二幕 復讐令嬢は巻き込まれる
レンブラント帝国はその名の通り、レンブラント家を君主とする国家である。四方を海に囲まれ、遥か昔から交易を国の基盤としてきた。中でも現皇帝シューベルト・ルーク・レンブラントは初代皇帝ユリシーズの再来とまで謳われ、事実、彼の航海により多くの同盟が結ばれた。
屈強な肉体こそなかったものの、彼には未来まで見通す聡明さがあり、手足となる騎士が居た。彼の背中に夢を描いた者も少なくないだろう。……メイリア・シルヴァリオと、彼女の作ったロータスが現れるまでは。
元々違法ドラッグの類は存在していたが、ロータスほど名を馳せたものもない。創傷治癒に造血作用、更に他の薬物とは比にならない多幸感の獲得。巷に流通しているものの殆どが粗悪品だが、それでも効果は絶大と聞く。正しく御伽噺のような薬を、メイリアは生み出してしまった。
メイリアは医師であると同時に、優秀な植物学者でもあった。研究の過程で出来上がったそれは、主に緩和医療の分野で活躍するはずだった。しかし臨床試験の段階で事件は起こる。
最初に異変があったのは騎士街だった。帝国の軍人たちが次々に亡くなったのである。その大半が司法解剖に回されたものの、原因は分からず
同時期、市街の病院から大量のロータスが盗まれた。セキュリティも万全だったことから内部の犯行が疑われ、実際、当時警備を勤めていた人間が連行された。その者が運び込んだ先こそ件の騎士街であり、国家反逆計画の始まりだと言われている。
事件以降シューベルトは表舞台から姿を消し、国民の生活も大きく変化した。だから戦犯であるメイリアは、実に多くの恨みを買っている。それは娘であるユースティアも例外ではない。同じ血が流れているだけで命を狙われる。
──
「素敵な寝顔だったよ」
次いでそう微笑まれたが、目はまったく笑っていなかった。二人きりのためか、はたまた疲れているせいかは分からないけれど、口調を
件のお茶会から数日後。ヘンリエッタからの言伝通り二人は入り用、要は嫁入り道具を揃えるべく帝都へと赴いていた。屋敷を出たのが、確か十七時過ぎのこと。それから化粧品に髪飾りと、初めは順調そのものだったのだが、
「何が楽しくて、ドレス作りに七時間も掛けなきゃいけないんですかねぇ」
最後に訪れたドレスショップで誤算が生じた。オーダーメイドなど頼んだ覚えはないのだが、一体どういう風の吹き回しだろうか。素材選びやらデザインやらで大幅な時間を取られてしまった。既製品で済ませようとユースティアは散々進言したのだが、
「そこはほら、折角の晴れ舞台だし。きちんとしたものを着ないと」
「そんな暇とお金があるなら、家の
店員に聴けば、ライラック卿の計らいだという。祝い金とでも言いたいらしいが、是非とも現金で頂戴したかった。それを了承したであろう父も父である。相変わらず甘い人だと、館で待つ顔を思い浮かべる。気の抜けた寝姿を想像して、ユースティアは口元を緩ませた。
「何にせよ、夜明け前には着きたいところですね。座ったままなのも疲れますし」
「ティア、そういう願望は口に出さない方が身のためだよ」
「どうして? そういうジンクスでもあるんですか?」
「ジンクスというより、そうだね。簡単に言えば」
アリステラは言葉を区切ると、今度は窓に視線を転じた。カーテンを降ろしているので、外の様子は分からない。それでも彼は注視している。
「こういう時は大抵、お約束の展開が待ってるからかな」
次の瞬間、先程とは比べ物にならない振動が二人を襲った。
傾く車体にバランスを崩し、意図せずアリステラに寄りかかる。そのまま数秒待機するも、馬車は静止したままだった。どうやら地震による揺れではないらしい。
「すみません、大丈夫ですか?」
ユースティアを抱えたまま、アリステラは
「様子を見に行こう。立てる?」
「そりゃあ立てますけど、私も一緒に行く流れなんですか?」
「当たり前でしょ。さぁ、お手をどうぞ」
