第6話
日が昇る。
地平線の彼方から差す薄明かりが乾いた大地を照らしていく。
まだ薄暗い朝方の日差しは柔らかく、目覚めたばかりの目に心地よい。
明け方ということもあり少しの肌寒さはあるものの直に日に照らされて暖かくなっていくだろう。
この場所では温かいを通り越して暑苦しいと感じることになるだろうが。
そう思うと少し嫌気が差す。
まあどのみち昨日までも同じような一日だったのだ、今更だろう。
「とりあえずあいつら起こすか」
今もまだ寝ているであろう女性組二人は俺とは別のテントで寝ている。
ぐーすか寝ているかもしれないが今日は早いのでもう起きてもらわなくては。
「おーい起きろー」
「……んへへへへ。もういりゃないわよ。むにゃうにゃ…………」
テントの中に声を掛けても反応が無い。
ここ最近分かったことだがネアンは寝起きがよろしい。大抵の場合俺より早く起きて元気に寝込みを襲いに来る。
それが今日は無いとなると恐らくだが考えられることが一つある。
とりあえずテントに入れば……
「――――ッ!?」
「ほらこうなる」
刺突。
テントの入口を開けた途端中からナイフが躍りかかって来た。
勢い良くこちらに向かってくる刃物を横から叩き落として発射してきた元凶に薄い目を向ける。
予想がついていたとはいえ朝からこんな歓迎をされると気分も下がる。
まあもう毎日のことで慣れたけど。
「あのね?流石に毎朝こんなんされると面倒なんだけど」
「お前が面倒ならば吾にとってはこの上ない喜びだな」
ジトッとした目を向けても何処吹く風、ネアンはしれっとこちらの文句を受け流してくる。
これに対してなにか言っても無駄だというのは分かっているがやはりそれでも文句の十や二十は言いたくなるものだ。それを我慢してジト目で済ましている分俺は非常に器が広いと言っても良いのではないか?
そんなくだらない思考が脳内を
やらなくてはいけないことはまだ寝ている寝坊助の顔をぺちぺちして起こすことなのだから。
「お〜い起きろ〜」
「んん〜ん……。む〜」
「む〜じゃねえ」
テントの奥の布団の中でむにゃむにゃしているアホを軽く
枕を腕に抱いたままウニャウニャと寝言をぼやき続け目を開く気配がない。
それにムカつく話だがこの姿を見た瞬間不覚にもドキッとしてしまった。
こうしているとアンテは枕に抱きついて寝ている本当に可愛らしい少女のようにも見える。
あんまり認めたくはないがこいつの容姿は黙っていれば非常に遺憾なことに超絶整っている。
それは今この瞬間だけを切り取れば天使の寝顔と言っても過言ではない。
人形のような精緻に造られた美しさとも言えるが、その一方で愛くるしさも同居している。
見れば見るほど可愛らしいと思う。
正直見ているとちょっと落ち着かない。
このまま天使でいてもらいたいとも思う。が残念なことに時間は進んでしまう。
何より今日は急がなくてはならないので普段の馬鹿……、精霊に戻ってもらうしかない。
耳元に口を近づけ今日三度目の
「起きろぉおおおおおおおおおおおお!?」
「ふわぁぁああああああああああああああああああああああああああああ!?」
凄まじい絶叫と共にネアンは飛び跳ねて起き上がった。
そのあと思いっ切り顔面を殴り飛ばされたのは言うまでもないだろう。
殴られて痛かったものの天使から戻ってきてほっとしたところがあったのは内緒の話だ。
*
「なるほど。つまり今日でこの渓谷を出るということか」
「そっ。だから今日は急ごっかなって」
「ふーん」
今日中にへギン大渓谷を拔ける。
それが原因で今日は早く起きて出発したかった。
現在地は渓谷の最北端であり、あと少しでこの地を通り抜けることになる。そうなると渓谷の先にはとある港町が存在するのだ。
普段どおりの移動ペースだと今日中に辿り着きはするものの夜遅くになってしまい宿が取れなくなりかねない。
その他にも日中に着いておいたほうが楽だったり都合のいいことが多いのでなるべく早く出発して旅路を急ぎたかったのだ。
ということを説明すると、アンテがものすごく雑な感じで返事を返してきた。
っていうか一向にこちらを向こうとしない。背中だけを向けたまま俺の話を聞いているのかいないのか簡易机に頬杖をついている。
どうやらまださっきのことを引きずっているようだった。
「おーい。話聞いてたかー?」
「聞いてるわよ」
「あ、そうでしたか」
「…………」
うん、気まずい。
ものすごく気まずい。
完全にやらかしてしまった手前何かを言いづらい。
