四幕 復讐令嬢は断罪する

“断頭”という言葉から連想するもの──最初に挙げるとすれば、やはりギロチンだろうか。受刑者の命を刈り取る、タナトスの大鎌。痛みを伴わない慈愛を持ちながら、大衆に享楽をもたらす娯楽性も兼ね備えている。


 ではその名を冠する断頭会も、死に魅入られた民衆娯楽なのだろうか。否、断頭会とは何かと問われたら、ユースティアはこう答えることにしている。


 裁判に見立てた、偽りだらけの私的制裁場。ギロチンより余程たちが悪い、貴族たちの暇潰し。


 被告に原告、証人に裁判官……参加者には仮面の着用が義務付けられ、その場で起こること全てに箝口令かんこうれいが敷かれる。裁判官の判決は絶対、冤罪だろうと刑は容赦なく執行される。それが断頭会という催し物だ。そんな貴族による貴族のためだけの道楽も、今日は少しだけおもむきが違うらしい。


 バルコニーで居丈高いたけだかに振る舞う、レンブラント帝国第二皇子。三人兄弟の中で最も狡知であり、生まれ持った地頭の良さをろくなことにしか使わない。その悪名高さゆえ人前に立つこともなく、唯々ただただ天使のような見た目だとそんな噂が流れるばかりである。


 ──なんて。余所見をしている暇は到底ないのだけれど。


 ユースティアは咳払いを済ませると、改めて仮面の男に目を向けた。バルコニーに向かって恭しく頭を下げる姿は、ある種の余裕さえ感じさせる。舐められたものだと、彼女は瞳を細めた。


「端的に言おう。君は今、殺人の罪が問われている。先日の号外は読まれたかな?」


「ええ。帝都で人が殺されたという、物騒な事件ですよね」


「そうだとも! ああ、良かった。あんな片田舎でも新聞は届くんだね」


 男の言葉に、群衆はくすくすと肩を揺らし合う。そこまで憐れんでいただけるのなら、是非とも帝都近くの土地と引っ越し費用を恵んでほしい。


 男、もしくは観客の挑発を無視して、ユースティアは話を促す。


「……それで。その事件と私に、一体何の関係が?」


とぼけないでくれ給え。犯人は君だろう? しかも、あのロータスを使っての犯行だ」


「なんとおぞましい!」オペラ歌手顔負けの声量で男は言い放つ。ロータスという単語に、群衆の騒めきは一層大きくなった。


 男は得意げに胸を張ると、懐から何かを取り出した。同じくして、ユースティアとその周囲に同じ大きさの紙が配られる。


「これはとある御人から戴いた写真でね。真ん中に写っている女性が、誰だか分かるかな?」


 見ると確かに、そこには女性の後ろ姿が写っている。手には凶器と思しき注射器が握られ、怯える男性に詰め寄っているようだった。しかし、分かるのはそれだけ。これで個人を特定するのには、少々難があるだろう。……そう、普通ならば。


「ユースティア様よ。ユースティア様に間違いないわ!」


 しかしここは、泣く子も黙る断頭会。真実など簡単に歪んでしまう。誰かが叫んだ言葉に、次々と賛同の声が上がった。もちろん、渦中の男もその内の一人だ。


「そうだとも! この写真は正しく、犯行現場を収めたもの。それに凶器である薬物は、貴女にとって馴染み深い代物だろう。きっと容易く手に入れられたはずだ」


 随分と曖昧な言い方をする。が、それも当然のことかも知らない。なんせ、ユースティアには全く身に覚えのないことなのだから。


「筋書きとしてはこうだ」それでも男は、群衆の心を掴んで離さない。


「近頃流行しているドラッグの密売。その卸元おろしもとである君は取引のため、夜半帝都へと赴いていた。しかし売人と口論になり、敢えなく殺害。その後、馬に乗って逃走した」


 ここに来て、殺人以外の罪も着せようというのか。否、そういう筋書きならば、これも当然の流れなのだろう。大人しく耳を傾けておく。


「しかし君には誤算があった。一つ目は、この写真を撮られたこと。二つ目は、現場に注射器を置いてきてしまったこと」


 確かに凶器が回収出来なかったのは、彼女にとっても痛手だった。しかし捏造という手段がある以上、話の流れは揺るぎないものだっただろう。ユースティアは唇に指を当て、思案を巡らす。


「何か異論はあるかな?」


「いえ、特には。現場に居たことも事実ですし」


 どこまでも冷静な物言いに、男はわざとらしく肩を竦めた。仮面の下は会心の笑みを浮かべているに違いない。


 男はバルコニーへと視線を移した。その意図を汲んだのか、第二皇子が静々と顔を覗かせる。「求刑は決まったかな」心地の良いテノールが再び地上へと降り注ぐ。


「私とて、幼気いたいけな少女の未来を奪いたくはありません。騎士団に捕まれば、それこそ斬首されてお終いだったでしょう。あそこは、血の気の多い第一皇子が仕切っていますから」


