ガヴァ

かえさん小説堂

ガヴァ

 その少年が目を覚ますと、目の前は真っ赤であった。


 そこかしこで大きな炎が巻き上がり、常に人の悲鳴が聞こえてきている。少年が立っている足元はぬかるみになっており、ドロドロと粘着質な泥が、小さく傷らだけの足にまとわりついている。


 少年は混乱した。ボロボロになった灰色の服の端を掴み、辺りを見回して息を飲む。


 周囲はことごとく赤と黒に染まっていた。ここは騒がしく、鬱々とした雰囲気を感じさせる。聞こえてくる声は喧騒や呻き声ばかりであり、誰もが苦しんでいるように見える。裸体の男女が目の前を駆けていった。男女の足は見るに堪えないほど傷だらけで、焼けただれた皮膚の隙間から骨が垣間見えている。


 少年は叫びだしたくなるのをグッと堪えた。今叫んでしまったら、一緒に胃の内容物まで出てきてしまいそうであった。


 少年が目を逸らすと、そこは無数の灰色が天に向かって伸びていた。灰色の線。針のようであった。先の尖った巨大な針が無数に伸び、先端に赤黒いシミを浮かばせていたのである。


 少年は後ずさった。ねちゃねちゃとまとわりつく泥を必死に振り切りながら、どこかに安全なところはないかと、辺りを見るともなく見回す。


 ふと、背中に悪寒を感じた。


「君、一人?」


 背後から若い男の声が聞こえる。年齢は自分と同じくらいであろう。少年は助けを乞うように急いで振り返った。


「一人なの?」


 少年の目の前には、ふよふよと不安定に宙に漂う双子の男児たちがいた。双子はいずれもニタニタとした笑みを浮かべている。先ほどの惨状など、まるで意に介さないというように。


 二人共、顔つきがよく似ている。髪型と服装が同じであったら、どちらがどちらなのか見分けがつかないほど。


 一人は長く赤い髪を持っていた。ヨーロッパの貴族が着るような綺麗な正装を身に着けている。瞳は髪色と同じ赤色であり、人間ならば白色であるはずの眼球は深い黒色になっている。半ズボンから覗く足はヤギのそれのような形状をしており、頭部の左右からも、その年齢にそぐわないような大きな黒いヤギの角が生えていた。


 もう一人は対照的に、短く青い髪を持っている。身なりは一人と同じものであるが、蝶ネクタイは青色であった。それ以外はほとんどが同じであり、ヤギの足と角も、同じく健在である。


 少年は怯えた顔をして後ずさる。それを双子は満足そうに見下ろし、カラスのような笑い声をあげた。


「日和ってらァ。ねェ、セイン」


「日和ってるねェ、イン」


 双子は少年をからかうように周囲を漂い、目まぐるしく位置を変える。


「地獄は初めてかい、少年」


「地獄は初めてだろうねェ、少年」


 その馬鹿にするような声に、震えながらも、少年は怒気を込めて言った。


「おい、ここは何処なんだよ」


 握りしめた拳を隠す。少年は震えが止まらなかった。しかしそれをあからさまに見せることは、少年のプライドが許さない。


 必死に強がっている少年を見て、ますます双子は目を合わせて笑った。少年はイライラを募らせていき、とうとう大きな声で怒鳴る。


「何とか言ったらどうなんだ!」


 その甲高い大声に、双子はピクリとして動きを止めた。不安定に漂っていたその身を正し、にやけ顔を仕舞って、少年の目の前で気を付けの姿勢をする。足はぬかるみについていない。


