第35話 ビュッフェ

 

 ホテルデートとやらはまだ続く。

 次はロビーフロアに移動して、ブュッフェを堪能するらしい。

 東京湾を一望できる広大なガラス窓に一番近いテーブルに案内され、俺たちはその席に向かい合って座った。


「プール楽しかったわね」

「……慣れたけど、まだ怖い」

「もぅ、私が懇切丁寧指導してあげたのにまだそんなことを言っているのかしら」

「それは、有り難かったけどさ」


 それでも俺は、水が怖い。

 風呂とかならまだしも……ここから見える東京湾なんて見るだけで恐怖心に駆られてしまう。

 過去のトラウマはなかなか拭えないものだ。


「苦手と言えば……そろそろ天野くんは理系クラスに行く決断をしてくれたのかしら」

「行くわけねーだろ」

「もし理系にしてくれたら数学も生物も物理も全て私が面倒見てあげるわ」

「なんか交渉っぽい口ぶりだが俺へのメリットゼロだよな? 最初から文系にするっての」

「はぁ……相変わらず強情ね」

「どっちがだよ!」


 甘神のやつ、なんで俺を理系に連れて行きたがるんだよ。

 別に同じクラスじゃなくても会うことくらいできるだろうに。


「さてと、天野くんが理系になるかどうかは置いておいて」

「ならねーから」

「せっかくビュッフェに来たんだから、取りに行きましょうか」

「あ、あぁ、そういえば俺も腹が減って……」


 甘神がルンルンで俺の手を引く。

 普段はクールで口数が少ない(というか喋らない)甘神が東京の空気に浮き足立ってる姿なんて同級生は想像もつかないであろう。


「っておい甘神」

「何かしら?」

「……スイーツしかないのだが」

「スイーツビュッフェだもの当然でしょ?」


 俺は近くにあったメニューを見る。

『15時〜スイーツブュッフェ』というタイムスケジュールを見て肩を落とした。

 空っぽの胃袋にケーキは……ちょっと。

 と思いながらも皿を手に取った瞬間、甘神がどんどん俺の皿に甘味を運ぶ。


「なーに勝手にのせてんだ」

「後で取りに来るのが面倒だからあなたのお皿に私のと別の味を置かせてもらってるの」

「無許可で?」

「あなたのものは全て私が掌握してるもの」

「これが甘神知神のジャイアニズムか」

「それにこれは天野くんに美味しいスイーツを食べて欲しいという意味もあるの。ほら、私がのせてあげるから、遠慮しなくていいわ」


 俺に選択権は無く、甘神が次々とスイーツの知識を披露しながら俺の皿を彩っていった。

 席に戻って、甘ったるいスイーツを見ながらブラックコーヒーをちびちび飲んだ。


「いつも思うんだが、お前って何かと俺に世話焼きたがるけど、なんでだ?」

「なんでって……」


 甘神はケーキに目を落としながらその質問に答える。


「天野くんを甘やかしていると、『あー天野くんって私と出会わなかったらダメなままだったんだなぁ』って思えるからかしら」

「よくもまぁ、そんなことを本人の前で言えるな」

「天野くんだから言えるの。天野くんは私に甘やかされるのが不満なのかしら?」

「ふ、不満って言うか」

「じゃあ逆に私を甘やかしてみて欲しいのだけど」

「はぁ?」

「さっそくだけど天野くん、そのケーキを食べさせて」


 甘神は目を瞑り、その小さな口を開ける。


 甘神のキス顔……じゃなくて!


「や、やるわけねーだろ! 恥ずかしい」


 一度甘神の口元に差し出そうとした、スプーンを置く。


「恥ずかしい……確かにそうね。こんなことするのは"恋人"か"カップル"くらいだものね」

「そ、そうだ」


 俺はチョコレートムースを無心で口に入れた。

 あのクリスマス以降、甘神との距離が急に縮まったせいで感覚が麻痺してる。

 そもそも甘神と俺はそういう関係では無いし、甘神だって俺を揶揄って言っているのであって、本気ではないだろう。


 ……でも実際のところどうなんだ?


 アロスコンレチェを一口。そして目の前の甘神に目を向ける。


 手も繋いだし、マフラーも一緒に巻いた、今日だってこうして「ホテルデート」をしている。

 甘神って、やっぱ俺のこと……。


「こんなに美味しいのに、難しい顔してどうしたのかしら?」

「なんかさ、俺ってお前に好かれるようなことしたかなって」

「へ、へ……⁈」


 甘神の手からスプーンが溢れ、床に落ちた。


「おいおいなんだ急に」

「きゅ、急なのはあなたの方なのだけど!」

「え?」


 すぐにウエイターが近寄ってきて落としたスプーンを拾うと、新しいスプーンを甘神に渡した。


「い、いくら私のターンが長いからってそういうカウンターはやめて欲しいのだけど!」

「そんな顔真っ赤にして怒るなよ」

「してないのだけど!」


 珍しく慌てふためく甘神。


「あ、あなたは、極端なのよ! く、クリスマスの時だって……」

「クリスマスがどした?」

「あ、あなたって、本当に何も分かってないのかしら」

「分かってないってどういうことだよ」

「その、アレよ」

「アレ?」


 アレ……アレねぇ。


「……なんだろう、一発殴っていいかしら」

「いきなり暴力的になったな」


 やっぱ俺って甘神のストレスの吐け口なのか?

 ……それはそれでいいかもな。


「甘神、俺は構わないぞ」

「か、構わないって……まさか」


「いくらでもお前のストレスの吐け口にしてくれ」


「…………はぁ」


 甘神は大きなため息をついて、先程ウエイターから受け取ったスプーンでスイーツを食べ始める。


「天野くん、このガトーショコラの形はフラメンコのコルドベスという帽子をイメージしててね」

「話の変え方が強引すぎるだろ」


 突然スイーツの知識を披露する甘神に待ったをかける。


「私はね、生産性のない話が大嫌いなの。わかる?」

「な、なんかすまん」

「急に変なことを言い出して、動揺する私からマウントを取ろうだなんて10年早いから」

「そんなつもりは無かったんだが」


 どうやら俺の勝手な憶測のせいで甘神の機嫌を損ねたらしい。

 やっぱ俺なんかに甘神知神の気持ちとか分かるわけないか。


「あなたは変なこと考えずにずっと私に付き合っていればいいの、分かった?」

「お、おう」

「分かればよろしい。ご褒美に私のケーキをあげるわ」


 甘神はチョコムースをスプーンで掬って、こちらに差し出す。


「ほら」


 こりゃ断るとまた面倒なことになりそうだ。

 しかしこれは完全に間接キスに……。


 俺は震える唇を一回落ち着かせて、差し出されたチョコムースを口にする。


 こんなこと、恋人かカップルしかしないって言ったのは甘神の方なのに。


「……ふふっ」


 なんで甘神はこんなに嬉しそうなんだ。


「そんながっついちゃって。甘えん坊なんだから」

「お前が食えって言ったよな⁈」

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