第5話

 へギン大渓谷にはあまり水がない。

 渓谷中央部には川が流れていたりもするが、それ以外だと点々と存在する湧き水などの水溜りにしか存在していないのだ。

 乾燥した大地には雨が降った形跡も無く、視界のどこまでもが熱を帯びた地面かゴツゴツした岩で埋め尽くされる。

 そんな中でその一帯は違った。

 燦々と降り注ぐ陽光に照らされて乾き切ったはずの大地が、濡れていたのだ。

 どこまでもどこまでも、流れる川のように乾燥した地を湿らせていく。

 その事実に大地は歓喜した。

 しかしその事実に生命は恐怖した。

 流れていたものは水ではなかった。大量の死体から流れ出る血液だ。

 信じられないほどの数の死骸から流れ出てくる血の溜まりは他の血溜まりと結合し、血の池を作っていく。

 やがて出来上がった血の川からは、鉄臭い匂いが漂い辺りの生物たちに異変を知らせることになる。そうしてその匂いに釣られてやって来たものたちがまた死体となりこの川をより大きくしていくのだ。

 今この地では血の祭典が開かれていた。

 誰がこの地獄を作ったのか、誰がこの惨状を生み出したのか、その答えは続く血川の上流にあった。


「おい! お前らも闘えよ!! さっきからずっと俺だけ動いてんだろうが!?」

「ラウナがんばれ~!」

「お前はよくやっているよ。お、次が来たぞ」

「いやだから動けっての!」


 襲いかかってくるサソリ型モンスターを斬り伏せながらそう文句を叫ぶ。

 しかし返ってくるのは全くと言っていいいほどやる気のない返事が二つ。というか両方ともこちらの応援しかしておらずどう考えても戦う気があるようには見えなかった。

 実際それぞれ武器を出してすらいない。

 二人揃って完全にこっちに戦闘を丸投げする気だった。


「ネアンはともかくアンテは動けよ! お前俺の契約精霊だろうが!?」

「えー。契約精霊は前衛として働くものじゃなくて後ろで魔法撃ってるものなんですけどー」

「撃ってねえだろぉが!!」


 まだモンスターとの戦闘を一回も経験していない魔王城引きこもりだったネアンが下手に手を出さないのは分かるものの俺と一緒に何度も闘ってきたアンテまで動こうとしないのは流石に腹が立つ。

 前衛がどうとか言っているが今まで何度もモンスターを吹っ飛ばしていた姿を見てきた身としては一切信用がない。

 ただただ、やる気がないだけだ。


「っていうかネアンお前強くなるんじゃなかったのかよ!? こういう時動かないでどうすんだよ!」

「何を言っている。さっきからちゃんと魔法で攻撃しているだろう」

「ああ、全くモンスターに当たらないしそもそも遠すぎてこっちに気づいてすらいない相手に対する攻撃ね。アレのせいで向こうがこっちに気づくからどんどん戦闘が長引いてるんだけどな」

「だろうな。そもそもそれを狙ってやっている訳だし」

「でしょうねぇ! ふざっけんな!!」


 前言撤回。

 分かってはいたがやっぱりネアンは俺に対する嫌がらせをしていやがった。

 やる気がないんじゃなくて俺への嫌がらせ行為に対して全力だった。

 責任持って自分で処理しろや。


「お、向こうに別のモンスターの群れが居るぞ」

「いやちょっと待てい!」

「アアスマン。モウスデニウッテシマッタ〜」

「ざけんな!?」


 間の抜けた棒読みと共に東側にネアンの撃った攻撃魔法が飛んでいく。

 着弾と同時にド派手な音をぶちまけたそれは、モンスターにこちらの存在を気づかせるには十分すぎるものだった。

 ギロリッと、音が聞こえてくるほどの勢いで彼らがこちらを振り向く。

 どう低く見積もっても五十は居るであろうその虫型モンスターの群れは、こちらの姿を捉えるなり当然のごとくこちらに向かって突き進んできた。


「お前ほんっとにいい加減にしろよ!?」

「どうせこのくらいではお前は死なんだろう」

「そういう問題じゃねえぇえええええええええっ!?」


 そんなことを言っている間にそのモンスター達はやって来た。

 六本の脚に支えられた体を持ち、頭部には四つの眼が付いている。

 全身を毛に覆われた姿は巨大な蜘蛛の化け物と言える。

 蜘蛛型モンスターの一種であるエラントラだ。

 正確にはへギン・エラントラと呼び、この地で成長しここの環境に適した体に進化したエラントラの一種である。

 エラントラ種全体に確認されているように蜘蛛らしく硬い強靭な糸を腹から出して狩りに使ってくる為、そこに気を付けなくてはならない。が、へギン・エラントラの場合他にも注意しなくてはならない点がある。