「失礼したね、少年」


「失礼したよ、少年」


 真面目にすました表情は端正で整っており、その様は美少年というにふさわしいものであった。


「挨拶をしよう。僕はインだ」


 イン、と名乗った赤髪の少年は恭しく礼をする。


「挨拶をする。僕はセインだ」


 セイン、と名乗った青髪の少年が握手を促してくる。


 少年は困惑したように、セインの差し出した左手に手を添える。セインはグッと力を籠めて握手をし、ブンブンと腕を振った。


「ここは地獄だ。君は死んだ」


「ここは地獄さ。君は殺された」


「なんだって?」


 少年は眉を吊り上げた。その瞬間、少年の頭に鈍い痛みが走る。強い耳鳴りがする。金を削るような嫌な音が響いて、その音の中に老人の声が混じる。しかしその音と痛みはすぐに止み、波のように引いていく痛みに、少年は息を弾ませた。


「記憶を思い出している」


「魂が思い出そうとしている」


 インとセインは互いの目を見あってにんまりと口を曲線状にゆがめた。まだあっけにとられている少年に、双子は腰を折り曲げて顔を近づける。


「君がどうして死んだのか」


「君がどうやって殺されたのか」


 二人はフウ、と吐息をかける。少年の眼前に若い女の顔が映って、すぐに消えた。チカチカとする視界に、少年は首を振って対抗する。


「思い出したほうがいい」


「忘れないほうがいい」


 二人の表情を鬱陶しがるように、少年は不愉快そうに距離を取った。


 両手を振って双子を追い払おうとするも、彼らは表情を崩さないまま、その場で宙に浮いたままである。少年はイラついた感情をそのままぶつけるかのように二人をにらみつけた。


「俺が死んだなんて、間違っている!」


 双子は何も言わずに黙っていた。ちらと互いの目を見やり、それでいてにんまりと口元をゆがめている。


「だいたい、俺が殺されていいはずがないんだ。死ぬべきだったのはあいつらなんだ、なのにどうして俺がここにいるというんだ」


「さァ」


「はァ」


 少年は地団太踏んだ。足に跳ねる泥も気にせず、バシャバシャと泥を跳ね散らかしている。


「お前らは一体何なんだ。同じことを繰り返して、気味が悪い」


「僕らは地獄の案内人、常に死者を管理する」


「僕らは地獄の案内人、死者を管理するのが僕らの仕事」


「俺は生きるべきだったのに」


「はァ」


「へェ」


 小首をかしげ、双子は不思議そうに少年を見る。


 少年は爛々と目を輝かせていた。怒りと憎しみに満ちた目である。双子はそれを日常のように眺めている。この少年もまた、この地獄の住人にふさわしい人物であるということであろう。




 少年はこう言った。


 自分が殺されてしまったのは、気が狂った祖父のせいであると。


 元来、自分の家はキリスト教を信仰していた。だから自分もよく教会に出向いて祈ったし、それなりに信仰心もあった。


 だが祖父は自分のことを、悪魔の子だと言うのだ。


 少年は醜い容貌をしていた。しかしそれはすべて悪人のせいであった。少年はいじめられ、周囲の連中から、ずっと攻撃を受けてきたせいなのであると。


 祖父は自分のことをひどく恐れていた。少年は悲しんだ。祖父は日に日に少年を遠ざけていたが、ついに、その一発を与えてしまったのだという。


 その衝撃で少年は死んでしまった。


 そう言った。



 しかし、双子はニンマリと笑った。


 地獄の管理人である彼らは、対になる存在の天国とも連絡を取っている。


 天国にいる彼の祖父が言うには、こうだった。


 彼は昔から虚言癖を持っていた。鏡の自分の姿を見てはそれをいじめのせいだとわめいて、知らない同じくらいの年の子供を指さして加害者だと言うこともざらだったという。教会では居眠りばかりしているし、乱暴で、すぐに人に手をあげる。そしてそれに罪悪感を持たないらしい。


「あれがとうとう、隣人に手をあげようとしていたのです。ただ隣人は、世間話をしていただけなのに。それをあれが勝手に勘違いして、自分の陰口を叩いていると思い込んだのです。あれは隣人に手をかけようとしました。平然とした様子で。だからワシは止めたのです。あの恐ろしい子を、止めようとしたのです」



 地獄の日々は続いている。あの少年のような悪人がいる限り。


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