 尻込みでもしたのか、最後は消え入るような声音で囁いた。それでも、日頃から騎士団への鬱憤があったのだろう。言わずにはいられなかったようだ。


「ですが、折角の断頭会です。少しくらい芸が無ければ」


 男が嫌らしげに靴を鳴らした。それからユースティアの目前で立ち止まると、その輪郭を丁寧になぞる。


「“ロータスイーター“の製造方法。君が知っているそれを、是非とも教えていただきたい」


 男が発した単語に聴衆は静まり返った。息遣いすら聞こえない。誰もが次の──ユースティア・シルヴァリオの言葉を待っているようだった。


「ロータスイーターだなんて……読み語りがご所望だったのなら、そう言ってくだされば良かったのに」


「君の口から仔細を聞けるということかな? それなら願ってもないことだ。よろしく頼むよ」


「仔細も何も御伽噺なのですから、そのままを語るのみですが」


「その御伽噺になぞらえたのは他でもない、我らが皇帝陛下だ。可愛らしい発想だと、微笑んでいる場合ではないのだよ」


 可愛らしいとは、随分と皮肉の効いた言い方をする。基となった話を考えれば、子供に聞かせるのもまわしいというのに。


 そもそもロータスという名前は、メイリアが付けたものではない。騎士街の死体含め、一連の事件がとある物語と酷似していたため、後にそう名付けられたのだ。


 著者不明の古書『ユリシーズ』。表題の由来は初代皇帝ユリシーズ・レンブラントであり、中身は彼に纏わる伝説を物語調に仕立てたものだ。


 航海士だったユリシーズは船旅の途中、ある部族と出会う。彼らが食すロータスなるものは大変美味であり、故に故郷へ帰ることさえ忘れてしまう味だったという。ユリシーズは放蕩三昧の仲間たちを無理矢理連れ出し、船旅を終えた。……ここまで聞けば、愉快な冒険譚のひとつのように思えるだろう。しかし、本当に忌まわしいのはこの後だ。


 旅からの帰還後、蓮を食べた者たちが遺体となって発見された。人々は囁く。これはきっと、部族の呪いだと。


 ユリシーズは同志のかたきを討つべく、再び船へと乗った。そうして部族を殲滅せんめつさせると、今度は英雄として帰還する。しかし、


「あくまでこれは物語。ロータスイーターなんて薬は、今も存在しないでしょうに」


 ユリシーズは程なくして病を発症する。彼の四肢には見たこともない花が咲き、中には実を付けるものもあった。後にその花実はなみから薬が完成するも、時既に遅し。ユリシーズは息を引き取っていた。


 だが、解毒薬のお陰で部族の呪いは解かれ、人々は救われた。死して尚、英雄は国民を救ったのだ。


「そうだ。だからこそ、陛下は今もロータスに苦しめられている。しかし、実際はどうだろう。我々が知らないだけで、陛下の治療は既に終わっているのではないか? 解毒薬があるとすれば、ロータスは最強の身体強化薬になる。実に良い商売になりそうじゃないか」


 その声は先ほどと打って代わり、引き潮にも似た囁きだった。それから「どうかな」と、男は意味ありげに首を傾げる。仮にも皇族が参列しているというのに、何たる強気な態度。これも断頭会が為せる技かと、ユースティアは目を伏せた。


「どうも何も、私には分からないことばかりで。仮に貴方の憶測が正しいとしても、シルヴァリオ家には関係のないことでは?」


「いや、関係はあるとも。事実、メイリア・シルヴァリオの処刑は執行されていない。彼女の生存が何よりの証拠だ」


「…………それは」


 寸でのところで言葉を砕き、空気と共に飲み下す。それさえも悟られまいと、ユースティアは再び感情を消す。


「夢物語も良いところですね。一周回って愉快になってきました」


「斜に構えていられるのも今の内さ。この断頭会が開かれた時点で、我々の勝利は確定している」


 やはり、聞き間違いではなかったようだ。どうやら男には協力者が居るらしい。それも余程強力な、判決を確定させてしまう程の存在である。実に断頭会らしい仕込みではないか。


