びながら慎重に言葉を紡いだらしい。



「そいつ、最低ね」



「ああ、そうだろ。それで好春がキレた訳よ!」 



「そこは少しだけ見たけど、あれは見ものだったわね」



「そうなんだよ! あいつカッコいいんだよぉ!!」



奏真はテンションが上がっているようでトーンがどんどん上がっていった。



「——あんたここが病室って忘れてない?」



「あっ、ごめん月待ちゃん」



「紫音ちゃん、別に私はいいよぉ~。さっきまで寂しかったしさ」



しずくは笑いながらそう言った。



「柚月ちゃん、水ちょうだい」



「オッケー! 持ってくるねー!」



遊馬はそう言うと勢いよく外に飛び出した。



「なあ、月待ちゃんって水怖くないの?」



「えっ? なんで?」

 


「海で溺れたからでしょ? それがトラウマで水が怖くなる人も少なくないのよね」



鳴宮はそう淡々と言った。

奏真が言いたかったのはことも同じだったらしく、激しく同意をしているようだった。



「そう、だから月待ちゃんは大丈夫なのかなってよ」



しずくは奏真と鳴宮の言葉にきょとんとした様子で答えた。



「別に何もないんだよね~。水を見ても何も思わないし」



奏真も鳴宮も、このしずくの言葉に声を失ったようだった。

二人には予想外すぎた答えだったのだろう。次の答えを用意していなかったらしい。



「まあ、強いて言えばサウナの後の水風呂って気持ちいいな~、くらいだね」



「——これなら問題ないわね」 



「——ああ。こんな事言えんなら平気だな」



そうやって二人があきれ顔を披露していると遊馬が帰ってきた。

遊馬は買ってきたペットボトルをしずくに渡して、しずくはお金を遊馬に渡した。

そしてしずくは砂漠から帰ってきた旅人のように勢いよく水を飲んだ。



「しずく、よく飲むわね」

 


「喉乾いてたからね~」



しずくはそう幸せそうに言った。



「しずくってさ、怖いもの無いの?」



唐突に鳴宮がそう問うた。



「ん~、ないかな。何とかなるでしょって思っちゃうんだよね~」



「ふーん……それは来栖がいる時といない時で変わるものなのかしら」 



「どうしたの紫音ちゃん。珍しいね、そんな質問してくるなんて」



その空間にはもう二人しかいないようだった。

遊馬は二人の会話が空中戦過ぎて追いつけていないようで、奏真は空気を読んであえて黙っているようだった。



「だって気になるのよ。しずくがそこまであの男を特別扱いしてるのが」



鳴宮がそう言うと、しずくの頭の上にハテナマークが浮かんでいるように見えた。



「えっ、私そんなことしてたっけ?」



「——あの、月待さん? それは無理ありますって」



「——しずく、ボケてたら怒るよ?」



奏真は堪らずに間に入り、しずくにツッコむように言った。

また鳴宮もしずくの中途半端なボケに対して、キレ気味の返答をした。

それに対してしずくは、困ったように。



「ごめん二人とも。なんか雰囲気が悪いと息が詰まるかなって思ったんだよ~」



しずくがそう言った後、少し間を置いた後に再び言葉を紡ぎ始めた。

 


「そりゃ特別に決まってるよ。だって私のすべてを理解して、受け入れてくれてるんだもん」



「それは私たちとは違うの?」



「それは違うよ。だって過ごしてきた時間が違うもん」



しずくは穏やかな表情でそう言った。

しかし鳴宮には少し悔しそうな表情が浮き出ていた。



「でもさ、紫音ちゃんとゆずきちゃん、ハルくんとじゃ全く違うけど、必要不可欠な三人なのは間違いないんだよ。ハルくんは小学校に上がる前からの付き合いでさ、私の人生の全てを知ってる。でも二人はさ、中学で初めて会ったけど、その時からずっと私の味方でいてくれたでしょ。それが大きいんだよ~」

