第2話

 その知らせは瞬くまたたく間に広がった。

『当代の勇者ラウナ・エレオスが、ついに魔王を討ち取った』

 赤子でもなければ知らぬものなどいないであろう存在が歴史上初の偉業を成し遂げたのだ。誰しもがその一報に色めき立った。

 人々を歓喜の渦に閉じ込めたその報告は、人類の敵側である魔族たちから漏れたことによって伝わった。

 魔族たちからすれば隠しておきたかった事件だが内容が内容なだけに隠しきれなかったのだ。

 結果的に魔族たちから伝わった事によって話に信憑性しんぴょうせいが生まれたのである。


 その功績から民衆は彼を至上の英雄とたたえた。

 皆が彼に感謝し、それからしばらくは各国どの街でもお祭り騒ぎとなっていた。

 これからは毎年この日が来れば勇者祭という名の祝祭が開催される事にまでなったらしい。

 それ程までに誰しもが喜び、また興奮していた。

 だが、一つだけ民衆の顔を曇らせている点がある。

 魔王を討ち取った、肝心のラウナの姿が何処にも無かったのだ。

 各国がこぞって彼の行方を追った。

 彼が魔王討伐に魔王城へ出発した最後の街から、彼の生まれ故郷である辺境の村。果ては魔王城付近にまで捜索の手が及んだものの、足取り一つ掴むことはできなかった。

 ラウナの姿は何処にも無かった。

 そうして魔王討伐の日から二月ふたつきもした頃には、勇者はもう死んだのではないかという声が出始めてくる。

 魔王を討ち取ったのまではいいが、代償に自らの命までも失ってしまったのではないか。そんな説が各国でささやかれ始めたのだ。

 いくらかの勇者でも最凶の存在である魔王に、その強力な配下である四天王までを倒したからには相応の犠牲を払ったのだというその説は、魔王どころか下級の魔族すら恐れて暮らしている一般市民には十分な説得力があった。

 故に勇者ラウナに追悼をなどと言った声まで出始め、どの国においても民衆の対処で手一杯となり勇者の捜索活動は自然と中止することになっていった。

 帰らずの勇者ラウナ・エレオス。

 それでも人々は、今なお彼の帰還を待ち望んでいる。


「はぁ、寒いな」

「今更何を」


 各国がラウナの捜索を停止してから約10日、魔王討伐が噂され始めてから三ヶ月程立つ頃、北の大地『テオール』の村にて、ある男女二人の姿があった。


「おい、そんなことより勇者」

「おいおい、オッチャンには一応おふくろからもらったラウナって名前があるって前言ったよなぁ。俺の名前は勇者じゃないんだって」

「知るか。貴様の名前は一応聞いたがどう呼ぶかはこちらの勝手だろうに」


 二人揃って雪の中山に入っているが、どう考えても背恰好がおかしい。

 一人は少し古びてよれよれになった薄いシャツ一枚に土まみれのズボン姿で、もう一人にいたっては漆黒のドレス姿である。

 雪山を舐めているどころの騒ぎではない。

 がしかし、この二人にそんな心配は必要なかった。

 たかが雪如きでどうこうなどなる筈も無い。この二人は氷床に閉じ込められようが平然としていられるのだから。


「貴様の名前はどうでもいい。そんなことよりいつまでここに居るつもりだ」

「ん〜、さあ?別に期限とか決めてないしね」

「そうか、貴様は無軌道無計画人間だったか」

「なんで君はそうなんでもかんでも悪い感じに曲解しちゃうのかなぁ?」

「曲解も何も全て事実だろう」

「わァお」


 傍から聞いていると一切緊張感の無い会話を続けながら道ならざる獣道を通っていく。

 地元民でも危険だと避ける領域エリアに当然のように入っていく二人はどんどん山奥へと進んでいる。

 この二人がこの地へ来て僅か二ヶ月半、地元の村の村民達は二人を頭のイカれた理解不能存在クレイジストとして扱い既に心配する心を失っていた。


「まあ俺らの噂が一段落した頃に出ていくよ」

「いつまで居ることになるのやら」


 二人の名はラウナとネアン。

 世界中で噂されている、死んだはずの魔王とそれを討伐した勇者だ。



           *



 時は三ヶ月前にさかのぼる。


 魔王城が建つ禁忌の地、『ウルティムス』。

 大陸の最西端にあるこの場所には魔王城を中心として扇状に魔族たちの暮らす家が立ち並んでいる。

 その外側には農園や牧場など食糧供給の為の施設が作られており、意外にも自給自足の手段は確保されている。

 よく勘違いされていることだが魔族は人を喰らうというイメージがある。

 実際にはそんなことはなく人と同じような食事を摂るのだが、魔族を怖れる感情から人々の間でそんなイメージが作られ誤解されるに至ったわけだ。

 そもそもが魔族と人間で体の作りに差はあまり無く、基本的に生活スタイルもあまり変わらないため食べるものに差が生まれることはない。

 だからこそ魔族が耕している農耕地などを見れば人のそれと差は見つからない。

 そんな魔族にとってのライフラインである農産業密集地帯の更に外には、南側に広がる大森林地帯と北側に広がる大渓谷。そしてその2つの地形に挟まれる形で東側に続く荒野が広がっている。

