第29話 甘神と二人で

 

『東京一日目。2人でどこかへ出かけるの』


 甘神が言う"付き合って"というのは、一日目の予定の話だった。

 俺は脳内でその言葉を反芻する。


 甘神と、2人で、東京をおでかけ……。


 満月の夜、ぼんやりとした月明かりだけが俺に光を与える。


 暗がりでスマホを弄るのは良くないと思いながらも、なかなか睡魔が襲って来ないので、眠気を待ち構えるついでにコミケのブースを眺めていた。


 クリスマスの時以来、やはり変に意識してしまうところがある。

 かなり甘神との距離は縮まったし、これから進展するのかどうかも気になる。


 甘神が手の届く場所に居るという安心感。

 しかし、それは一時の白昼夢なのではないかという一抹の不安。

 スマホのブルーライトに照らされながら、俺は段々と重くなる瞼を下ろした。


 夢なら、もう覚めるな——


 ✳︎✳︎


 耳障りなスマートフォンのアラームに苛立ちながら意識を取り戻す。


「……まだ6時か」


 寝癖を直して歯を磨き、他所行きのシャツとスキニーを身に纏い、上に厚手のコートを着た。

 朝食はコンビニで買ってあっちで食おう。

 まだ日が昇っていないというのに、駅までの道はやけに活発だ。

 こんな年末でも出勤するビジネスマン、少し小太りなのを気にしてランニングをする中年男性&ついでに散歩の犬。


 12月30日だというのに忙しない田舎だ。

 でもそれが愛おしくなるのかもしれない。


 7時3分の電車に乗って、近場で唯一新幹線が停まる駅へと向かう。


 駅までの道中とは裏腹に、駅のホームはガラガラだった。

 アイスの自販機の隣にあるベンチに腰を下ろす。

 さっきコンビニで買った塩むすびを口にしていると、目の前に突然現れたシルエット。

 最初はアイツに似てるなぁ、くらいに思っていたが、握り飯から段々と目線を上げると、そこにいたのは俺のよく知る彼女だった。


「はぁ……やっぱお前か、甘神」


 クリスマスの時とはまた違った純白のダッフルコート、下にはブラウンのハイネックセーターを着て、俺が気づいたのに反応して急に目の前でくるりと回り、チェック柄のフレアスカートを揺らした。


「おはよう天野くん。今日の私はどうかしら?」

「あーはいはい、美人ですねー」

「またそうやってはぐらかして。ちゃんと目を見て話しなさい」


 甘神が冷たいその両手で俺の頬を包み、自分の方を見るよう促した。


「み、見るから! 分かったからその手離せって」


 俺が首を揺らしてその手を振り解くと、甘神は小さくため息をついた。


「誰もいないのだから、何をしてもいいじゃない」

「なんで甘神がこの駅にいるんだ? もしかしてわざわざ降りて俺が来るの待ってたのか?」

「さぁ? ご想像にお任せするわ」


 甘神はそう言って俺の口元に向け人差し指を立てる。


「お弁当、付いてるわよ」


 人差し指が俺の視界には無かった米粒を一粒取って甘神の麗しい唇へと運ぶ。

 俺は今、何が起こっているのか理解が追いつかなかったが、それを理解した時、身体全体が熱くなった。


「こんな寒空の下で海苔も具もない塩むすびを頬張っているなんて……側から見たら裸の大将ね」

「俺は日本のゴッホでも無ければ、白のタンクトップも着てねぇ」

「お弁当が欲しいなら、昨日の電話の時に言ってくれれば良かったのに」

「そんな図々しいこと頼めるわけねーだろ?」

「……食べたくないのかしら、私のご飯」


 いつの間にか俺の隣に座っていた甘神は、横から覗き込むようにしてこちらを見てくる。


「……た、食べたく無いとは言ってねーけど」

「食べたいか、食べたくないかだったら?」


 甘神は真顔でその2択を迫ってくる。

 後者を選べば間違いなく機嫌を損ねるだろう。


「た……食べたい」

「ふふっ、今日は正直なのね」

「お前の圧が凄いだけだと思うのだが??」


 今日の甘神はいつもよりほんの少し声が高いし、やけに抑揚もあるし、かなりテンションが高い。(と思う)

 流石の甘神知神でも、東京旅行となるとテンションが高くなるもんなんだな。


「甘神は、東京好きなのか?」

「……どちらかと言うと都会の方が好きよ」

「やっぱそうなのか」

「東京は田舎とは違って夜中になってもずっと明るいから、とても安心するわ」

「明るい……か」


 結構意外だった。甘神は暗闇に紛れて物静かに生きているイメージがあったので、光を求めてるなんて想像もできなかった。


「じゃあ大学とかも、東京に行くのか?」

「……どうかしら。私に合う大学が有れば良いのだけど」

「なんだよ。学年1位様の嫌味か?」

「あのね天野くん。大学というものは無駄に高い学費を払って行くものなのだから慎重に選ばないといけないの。ただ単に偏差値や身の丈に合った大学を選ぶなんて、賢い人間のすることじゃないわ」

「そ、それは尤もな意見だな」

「でも……たった一つだけ私の進路を揺るがすものがあるの」

「な、なんだそれ?」


 甘神がしんみりとした面持ちで、線路の先の先を見つめた。


 その時、俺は安易に聞き返してしまったことを後悔した。

 甘神は俺がまだ知らないほどの暗い過去を持っている。

 揺るがすもの、それはきっと彼女にとって闇の深い何かなのかもしれない。


「……どっかの誰かさんが、私の理想とは程遠い大学に行ってしまうこと、ね」

「は?」

「天野くん、そろそろ電車が来るみたいよ」

「お……おう」


 結局、なんだったんだ?

 電車が風を切ってホームにやってくる。

 ……もう一度、聞いてみるか。


「なぁ、さっきのはどういう」

「私は常に高いところにいる。だから全てはあなた次第なの。分かった?」

「……いや、わからんけど」


 今日の甘神知神はテンションが高い所為なのか、いつも以上に哲学的だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る