雰囲気的にアンテは今とても怒っている。というよりかはなにか不満があるのだろう。
怒るときは大体一回で全部相手に出し切るのがアンテだ。怒っているだけならばこうまで長引かせることはまずない。
だとするならばこれは何気に結構ヤバい状況なんじゃないのか。
ここまで不機嫌なアンテは早々見ない。
なんやかんやで優しい彼女だが本当に怒るときは凄く怖い。一度怒られたときは俺ですら怖くてもう二度と怒られたくはないと思った。
今の状態はその時の雰囲気にかなり近い。
あと少しで
このまま機嫌が治らなければヤバい。
だけど一体どうすればいいんだ。
途方に暮れている俺とその前で黙ってじっとしているアンテ。その静かで重苦しい空間が開放されたのは、ネアンがきっかけだった。
「はあ、そんなに黙ってても何も変わらないだろう」
ネアンはずっと黙りこくって動かない俺達に
「そもそもその男の何がそんなに気に食わなかったんだ。たかだか起こす時に少しフザケていただけだろうに」
「……」
続けてそう聞いてみるも、アンテは反応しない。
「第一こいつは叫ぶ前にお前を二度程軽く起こしていたぞ。それに気づかずにぐぅすか寝ていたお前にも問題はあっただろう」
「…………」
そう言ってネアンは俺のことを擁護する発言もしてくれたがやはりアンテは反応しない。
だけどほんの少しだけ、その肩が揺れていた。
「黙ってないでいい加減なにか言ったらどうだ」
「……うるさい」
そしてネアンが四回目の言葉を口にした時、とうとうアンテに反応があった。
小さな声でボソッと一言だけ呟いたのだ。
「別に何も言ってないでしょ。そんなに怒ってる訳でもないわよ」
そうやって小さな声でアンテは続ける。
それを聞き逃さないように耳に意識を集中させた。
「だというのならいい加減元に戻れ。お前がそのままではいつまで立っても出発できん」
そうネアンが窘めるが、やっぱりアンテはなかなか動いてくれない。
このままでは本当に昼までに町に間に合わない。
「悪かったよ。今度からはもうああいうことはしないから、頼むから機嫌直してくれ」
最後のダメ押しとしてもう一回謝る。
確かにさっきのはフザケすぎたし悪いとも思っている。にしても怒り過ぎな気はしているが悪いのは俺だし、ここはきちんと謝らないといけない。
そうして頭を下げるとアンテはとうとうゆっくりとこっちを振り向いてきた。
その顔は耳元まで真っ赤に染まっていて、少し涙目だった。
思わぬ表情をしていたことに少し驚いていると、彼女は瞳をうるませながらこう口を開いてきた。
「……バカっ」
え、カワイイ。
思わずそう思ってしまった。
可愛らしい罵倒を投げ掛けてきた彼女はすぐに立ち上がって出発の準備に荷物をまとめに行った。
だけど思わぬ表情と普段は聞けない可愛らしい台詞に、脳がバグった俺は暫くその場で固まることになった。
――その後、固まり続ける俺はネアンからの攻撃によって正気に戻されるまで石となり続けている。
*
急な斜面を登る。
辺りには渓谷には見られなかった緑の葉が見える。
既に渓谷の端にたどり着いており、この先に広がる地形との堺付近に居る為乾燥した大地にはなかった植物たちが生え始めているのだ。
この先には植物の生い茂る草地が広がっていて、その先に目的地が存在する。
やっとこの渓谷から出られることにほっとしながらあと数歩の道を歩く。
四歩。三歩。二歩。そして、最後の一歩。
頂上にたどり着く。
そして開ける視界。隣でネアンが息を呑んだ。
絶景。
なだらかな起伏のある草地はゆったりとした斜面を下り風によって波打つ。
その麓に見える中規模の村は色とりどりの屋根が視界を惑わせ心を踊らせてくれる。
何よりも特筆すべきはその先、遙か先まで広がる途方も無い水の蒼原だった。
蒼穹に映える蒼一面。
どこまでも続いている水面には、いくつかの点が浮いている。恐らくは町の船だろう。
雄大、されどこちらを圧することはなく寧ろ包み込んでくれるような、そんな温かみが感じられる。
ふと、風が吹いてきた。
穏やかな時つ風。それは確かに俺達に触れていった。
香る潮の匂い。それは心の奥にまで沁み渡り落ち着きを与えてくれる。
その風に手を引かれるように、俺達は町へと下りていった。
その町は港町。
他大陸との交易の要点である、この大陸一重要な拠点。
潮風に包まれた町、『ラクリュス』。
ここから船に乗って、俺達は別大陸に向かう。
俺達の新たな門出の場所だ。
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