 どの道も危険であり、そう易易と突破できるものではない為魔族たちはこの地を根城として暮らしているのだ。


「離せ。貴様が殺さないのなら自分で死ぬ」

「いやそういうのいいんで」


 その内の北側、『へギン大渓谷』。

 幾重にも連なる岩盤の山々で形成され、むき出しの岩壁が視界のあちらこちらで映る。乾燥した大地には僅かばかりの雑草が生えてはいるが、どこを見てもやはり地面は焼け焦げたレンガのような赤褐色で覆われていた。

 かつては巨大な河が流れていたらしく、それによって岩肌が削られ今のような形となったそうだ。

 中には途方も無い年月を掛けて岩の下部だけが削られていき、今となっては地面との接地点が殆ど無い今にも倒れそうな巨岩がそびえ立っている場所もある。

 あまりにも雄大で荒々しい自然を感じさせられるこの地は、探検家の間では大人気の地点スポットだ。


 そんな渓谷の中で、ラウナとネアンは揉めていた。


「いいも悪いもない。吾が死ぬといったのだ、死ぬ」

「いや何をそんなムキになって死ぬ死ぬ言ってんだ。別に俺が殺さねぇって言ってんだから死ぬ必要ねぇだろう」

「貴様に生かされているという現状が気に食わん。死んだほうがまだマシだ」

「そこまで!?」


 始まりはネアンを魔王城から拉致してきた時。

 なぜ自分を生かしているのかというこいつからの問に答えず適当にやり過ごしていたら、だんだん腹が立ってきたのかチクチクとこっちに攻撃をしてきだした。

 それを放置して進んでたらとうとう拗ねてこうなったというわけだ。

 意外とかまってちゃんなのか面倒くさいところがある。

 だからって居たとしたら娘ぐらいの年の少女にここまで嫌われるのは少し精神こころにクルものがあるのだが……。

 まあともかく他の魔族たち騙してまで生かして連れてきたんだからそう簡単に死なれちゃ困るので自殺しようとしているこいつを止めているわけだ。


「死とは救いである、等という話を聞いたことがある。当時は何を言っているのだこいつはと思っていたが今なら納得だ。こんな屈辱的状況耐えられん」

「いやそれ絶対違うヤツ……。っていうか誰だよ魔王城でそんなこと言ってたやつ」

「死とは魂の開放。汚れたこの世界を救う究極の選択なのだ」

「おい魔王がやべえ事言いだしたって!!」


 こいつこんなやつだったっけ。

 さっきまでとだいぶ違う姿に顔が少し引きつる。

 なんにしても今死んでもらうわけにはいかない。

 面倒だけど説得をしなければ。


「死んでもいいのか?」

「世界等消し飛んでしまえば……。なに?」


 おいお前今何言おうとした。


「いやさ?お前が死ぬのはいつでもできるけどさ、俺を殺すのはどんな手を使っても無理な訳じゃん?」

「……心底腹ただしいがそのとおりだ」

「そうだな、どうあがいたってお前じゃ俺は殺せない。でもそれはあくまで今の話だ」

「……」

「今のお前が俺を殺すのは無理だ。でもこれから先お前はもっと強くなる。一方の俺はもう40後半のおっさんだ。お前とは違って年は俺に味方しない。この先俺はずっと衰えていくだろう。そうなりゃお前でも殺せる時が来るかもしれねぇ」


 よしんば俺を殺せなかったとしても、元々魔族と人間だ。人がせいぜい百しか生きれないのに対して向こうは三百は軽く生きる。どのみち俺が先に死ぬであろうことは変わらない。


「……だがそれはお前がそれまで私を殺さなかったらの話だろう。途中で気が変わって吾を殺さない保証がどこにある」

「それはないな。残念ながら」


 確かにその懸念は分かる。

 俺が成長するこいつを途中で殺さない保証はどこにもない。

 気まぐれで生かしているんだ。いつ気が変わるか分かったものではないだろう。

 だが。


「だとしてもお前にとってはチャンスではある。それに口約束でしかねぇがお前が俺以外になにかしない限り俺はお前に手を出さねぇと約束しよう」

「……信じられんな」

「だけどお前は信じるしかない」


 どのみち失敗しても今死ぬか後で死ぬかの差でしかない。

 ならば今泥を飲んで後に賭けてみる方がまだいいだろう。


「……分かった。今はこの屈辱を忘れよう」

「そんなに屈辱なことかねぇ」


 敵に負けて生きていられるだけで万々歳だろうに。

 まあその辺は価値観の違いだろう。

 それよりも今はなんとか言いくるめることができて良かったよ。

 柄にもなく少し焦っていたので一安心だ。


「まあともかく、なにはともあれこれから死ぬまでよろしくな」

「よろしくはするか」


 そう言って、ネアンはそっぽを向いた。

 この気難しい性格には、暫く苦労することになりそうだ。

 それはともかく、こうして俺とネアンとあと一人、計三人の旅は幕を開けた。

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