三幕 復讐令嬢は招待される

 シルヴァリオ邸に着く頃には、随分と高い位置に太陽が在った。


 裸馬に乗るのは初めての経験であったが、存外快適な旅だった気がする。アリステラの技術もそうだが、何より馬が良かったのだろう。思えば、あんな騒動があっても随分と大人しくしていた。ユースティアがお礼も兼ねて撫でてやると、得意げに鼻を鳴らす。


「取り敢えず厩舎きゅうしゃ、は無いから、この仔はテラス横にでも繋いでおこう。ティアは郵便受けを確認して来て」


 アリステラから哀れみの念を感じたが、敢えて気付かない振りをしておく。不承不承ながら郵便受けを開けると、そこには新聞、そしてメッセージカードと思しき封書が入っていた。


「マーダーから……?」


 送り主を確認すると、“マーダー”という文字が真っ先に飛び込んでくる。宛名は勿論、ユースティア・シルヴァリオ。


 この場で開封しても良かったのだが、咄嗟にアリステラの顔が浮かんだので手を止めておく。きびすを返し、直ぐに屋敷へと向かう。


 自室に戻ると香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。テーブルには紅茶とホットサンドが並べられており、傍らにアリステラが佇んでいる。


「シルヴァリオ卿のところには?」


「先ほど挨拶に。取り敢えずいつも通りだったので、後のことは任せて戻って来ました」


「なら良かった。じゃあ僕たちも、遅めの朝食にしようか」


「現状整理も兼ねて」彼の目は既に二つの郵便物へと向けられていた。ユースティアも頷きを返す。


「届いていたのは新聞と封書の二つ。送り主はマーダーからでした」


「それは片方? それとも」


「はい。です」


 アリステラは顎に手を当て、それからにやりと口元を歪めた。「新聞から確認しよう」彼が指をさす。


「日付は今朝になっていますね。朝刊、いえ。号外みたいです」


 新聞を広げつつ、ユースティアは順序良く情報を拾っていく。次いで見出しを読もうとしたところで、


「な、ななな、な!」


 新聞紙を持つ手が、わなわなと震え始める。その様子にアリステラは破顔し、あろうことか「どうしたの?」と問いかけてくる。わざとらしいことこの上ない態度だった。深呼吸を数回行い、湧き上がる怒りを必死に鎮める。


「──“深夜の帝都で殺人事件。薬物による毒殺か”」


 不本意だが仕方ない。仔細しさいを掴むべく、音読を続けることにする。


「“犯行現場は薬物の売人も出没する路地裏。被害者付近には空の注射器が落ちており、目立った外傷もないことから凶器と断定されている”」


“現場には乗り捨てられた馬車もあり、犯人は馬に乗って逃走したものと考えられる。具合的な死亡推定時刻及び薬物の成分は目下分析中であり”──。


 そこまで読み終えると、ユースティアは力尽きたように突っ伏した。その口から「どうして、どうして」と壊れたレコードのように漏れ出している。


「どうしても何も、初めからこれが狙いだったってことでしょ」


「てっきり今回も暗殺だとばかり……まさか、殺人事件にするなんて」


「それはどうかな。死体ならいくらでも偽装できるし、向こうもそこまでのリスクは犯さないと思うけど」


「それに」アリステラはティーカップを置くと、紙上をなぞった。


「情報の回りが早すぎる。今朝投函されたのなら、昨日の時点では刷り上がってないと」


「でもこれ、かなり仔細ですよ? 逃走経路だって合ってますし」


「あの場で出来ることなんて限られてるからね。動きを読まれていたとしても不思議じゃないよ」


「……際ですか」


 素直に諦めろと、そう言いたいらしい。ならばもう何も言うまいと、ユースティアは再び記事に目を落とす。


「じゃあこれ、今後も捏造し放題ですね。このままいけば、薬物の成分もロータスってことになりそうですし」


 もしかしたらヘンリエッタの言っていた噂も、このための布石だったのかも知れない。先入観を植え付けておくことで、断言せずとも真実にしてしまう。母の時のように。


 だが意外なことに、アリステラは首を横に振った。


「多分、記事はこれでおしまい。真相は闇の中になるだろうね。勿論、死人が居ればの話だけど」


「何故ですか? 私のせいにしたいのなら、このままでっち上げた方が早いでしょうに」


「それだと騎士団が動いちゃうでしょ。私刑リンチに出来ない」


 何処からともなく、アリステラがペーパーナイフを取り出した。封を切ると、中には“招待状”と表された漆黒のカードが入っている。結婚や婚約を祝うものにしては少々縁起の悪い色である。


「ほら、お待ちかねの断頭会晴れ舞台だよ」


 だからこれは地獄への片道切符。帰るためには、自らの手で真実を掴まなければならない。


 頭を抱えるユースティアの肩に、アリステラの手が置かれる。


「婚約ということなら、表向きは祝賀会として行える」


 なるほど、だからこその“縁談”なのか。暗殺は日常茶飯事であったが、正面から相対されたのは初めてのことだった。どういう風の吹き回しかと思えば、まさか断頭会だんとうかいをご所望とは。


「……色々と言いたいことはありますけど、このままでは埒が明かないというのも確かですね」


「準備をしなくては」そう言って顔を上げる姿に、アリステラは目を丸くした。「珍しく乗り気だね」と次いで零せば、


「七年前の二の舞にはなりたくないですから。それに、前々から気になることもありましたし」


 遅かれ早かれ調べていたことだ。手間としては変わりないとユースティアは続ける。


「本当は帝都にも行っておきたいのですが、この状況では難しいでしょうね」


「そうそう。犯人は現場に戻るって言うからね」


「また貴方は、そんなことを」


 だが殺人の容疑が掛けられている今、無闇に出歩くのは得策ではない。行動を制限することも、敵方の狙いとしてあるのだろう。いずれにせよ、自分に出来ることは数えるほどしかない。


 笑えない冗談だと目を伏せ、先の招待状に手を置いた。


「私の命以外に興味があるとは、何とも酔狂なことで」


「そこもほら、十分身に覚えのあることでしょ?」


「………………」


 沈黙は肯定と同義だった。ユースティアの胸中を察したのか、アリステラが満足気に笑む。その表情をめ付けた彼女は、


「本当、ムカつく人ですねぇ」


 悪態をついて一口、ホットサンドにかじり付いた。

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