「それはさぞ、退屈な会だったでしょう。ならば私からひとつ、提案してもよろしいでしょうか?」


 余所余所しく手を挙げれば、面白いほど視線が集まってくる。男もまた彼女を一瞥すると、大仰に鼻で笑った。


「もちろんだとも! それこそ夢物語になってしまうが、言ってごらん」


 何を言っても手遅れだと、言葉の裏を読むとすればこんなものだろうか。子供に言い聞かせるような口調も余裕の表れと見える。


「では、お言葉に甘えて」


 それでもユースティアが動じることはなかった。代わりに一礼し、優雅に微笑んでみせる。


「殺人なんて全くの冤罪、しかも薬物の密売まで擦り付けられ、大変遺憾ではあるのですが……そこは、私との仲です。慰謝料だけで結構ですよ」


 仮面の上からでも分かる。男はあからさま顔を強張らせた。無論、刑の内容にではない。反応したのは、ユースティアが発した名前である。


 男は一つ、咳払いを済ませた。平静を装ってはいるが、


「何故ここで、ライラックの名前が出てくる? 彼はこの事件どころか、断頭会にも関わってないはずだが」


「これは失礼しました。正確にはミリオ・ライラック卿と私の仲、ですね。貴方の言う通り、ご息女には何ら関係のないことです」


 それでも、質問してしまったのが運の尽き。男──ミリオ・ライラックは口を開きかけるも、遮る形で彼女は続ける。


「まずは、これを見てください」


 そうしてユースティアは、一枚の紙を取り出した。そして先ほどと同様、周囲にも複写されたものが配られる。


「マーダー社から出版された号外と、他の新聞社の朝刊の切り抜きです。見ての通り、殺人事件に触れているのはマーダー社の号外のみ。他の新聞では、そのような事件は見受けられません」


「そ、そんなものは、マーダー社の記者が優秀だっただけの話だろう。今回の件とは何も」


「関係ありますよ。何せこの号外、事件が起こるより前に刷られたものですから」


 たじろいではいるものの、まだ反論する元気はありそうだ。だがそれも、ユースティアによって一蹴される。


 記事についてはやはり、予め用意されたものと考える方が妥当だろう。そして用意できるということは、事件の発生を事前に知っていた場合のみ。つまり仕組んだ側の所業と言える。何れにせよ、マーダー社が一枚噛んでいることには変わりない。


「分かったぞ、真犯人をマーダー卿にするつもりだな? 婚約者を売るとは、如何にも悪党らしい考えじゃないか」


 流れを変えるためだろう、ミリオは半ば強引に口を挟んだ。そのまま畳み掛けるべく、早口で捲し立てる。


「だが残念だったな、我々は端から協力者だ。君の罪を暴くため、ずっと前から徒党を組んでいたのだよ」


「……我々、というと?」


「それはもちろん、私とマーダー卿のことだとも! 何を隠そう、先程の写真も彼から戴いたものでね。そもそもの話、この断頭会は彼の催し物だ。自分が不利になるような真似をする訳ないだろう?」


 同意を求めるようにミリオは聴衆を見渡した。ここで肯定を得られれば、今度こそ彼の独壇場となっていただろう。しかし、


「──やはり貴方は、何一つ理解していないようですね」


 それは確証を得た自信などではなく、どこか憐憫を感じさせる口調だった。予想と反する態度にミリオも言葉を詰まらせる。ややあって、ユースティアが口を切る。


「確かに私は、この事件の当事者です。先程のように捏造されては、言い逃れ出来ません」


「ならば」と、今度は彼女がバルコニーを見上げる番だった。火矢を向けられても尚、天使は動じない。


「彼に殺人よりも重い罪があれば、少しくらい、私にも分があるでしょう?」


 返答など端から期待していなかった。だから早々に背を向け、再び男と相対する。ユースティアの声が響き渡ると、会場には静寂が降りた。みな様子を伺うというより、現状を理解出来ていないらしい。それはミリオ・ライラックも例外ではなかった。こちらを見つめるばかりで、彼の声は音にすらなっていない。しかし構うことなく、ユースティアは続ける。


「貴方たちが共犯関係にあることくらい、事件の流れを見れば誰でも分かります。そんな分かりやすい罠があって、対策を立てないとでも?」


 会場は既に、静寂から放たれつつあった。だが聴衆の視線はユースティアではなく、入り口である扉へと注がれている。ミリオも気付いた風にそちらへと目を向け、刹那、大口を開けて青ざめた。急いで人混みに紛れようとしたが、もう遅い。


「その者を捕らえよ!」


 聞き覚えのある声が会場中に響いた。扉から押し寄せてきた黒衣の集団、否、レンブラント帝国騎士団は、瞬く間に処刑人を取り囲む。突き付ける刃はギロチンと程遠いが、そこまで求めるのも筋違いな話だろう。


「これで幕引きです」息を吐き、ユースティアは告げる。


「ミリオ・ライラック伯爵。私は貴殿を、ロータスを使った国家転覆の罪に問います。これはこの場に居る者たち、そして、が証明してくれることでしょう」


 ──どこかで一つ、拍手が上がっていた。それは騒音の中に紛れていたが、彼女は迷わずバルコニーへと目を向ける。


 見合った仮面の奥で、深海のような碧眼が愉しそうに歪んでいた。

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