第51話 最後の涙
両国に向かう電車の中で、甘神はいつもとは違う表情を見せた。
それは不安、緊張と言った凡人が浮かべるような生半可な表情ではない。
それは覚悟。
彼女は自分の人生の全てに決着をつけるために今、電車に乗っている。
倉皇する俺とは反対に、実に逞しい甘神の姿。
どっちが漢だかわかんねえよ。
小豆と何年ぶりに会うのか知らないが、出会って早々殴り合いの喧嘩を始めないのか心配になる。
もしおっ始めたら、俺がサンドバッグになれば。(止めるという選択肢は無い)
「小豆の顔、ネットに載ってたりすんのかな?」
「どうかしら」
「デビューしたてのアイドルなんだから顔写真くらいあると思うが」
俺がスマホで調べようとしたら甘神が自分の掌をスマホの画面にそっと置いた。
「な、なんだよ」
「……なんでも」
なんで止めさせたのかわからないが、俺はスマホをポケットに戻した。
「ひとつだけ、約束して」
「約束って?」
「……頭の片隅でもいいから、どれだけ小豆に惹かれても……私のことを忘れないで」
「…………ぷっ」
「なぜそこで笑うのかしら」
「自信家の甘神知神がいつになく心配性だから、つい」
「あなたが色々とだらしないから! 私が心配してるのはそういうことであって!」
甘神が頬を膨らませてるのを見て、俺は少し安心した。
「さ、そろそろ両国だ」
「そう、ね」
「それにしてもなんで小豆は両国なんかに」
「……ライブのゲネリハが夜にあるみたい。ニューイヤーライブをやるそうだから」
「デビューしたばかりのアイドルが国技館でライブとか……色々と凄いな」
「国民的アイドルを何人も輩出して、バックに笹波カンパニーがいる笹波グループだから、何をやってもおかしくないんじゃないかしら」
もう無茶苦茶だな。
俺と甘神は荷物を持って両国の駅で下車した。
改札を通ってすぐに飲み屋街が連なっており、大晦日ということもあり人通りが激しかった。
俺たちははぐれないよう気をつけながら、とりあえず隅田川の開けた道までやってきた。
指定されたホテルに到着すると、部屋の前まで来る。
「準備はいいかしら」
「……おう」
甘神が部屋のドアベルを鳴らすと、すぐにドアが開いた。
「…………っ」
神原小豆。
あの夏以来、もう会うことは無いと思った彼女の成長した姿に俺は言葉を失った。
「久しぶり、お姉ちゃん。それと……」
大きくて丸い目、活発そうな声、トレードマークの口元のほくろ。
間違いない、彼女が。
「久しぶりだね、天野くん……」
✳︎✳︎
初めて小豆に会った日のこと。
結月を家に送り届けた時に、小豆は玄関先で結月を待っていた。
「こ、こんばんは」
俺はこの時、朧げな月明かりの下で三角座りしながら待つその少女に心を奪われた。
結月と瓜二つの容姿なのに、全く違うオーラ。
人を惹きつけ視線を奪う、魔法をかけられたように、俺は一瞬で恋に落ちた。
「おねーちゃん!」
俺は背中の結月を揺すって起こす。
「田んぼで見つけて。ここに家族がいるって言ったから」
「良かったー。ありがとうございます!」
「べ、別に大したことじゃ」
「あの、お名前教えてもらえますか? 今度おかーさんと挨拶に伺うので住所も」
しっかりしてるなぁ、って思った。
無愛想な結月とは違って愛嬌があって、結月は綺麗だけど、この子は可愛らしくて。
「天野、です。住所はここから下に降りたところの角に天野って表札あるんで」
「天野くん、ね。ご迷惑をおかけしました!」
「あの……き、君の名前は?」
「小豆。神原小豆ですっ」
——それから1週間、俺と結月と小豆は毎日遊んだ。
楽しかった。色んな思い出を作った。
でも、楽しかったからこそ、終わりの時はすぐに来た。
別れ際、来年の夏も会う約束をした。……が、その約束が果たされることは無かった。
次の年の夏休み、心を躍らせて労働しに来た俺を待っていたのは閑散とした空き家だった。
小豆と結月の親戚の家は、空き家になり、もちろん二人が来ることは無かった。
だからこそ、もう二度と会えないと思った。
せめて住所を聞いておけば良かったと強く後悔をした。
そんな後悔も日に日に薄れて、恋心も次第に消えていった。
そして今————
「久しぶり天野くん。大きくなったね」
「……お、おう」
一つだけ、思ったことがある。
今の小豆はあの頃の小豆じゃない。
甘神のような唯一無二の美しさとは反対に、今の小豆はどこにでもいる可愛い子。まさに量産型のアイドル顔。
特徴は変わってなくても、そこに特出したものがなくなっていたのだ。
失礼かもしれないが、甘神と似ていても天と地ほどの差があるようにも思える。
か、変わっちまったな、何もかも。
「ほらお姉ちゃんも、入って入って」
部屋に案内されると、丸いテーブルを挟んで俺と甘神がソファに座り、その向かいにある小さな椅子には小豆が座った。
甘神は全く口を開かずに小豆をジッと見つめる。
「あの、まずは、その、お姉ちゃん。色々、ごめんなさい」
俺は甘神にアイコンタクトで「何とか言ったらどうだと」目で訴えるが、甘神はすぐに目を逸らした。
「あのね、どうしようも無かったの。夜遅くにお父さんとお母さんから口を塞がれて、急に起こされて……何がなんだかわかんなくて。何度も後悔したって言うか……で、でもね、私嬉しいよ! またお姉ちゃんと再会できて……とにかく、ごめんね」