一体どこの国の当たり前なのか、是非ともご教授願いたい。だがあまりの圧に抗議することも叶わず、ユースティアは渋々その手を取った。
降り立った地面は石畳だった。車輪を見遣ると縁石に乗り上げており、揺れの原因はこれだったかと一人得心する。落輪している訳ではないようなので、自力でどうにか出来そうな範囲だ。
しかし舗装されているということは、ここはまだ帝都の中のようだ。それにしてはガス灯が数える程しかない。馬車道と呼ぶには心許ない明るさである。御者は何故、この道を選んだのだろう。
「すみません! 大丈夫ですか?」
幾分かボリュームを上げ、先程と同じセリフをアリステラが問うた。それでも御者台の人影は沈黙したまま、ぴくりとも動かない。
「さすがに、これは」ユースティアは
「何かの病気かも知れない。とにかく降ろそう、ティアは足の方を」
「それより人を呼んだ方が……いえ、すみません。分かりました」
時刻は既に二十五時過ぎ、その上ここは人気のない路地裏。救助の望みが薄いことは、誰の目から見ても明らかだった。ユースティアは頭を振り、
御者台に登ったアリステラが、もう一度声を掛けた。それでも身動き一つしない男に、今度は手を伸ばす。
「──アリステラ」
「避けて!」そう叫んだのは他でもない、ユースティアだった。あまりの剣幕に、疑念を抱くより先に身体が反応する。アリステラが上体を翻すと、右腕に何か
男が手にしていたのは、注射器だった。
「狸寝入りとはやるね」
「そんな悠長な。こちらは丸腰なんですよ?」
シルクハットのせいで表情は分からないが、正気の沙汰ではないのは確かだ。この道を選んだのも意図したことだろう。強盗、殺人、誘拐。あらゆる罪名が、ユースティアの脳内を駆け巡る。
「考え事なんて、悠長なのは君の方だよ」
アリステラの声に、彼女ははっとして顔を上げた。見れば、もう一方の手にはダガーまで握られており、男は
アリステラの言う通り、考えている暇はない。とにかく今は、助けを呼ばなければ。
一先ず駆け出そうとするユースティアを、アリステラがぐっと引き込んだ。そのまま片腕で抱えられ、逃すまいと肩を掴まれる。
「それよりも、もっと手っ取り早い方法がある」
囁かれた言葉に、ユースティアは生返事を返した。それを承諾と受け取ったのかは定かではないが、アリステラは口端を吊り上げる。
男は奇声を発しながらダガーを振り上げた。大振りな動きは見た目通り隙だらけで、吸い込まれるようにアリステラの蹴りが入る。足先は男の手を弾き、宙を舞うダガーをアリステラが奪い取る。「戦うつもりですか⁉︎」ユースティアは眼を剥いた。
「戦うだなんて、相変わらず野蛮な発想なことで」
「いや、足技を使う時点で十分野蛮、えっ、ちょっと‼」
突如襲ってきた浮遊感に、思わず声を荒らげる。担がれているのだと理解した時には、アリステラが手綱を切断していた。それから人とは思えぬ跳躍力で馬に跨る。
なるほど、これは確かに手っ取り早い。流石に馬の脚力には勝てないだろう。事実、瞬く間に男の姿が遠ざかって行く。前で抱えられていたユースティアは、人知れずほっと胸を撫で下ろした。しかし、安堵している暇はない。
「出来ることなら、あの注射器も回収したかったんですけどねぇ」
「何もしてない人間が贅沢言わないでよ。あと、ダガーは捨ててきたから。今は何もないよ」
「え⁉︎ どうしてです? 大事な証拠品なんですよ?」
「だって、僕が持ってても仕方ないでしょう」
「だったらせめて私に……まぁ、もういいですけど」
贅沢を言っていることはユースティアにも分かっていた。だから言葉を呑み込み、代わりに思案する。
注射器の中身に、襲われた理由。誠に残念ながら、どちらにも心当たりがある。
彼女はふと、アリステラに言われたことを思い出した。これがお約束の展開というのなら台本のひとつくらい、こちらにも用意してほしいものだ。
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