第4話 自習ルームにて


 この高校には図書室内のエスカレーターで行ける地下1階に、10部屋の自習ルームがある。

 どこの高校にもある私語厳禁の自習室と違って、友人と会話をしながら勉強をするために用意された自習用の個室であり、一見かなり自由度が高いが、その代わり勉強以外の行為を禁止するため防犯カメラが1部屋に1つ設置されている。


 完全防音の静かな環境で友達とミーティングや気軽に勉強会を開けることで、かなり人気のある自習ルームなのだが、甘神が予約しておいてくれたお陰で、待ち時間無しで借りられるそうだ。


 俺が放課後そこへ向かうと既に7番ルームの利用者に甘神知神の名前が書いてあった。

 俺は7番ルームのドアをノックしてからドアノブを捻った。


 部屋のイメージとしてはカラオケボックスみたいな縦長のもので、中央にテーブルがあり、辺りには4つのパイプ椅子が置かれていた。


 俺自身、この部屋に入るのは初めてだったが、部屋の中にはテーブルと椅子、あとホワイトボードだけ、という意外とシンプルな作りだった。


「お待たせ、甘神」

「わざわざ時間をずらさなくても、一緒に来れば良かったのではないかしら」

「校内で一緒に行動して、変な噂が流れてると困るだろ?」

「……天野くんは、私とそういう噂が流れると困るのかしら?」

「そ、そりゃ甘神のファンとかに殺されたくないし」

「……そう」


 甘神は一転、気難しそうな顔をした。


「なんだよ、そんな顔して」

「別になんでもないわ」


 ……あ、そうか、甘神としては俺との関係を敢えて周りに匂わせることで、ウザったるい自分のファンとか取り巻きを追い払いたいとか思ってるのか。

 だからこんなに残念そうな顔して。

 そういうことなら仕方ない。


「でも、偶になら一緒に行動してもいいかもな」

「え?」

「その方が、お前にとってもいいんだろ?」

「も、もしかして天野くん、私のこと」

「おう、なんとなく分かってるから」

「そ、そうだったのね……」

「そりゃいつも後ろの席で見てたら分かる」

「そう……なら、私と付きっ」


「お前はめんどくさいファンとか取り巻きたちを追い払いたいんだろ?」


「……は?」


「甘神はいつも大変だなぁ、って思ってたんだよ。俺が隣にいることでそいつら追い払えるなら、少しは身体張ってやる、よ……って、甘神?」


 明らかに甘神が機嫌の悪そうな顔をしている。


「……天野くん、早く座りなさい、勉強会を始めるわ」


 な、なんでキレてるんだ……。

 俺、結構こいつのこと思って発言してたと思うんだが……。


 こうして、最悪の空気中勉強会が始まった。

 数学の復習はしてきたものの、やはり応用問題がなかなかスラスラ解けない。


「天野くん、そんな簡単な問題もわからないなんて、本当に真っ当な方法でこの高校に入学したのかしら?」

「す、すみません」

「あと簡単な計算も暗算でできないのは致命的よ」

「め、面目次第もございません」


 ——2時間後


 この2時間で分かったこと、それは「甘神は絶対に怒らせてはいけない」ということだ。

 本気で怒った時の甘神は、飴と鞭なんて概念はなく、鞭一択。

 いくらS耐性のあるこの俺でも流石にメンタルが逝かれた。


「どう天野くん。数学は好きになれたかしら」

「お陰様で倍嫌いになったわ」

「そう、それは問題ね」


 誰のせいだと思ってやがる。


「そういえば、おやつにでもと思ってクッキーを焼いてきたのだけれど、食べてくれるかしら」

「クッキー?」


 甘神は自分の鞄から透明な筒状のケースに入ったクッキーを手に取り、俺の前に差し出した。


「私の熱心な指導についてきたご褒美。受け取ってもらえる?」

「……お、おう」


 飾りの無いシンプルなクッキーだけど、濃厚なバターの味わいとしっとりとした食感、そしてほどよい甘さが、計算と罵倒で疲れた頭を癒す。


「美味しい?」

「お、美味しい。悔しいけど美味い」

「そう。良かった」


 甘神は嬉しそうに微笑みながら、俺がクッキーを食べるのを見つめていた。

 いつもはクールで怒るとずっと真顔の甘神だが、こうして笑っているのを見ると別人のようにも思える。

 こんなに美味いもんを作れて、勉強もできて、見た目は誰もが認めるくらいの美人で、ほんとなんでもできる。そんな甘神の隣に俺みたいな何の努力もしていない凡人がいてもいいのだろうか。


「……」

「突然暗い顔をして、どうかしたのかしら天野くん?」

「なんて言うか……甘神はなんでもできるんだなって」

「そうね。なんでもできるわね」


 自慢げな表情を浮かべて甘神は言う。


「それがどうかしたのかしら?」

「そんなお前が俺みたいな凡人と居て楽しいのかなって」


 俺は正直に心の内を吐露した。

 甘神が何を思って俺なんかを誘ってくるのかわからないが、自分と甘神とでは差がありすぎて、申し訳なく思ってしまう。


「天野くんは面白いことを言うのね」

「でも」

「変な心配は無用。でももし、逆にあなたが私のことを忌み嫌うようになったら、その時は遠慮なく私の誘いを断ってくれて構わないわ」

「……甘神」

「その代わり、あなたが私のこと嫌いになるまではとことん、私に付き合ってもらうから」


 甘神知神の口癖"付き合う"。

 思わせぶりで厄介な言葉だと思っていたこの言葉に、こんなにも安堵を覚えるとは思いもしなかった。


「なんか……色々とありがとな、甘神」

「本来礼を言うべきなのはこちらだと思うのだけど。まぁ、今日ばっかりはその感謝の言葉を受け取っておくわ」


 相変わらずの言い回しで甘神は照れを隠そうとする。

 いつか素直な甘神を見てみたいものだ。


「そういえば天野くん、この部屋は監視カメラがあるのだから"変なこと"したらダメよ」

「しねーよ。てか変なことって、なんだ」

「それは……ご想像にお任せするわ」

「はぁ?」


 こんな調子で、明日も明後日も甘神知神に付き合って(振り回されて)いくのだろう。

 ……あれ、そういえばなにか大切なことを忘れているような。


「あ、そーいや言うの忘れてたんだが、神乃さんが甘神と友達になりたいって」

「は?」

「昨日の帰りに俺と甘神が歩いてる写真撮られて脅されて」

「……それで?」

「友達になってあげて欲しいんだが」

「……天野くんは、私の神経を逆撫でするのが得意なようね」


 甘神の怒りモードが再び作動した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る