小豆はその後も、甘神が口を開くまで同じような言い訳じみたことを何度も繰り返した。
他人である俺からしたらこの2人の親ってのがどれだけ無責任なのか、嫌と言うほど伝わってきた。
しばらくして、謝罪を聞き飽きたのか、甘神がペットボトルの水を口にしてから、小豆を睨みつける。
「これまでの全てはあなたが謝ることではないのだけれど……でも、あなたも私を置いていって、何年経ってもその事実を見て見ぬふりをした。家族揃って私が死んだとでも思ったのかしら?」
冷静ながらも、甘神が憤怒していることは語気でわかった。
それくらい今の甘神は俺にも止められないくらいの空気を作り出す。
「あなたの中に罪悪の感情があったなら、普通手紙の一つでも寄越すわよね」
「……」
小豆は完全に言葉を失っていた。
小豆は久しぶりの姉妹の再会で姉である甘神が優しく慈愛の満ちた顔で抱擁をしてくれるとでも思っていたのだろうか。
そんなわけないだろ、と俺は思っていたが、彼女の明るい性格からして、その考えに至るのは難しいかもしれない。
「私をあの村に置いて、一人で何もできるわけないじゃない! その後私がどうやって生きたかわかる?」
「……ご、めんなさい」
甘神が手を出そうとしたその時、俺は反射的に彼女の手を掴んでいた。
「待て」
甘神を制しながら、俺は彼女の瞳に訴えかける。
「殴って、お前の過去が癒えるのか」
「……っでも、私は両親に殺されるよりも辛い苦行を強いられた。許せるわけ!」
「甘神の苦しみも、怒る原因も、全部小豆を含めた3人の家族に原因があるのは分かる。でも、その全てを小豆にぶつけるのは違うぞ」
「あなたは、小豆が好きだったからそうやって庇って!」
「違う! 本当に辛い感情、重たい感情は他人にぶつけても、次の悲しみを連鎖させるだけだ。もし、ここで話すことがあるとしたら、未来の話だろ」
「未来……?」
俺は甘神の手を離して小豆の前に立つ。
「なぁ小豆、こうやって話すのはすっげー久しぶりだな」
「う、うん」
「でもな——これが最後だ」
「え」
俺は再び甘神の手を握る。
「もう金輪際、結月……いや、甘神には関わらないでくれ。頼む」
「……え、え?」
「お前だけじゃない、お前の両親も含めて甘神を裏切ったやつら全員だ」
甘神の手が震えている。
抑えきれない怒りと、それをどこにぶつけるべきなのか分からない焦り。
気持ちは分かる。
きっと甘神は今にも両親、そして小豆のことを殺したいくらいに憎んでいるはずだ。
仮にそんなことをしても、また甘神自身が不幸せになるだけだ。
「甘神も感情的になるな。本当に賢いお前なら、この先どうやって生きるのが1番の仕返しになるか分かるだろ。ここでお前が手を出したら、またお前が苦労するだけだ」
「……っ」
甘神は唇を噛み締める。
「私は、あなたたちを許さない。どれだけ賢くなって、どれだけ大人になっても、やはりあなたたち家族は許せないし、憎悪はそんな簡単に拭えない」
「……そう、だよね。ごめん、本当にごめんね、お姉ちゃん」
なんでこの姉妹がこんな関係になってしまったのか。
なんで同じ日に生まれて血を分けた二人の間に憎しみが生まれたのか。
あの夏の1週間、一緒に遊んだ俺たちの写真が破れていく。
「……帰ろう、甘神」
俺は甘神の手を握り、2人で部屋から出た。
甘神の顔を覗き込むと、瞳から大粒の涙が溢れていた。
「これから、幸せになればいい。そうだろ? 甘神」
甘神は涙を拭って頷いた。
エレベーターで1階に降りてホテルから出ると、俺たちはタクシーに乗ってホテルを後にした。
タクシーの中でも甘神の手は震えていた。
「大丈夫か、甘神」
「皮肉なものね、憎しみが込み上げて来るはずなのに、やけにスッキリしているの」
「……そうか」
「……天野くん。あなたは……あなただけは、ずっと隣にいてくれる?」
「あぁ。ずっと、いる」
俺は間髪入れず答えていた。
「泣いていい、愚痴ってもいい。俺はいくらでも付き合ってやる。だから、これからは溜め込まないでくれ」
「……っ」
そこから東京駅に着くまで、甘神は俺の胸の中で思いっきり泣いていた。
運転手も空気を察して何も話しかけることなく、送り届けてくれた。
人は誰だって弱い。だからこそ、誰かと寄り添いあって生きていく。
これから俺は、甘神にとってそんな存在でありたいと思った。
「……さ、甘神。東京駅に着いたぞ」
俺は甘神の涙をハンカチで拭いながら、運ちゃんに代金を払った。
「落ち着くまで車内にいてもええよ」
「あ、ありがとうございます」
甘神って泣き出すと止まらないタイプなのか。
「もう大丈夫よ。運転手さん、ご迷惑をおかけしました」
「嬢ちゃん、溜まったもんは出す。人間は排泄をする生き物なんだから誰だって当たり前のことなんだ。それを怠ったらいけんよ」
「は、はぁ」
どんな例えだよ。
いい感じの運ちゃんかと思ったのに、余計なことを。
トランクの荷物を持って、俺たちは混雑している人の波に割って入りながら東京駅の新幹線のホームを目指した。
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