 今糸を大量に吹き出してきたへギン・エラントラ達は、その直後に猛烈な勢いで跳び掛かってきた。

 ――すぐ横に吐いた糸を置き去りにして。

 こいつらは脚が異常に速いのだ。

 他の地域とは違い、遮蔽物などがあまり無いどころか辺り一帯ほとんど何も無い渓谷で育った為糸を使う機会が殆ど無い。

 通常のエラントラ種の主な狩りの方法は遮蔽物などをうまく使い糸の罠を隠して張っておき、そこに獲物が掛かるのを待っているというものだ。しかしこの場ではどうしてもそういった手法は取れない為相手を捕らえられない。

 その結果生き残るために獲物より素早く動けるよう進化した為その速度はこの渓谷随一と言っていい。

 特殊な事例を除きこの渓谷で最も危険とされているモンスターだ。


「糸出し過ぎだよ!」


 もちろん罠として以外にも普通に糸は出してくるのでそこにも注意が必要だ。

 万が一糸に引っ掛かればその時点で終わりだろう。


「チッ」


 面倒くさい。

 一体一体は何も大したことはないのだがこうも群れられるとなかなか厄介だ。

 近寄ろうとすれば大量の糸が複数方向から絡み合って飛んでくる為なかなか迂闊に突撃もしづらい。

 全部いっぺんに斬ろうとしても超速で逃げていく為糸を斬ってからでは蜘蛛達に刃が届かない。

 なかなかにストレスの掛かる闘いだった。

 ちまちまと糸を斬っていくのが面倒くさい。

 その後蜘蛛たちを追いかけるのが面倒くさい。

 未だに三匹しか斬り払えていないのがムカつく。

 それとさっきからずっと何も手伝わない上に寧ろ邪魔しだしてくる後ろの二人がムカつく。

 色んな理由からイライラが止まらない。


 ――だから俺は、ついうっかり剣を力づくで振るってしまった。


「あっ」

「ヤバッ......」


 後ろでアンテが呆けた声を上げたのと同時に自分のやらかしに気づいてしまったが、もう遅かった。


「――――――――――――――――――――――――ッッッ!?」


 爆音が響く。

 爆風が駆け抜ける。

 おおよそ剣を振るという行為では決して出てはいけない音が出るのと共に、途方もない衝撃が地面を襲った。

 土砂が跳び跳ねる。岩石が砂塵とかす。

 めくれあがる大地に吹き荒ぶ大気。

 それはまるで巨人が腕を薙ぎ払ったかの如く光景であった。

 後ろでネアンが息を呑む気配がする。

 それもそのはずだろう。

 なんせ俺が居る前方方向に数百Mメートルの間のすべてがが抉れとられたかのように消えていたのだから。

 ――バキッという音と共に振るった剣が根本から折れる。

 巨人の一薙ぎのような結果を生みだした負担が返ってくる訳で、当然剣が無料ただで済むはずもなかったのだ。

 ボロボロになった刃はゴトッという音を立てて地面に落ちる。

 まるでそれを笑うかのように乾いた風が横を通り過ぎていった。


「あぁぁああああアアアア、やっちまったぁあああ」


 剣を失なってしまった為にラウナは全力でしょげだした。

 自分でやってしまったこととはいえ愛用していた剣を壊してしまった悲しみは深い。

 たちまちどんよりとした空気を纏い始める。


「な、今、のは……」

「あれがあんたが殺そうとしている存在の力よ」


 一方でそれを見ていたネアンの心中穏やかではいられない。

 自分に向けて放たれたその言葉に、ネアンがゆっくりとアンテの方を向く。


「強すぎて全力の力に耐えられる武器が存在しない、だからラウナは基本ずっと力を抑えて闘っているの」

「そんな、馬鹿なことが……」

「あるのよ、だからこそあいつは最強って言われてるんだから」


 そうやってなんでもないことのように言うアンテを見て、ネアンは理解した。

 その話が事実であるということを。

 自分が倒そうと思っている存在の理不尽さを。

 どうあがいても覆らないであろう現時点での彼我の実力差を。

 戦慄を覚えさせられると共に強制的に理解させられた。


「ま、あいつを超えたいんなら精々頑張ることね」


 そう簡単に言ってくることにネアンは腹立ちすらしない。

 そんな感覚が起きさえしないと言った方がいい。

 あまりにふざけきったその差に笑おうとして失敗した、そんな顔を浮かべている。

 超えられる気がしない壁の先に目標としている場所があること、その事実に暫く呆然となっていた。


「さて、さっさと行きましょう。ほらラウナもいつまでもしょげていない!」

「えー……。はぁ。しょうがないか…………」


 そんなネアンを知ったことかとばかりにアンテは先を急ごうとする。

 剣が壊れていじけているラウナも無理矢理立たせ、三人はその場を後にした。

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