第47話 回顧する物語
甘神は羽織ったコートの前ボタンを留めながら、白い息を漏らして雪雲を見上げた。
俺たちは海沿いの柵に背中を預け、繋いだその手を離して傘をさす。
「どこから話をしたらいいかしら」
「ありのまま、ざっくばらんに話してくれ」
「……そうね」
この1ヶ月、甘神知神の隣にいたが、俺には彼女を惑わすその靄を晴らすことは出来なかった。
それくらい彼女には深い傷がある。
……そんなことは分かってたけど、まさかこのタイミングで触れることになるとは。
「私が一人暮らしをしている理由、何だと思う?」
「……引っ越してきたからじゃ?」
「違う」
甘神が傘を回しながら空を見上げる。
「捨てられたの」
「捨て……?」
「幼い頃、家族が私だけを置いて東京に夜逃げした」
甘神の口から溢れるワードの一つ一つが鉛のように重たい。
夜逃げって。
「家族が都会に引っ越すことを決めていたらしいの。村のしきたりに嫌気がさしたとかで」
「だとしてもなんで甘神だけ置いて」
「昔から無愛想で、口数の少ない私は親にさえ嫌われていた。それに私には……」
「?」
「私には……双子の妹がいたの」
「妹って……まさか、さっきの小豆って名前のアイドルは」
「そう。私の妹……だと思うわ」
自分に似てる、それに心当たりがある名前だったから過剰に反応していたのか。
「妹は私とは違って愛くるしい性格だった。まさに、村のアイドルだった……」
甘神と同じ容姿で、明るい性格。人当たりも良いのなら非の打ち所がなさすぎるだろ。
芸能の世界で成功が約束されているようなものだ。
「親は私を置いて小豆だけ連れて東京に行ったそうよ」
「なん……で、そんなことが出来るんだよ! 自分の大切な子供なのに」
「それは私が知りたいわ。でも世の中、綺麗な親ばかりじゃないの。私利私欲に塗れた人間が親になれば子供だってモノにしか見なくなる」
胃酸が上がってくるくらいの憤りを覚える。
何より、甘神のその諦めような顔を見るのが辛くして仕方ない。
「これは祖母から聞いたことだけど、小豆はその後あの毒親の"モノ"になったそうよ。子役になるため学校に通わされてたみたいだし」
「なんでお前のばあちゃんがそんなこと」
「……そうね、この際"あのこと"も説明しないといけないかしら」
「あのこと?」
「私の母は家を勘当されて父の故郷に嫁いだのだけど、旧姓は甘神。つまり私の今の性は母方の性で、祖母っていうのは現甘神家の当主。そこそこの家柄だから使用人もいるし、それに遣わせて東京に夜逃げした母たちを調べたそうよ」
滅多に聞かねえ苗字だからそれなりの家柄だとは思っていたが、使用人がいるくらいなのかよ。
「ま、待て。それじゃあ甘神の前の苗字は何なんだよ」
「……神原よ」
か、神原……?
「つまりお前の妹ってやつは……神原……小豆? なのか」
「そうよ」
その時フラッシュバックした、見覚えのある童顔。
「え……嘘、だろ」
神原小豆——俺はその名前を知っている。
でもまさか、そんな偶然が……あるはずが。
「変なことを、訊ねるが」
「何かしら」
「お前の妹ってやつは、口元に特徴的なほくろがあって、やけに垂れ目で、それで」
「はぁ……。流石の天野くんでも、名前を聞いてしまったら分かるのね」
甘神は俺のおでこにデコピンして、物悲しそうな笑顔で呟く。
「そりゃ、神原小豆……彼女は」
甘神知神の顔を見ても、声を聞いても、全く気づかなかった。
俺は自分がどれだけ鈍感なバカなのか実感した。
「あなたの初恋の相手よ」
そうだ。やはり俺は神原小豆と過去に会っている。
俺は記憶の渦の中に放り込まれた。
あれはずっと前のこと。
正確には小学校低学年くらいの頃だ。
夏休みに祖父の家を手伝いに行くのは毎年恒例になっているが、それを始めた最初の年に出会った、彼女の話。
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