 


「でも、それは来栖も味方でいてくれるでしょ? 今日だってキレるくらいだし」



「うん。でもさ、いつも近くにいるわけじゃないし、ずっと話すこともない。女子だから相談しやすいこともたくさんあるもん。」

 


「確かにそうね。逆に来栖にしか相談できないこともある、か……」



そこで鳴宮はどこか腑に落ちたように呟いた。

そして不意に時計を見ると、何かを思い出したようで。



「ごめんしずく! 私この後用事あるんだった」

 


「そっか~、気を付けてね。たくさん話せてうれしかったよ」



「うん、私もよ。なんかすっきりしたわ」



そのまま鳴宮は病室を後にした。それに追随するように遊馬と奏真も帰路に着いた。



「なあ鳴宮、なんで笑ってんだよ」



病室を後にした鳴宮の顔には笑みがこぼれていた。 



「いや、しずくって恵まれてるなって思ったのよ」



「——恵まれてる?」



「だって、しずくがトラウマにならなかったのは、来栖がいたからよ?」



「へー、その心は?」



「あなたが、女心を理解出来たら分かるわよ」



「おい、俺が女心分からないっていうのか!」



「分からないでしょ。だって彼女いたことあるのかしら」



「ないです……」



奏真のトーンが一気に落ちた瞬間だった。

痛いところを突かれた結果なのだろう。



「なら、もっと学びなさいよ。私があなたを素敵と思うくらいにね」

 


鳴宮はそう煽り口調で言った。

 


「言ったな。お前見とけよ? 俺がモテモテになる瞬間をよ!」



「ええ。期待せずに待ってるわよ」



「ねえ、しーちゃん」



「うん? どうしたの?」



「——ずっと何の話してるの?」



遊馬はずっとポカンとしていたようで、全くついてきていなかったようだ。



「あんた、良く同じ空間にいれたわね……」



「なんか凄い話してるなー、くらいでボケっと見てたんだよねー」



そう真顔で言う遊馬がおかしくなった二人は、吹き出してしまって雰囲気が一気に和んだことは間違いがなかった。








そんな話の一部始終をしずくから聞いて、海を眺めながら恥ずかしい気分になっていた。



「本当に海怖くないんだな」



「うん。前と全く変わってないんだよね~」



そんなしずくの表情を見ていて、そこには嘘偽りがないのがすぐに分かった。

僕には少し引っかかる部分があった。

おそらく病室で語った話に嘘はなかった。でもそれだけでは語り切れない部分がある。だからすぐに答えを出すことができなかったのだ。

 


夕焼けを眺めながら僕らはどうでもいい話をひたすらしていた。その中でふと疑問に思ったことがあった。



「なあ、しずく」



「うん? どうしたの?」



「帰りってどうなるんだ?」



ここは敷地内だから公共施設があるわけでもないし、タクシーが通るわけでもない。しかもここまで徒歩で三時間以上かけてやってきた。

徒歩で往復なんて帰ってから使い物にならなくなるぞ?

しかも日が落ちてから山に入るのは自殺行為だから避けたほうがいいよな。



「えっ、分からないよ」

 


「僕もなんだよね……」



「もしかして、私たち……」



しずくがそう言うと僕らは目を見合して。



「——帰れなくなってる!?」 



そう声がハモリながら言った。



「——そんなボケてる場合じゃないな」



「そうだね~」



あっ出た。何とかなると思ってるしずくが出てるわ。

 


「ここ圏外じゃないんだよな」



「うん。紫音ちゃんに電話してみる?」



「お願いできるか?」



「いいよぉ~」 



そう言ってしずくは鳴宮に電話をかけ、三十分後に迎えが来てくれるという話に落ち着いた。

その言葉通りに三十分のんびり砂浜で待っていると鳴宮の大声が、道路の方向から聞こえてきた。

そして、僕らはそれを聞いて笑い合ったのだった。





















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