第46話 小豆とは?

 

「鈴木ちん、同人本の方は完売したよー」

「写真集も今完売したわ」

「ほんと? みんなありがとねー」


 写真集と同人本が過去作も含めて全て完売し、客足も次第に減っていった。


「ボクはファンの子たちと話してるから、3人とも休憩入っていいよー」


 鈴木に言われて俺たちは会場を見て回ることにした。


「じゃ、適当に見て回るか?」


 二人の方を振り返ると、神乃さんと甘神が何か小声で会話していた。


「何話してるんだよ」

「え? あーっ、えっとね」


 神乃さんが罰の悪そうな顔で話し続ける。


「妹ちんのお遣いしないとだね?」

「そりゃ、そうなんだが」

「……ね、あーしが妹ちんのお遣いしてくるから、あまちんとちかみんは2人で回ってきなよ」

「え? でも悪いし」


 すると神乃さんが今度は俺に小声で耳打ちしてくる。


「ちかみんを連れてBL本はまずいっしょ」

「……た、確かに」

「あーしがソッコーで買ってくるから、終わったら合流ってことで」

「いいの? 神乃さん」

「その代わり、お礼はしっかり貰うから」

「だ、だよな」


 神乃さんが俺の手の中にある妹のお遣いメモを手に取る。


「じゃ、行ってくるー」


 神乃さんにはフォローされてばっかで申し訳ない。


「偶然にもまた2人になってしまったわね」

「偶然かどうかも怪しいが……」


 甘神はコスプレ状態でも人の目を集めている。

 勝手にカメラを向ける輩もいるくらいだ。

 慣れってのは怖いもので、甘神は動じていない。


「なるべく人が少ないところがいいんだが……」


 俺の右手が突然掴まれる。

 この艶めかしい手は……。


「人が、多いから……」

「……お、おう」


 あくまで、人が多いからであって。と言っても誰もが俺たちの関係を深いものだと想像するだろう。

 まぁ、男が寄ってこないならこれは都合がいいか。


「さ、天野くんどこに行こうかしら?」

「適当に企業ブースでも回るか?」

「そこに私の興味を唆るものがあるのかしら?」

「同人サークルみたいな内輪の空間よりはマシだと思うからな」

「そう、ならそこに行きましょうか」


 甘神知神をエスコートするのはかなりのカロリーを使う。

 ここは甘神にとっては違う世界のイベントと言うか、つまらなそうな顔をしてくれた方が楽なのだが、彼女の好奇心は底がないからこんな時も期待の眼差しを俺に向けられるのが余計に心身的な負担になる。

 どうしたものか……。

 その時、誰かが目の前でこちらを指差して立ち止まった。


「あ、小豆! なんて格好してるのよ!」


 小豆?

 メガネをかけた大人の女性が甘神に向かって語気を強める。


「それにあんた、彼氏と一緒とか! スキャンダルになったらどうすんの!」


 甘神の肩を掴もうとしたので俺は咄嗟にその女性の手を掴んだ。


「おいやめろ」


 俺が目で牽制すると、女性は手を戻した。


「……」

「なんなのよあなた!」

「甘神、この人は知り合いなのか?」

「……」


 甘神は無言でその女性を見下していた。

 何を悟ったような顔にも見えた。


「ねぇ小豆、説明しなさい。この人は誰なの!」

「……」

「ちょ、人違いだ。こいつはあずき? って人じゃない」

「は?」

「あ、もしかして新手のスカウトとかか? 悪いがこいつは芸能人でも何でもない田舎の高校生だし、芸能界とか興味ないし」

「え……」


 女性が甘神をくるりと見回す。

 舐めるように甘神を見た後、何かに気付いたような様子で顔を上げた。


「……えっ」


 女性は急に顔を真っ赤に染める。


「ま、眉毛の角度が、微妙に違う」

「眉毛?」

「と、とにかく申し訳ございません! ひ、人違いでした! 私が仕事で担当している者と似ていた者で咄嗟に反応してしまって」

「担当している者って……もしかしてアイドルとか?」

「はい! 私まだ新人なんですけど、アイドルのプロデューサー業をしておりまして」


 女性が財布から名刺を取り出す。

 笹波ささなみグループと印が押されたピンクの名刺で、中央に笹波凛と書かれていた。


「急に指差して、その上声を荒げてしまい、本当に申し訳ございません!」


 笹波グループって言ったらあの笹波カンパニーを母体とした大手じゃねーか。

 確か最近はアイドルプロデュースも一つの主戦事業になってるとか。


「で、そのプロデューサーさんが何でここに」

「え? あー、お恥ずかしながら私、その、欲しい本がありまして」

「へ、へぇー」


 俺は彼女が大事そうに両手で抱えている袋に目をやる。

 BL本がチラチラ見えるのだが……。


「本当に失礼致しました。では私はこれで」


 先ほどまで黙りこくっていた甘神が口を開いた。


「ちょっと待っていただけるかしら」

「はい?」

「私と似てる小豆という女性と間違えたのよね」

「は、はい」


 笹波さんに急接近する甘神。

 メンチを切る不良くらい顔を近づけると、甘神は再び口を開く。


「……なら、その小豆って子と会わせなさい」


「何言ってんだ甘神……っ」


 甘神の目には、濁った何かが溜まっているように見えた。

 怒りを通り越したようなその顔。

 いつもの彼女とは別人のようなその表情に困惑する。


「それは、無理です」

「……ダメ、会わせなさい」

「え、ええ」


 笹波さんがこちらに目を向けて助けを求めてくる。


「おい甘神。笹波さん困ってるだろ」

「でも!」

「それにいくらなんでもアイドルと会うってのは無理があるだろ」

「……なら」


 甘神は学生服のポケットから手帳を取り出すと一枚剥がしてシャーペンを持つとそこに何かを書いていく。


「マネージャーさん。これをあなたの担当アイドルに渡して」

「これ、は」


 甘神は何を書いて渡したのか、俺は見ることが出来なかったが、甘神の小豆というアイドルへの執着心から、俺は何か過去にあったのではないかと推察した。

 甘神が冷静さを失う時は決まって何か過去に触れたことが起因しているからだ。


「……あなた、まさか」

「じゃあ、頼んだわよ」


 甘神は踵を返して歩き出す。


「ちょ、甘神!」


 笹波さんはその紙に目を落としながら口を噤んでいた。


「あの、笹波さん、すみません!」

「いえ……この紙、今すぐに届けに行きますから」


 笹波さんも踵を返すと走り出して会場から出て行った。

 何かの歯車が動き出す音がする。

 俺は甘神を追って彼女の手を掴んだ。


「甘神、聞かせてくれ。何があったんだ」

「……」


 甘神が目元を拭いながら唇を噛む。


「一旦外に出よう。こんな会場の真ん中じゃ話しづらいだろ?」

「……そう、ね」


 甘神と再び手を繋ぎながら会場を出る。

 繋いだその手が若干震えていることを俺は言及する気になれなかった。

 きっと、甘神を苦しめる何かがそこにある。

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