第2話 桜とペチカ

「カタル、元気になった? じゃあまたいつものケーキ屋で、今度はシュークリーム買ってきて」

「病み上がりの弟にお遣いを頼む姉ちゃんの図太さなんなの?」


 文句を言いつつ出かける準備を始める。準備と言っても適当な鞄に財布と家の鍵を入れ、移動中に音楽を聴くためのイヤホンを探すだけだが。

 自転車を使ってもいいが、万が一地面の凹凸にタイヤがぶつかって弾みをくって、ケーキの形が崩れたりしたら姉が怒ること間違いなしだ。怒った姉は敵に回したくない。

 シュークリームならば形が崩れることなんてないだろう、という意見もあるだろう。しかし姉の言う買ってきてほしいシュークリームとは、シュー生地を半分に切り、下部のくぼみにカスタードクリームを盛りに盛って、やりすぎというくらい盛られたクリームの上にオシャレなベレー帽を被せるように上部のシュー生地を斜めに添える形をしているのだ。

 ひっくり返ったら大惨事間違いなし、みっともないことこの上ない。

 その可能性を加味して、自転車は使わない方がいいだろう。


「だってカタル、あんたここ最近ずっと寝込んでて外なんてまともに出ていないでしょう。少しくらい外に出なきゃカビが生えるわよ」

「人間にカビが生えるわけないだろ」

「あんたなら生えそう」

「どういう意味だ」


 俺のささやかな抗議を無視して「それにそろそろ桜並木の桜、散っちゃうわよ。一年に一週間くらいしか見られないんだから、見ておきなさいよ」と殊勝らしく言う姉は、雑な言葉と行動の割りに優しいと言うか情緒豊かと言うか……まあ、悪い人ではないのだ。

 怒ると怖いし寝起きはもっと怖いくせに、嫌いになれない。


 いってきます、とイヤホンも無事見つけて装着しながら玄関のドアを開けると、ふわりとなにかいい匂いが香って来た。はて、なんの匂いだったかな、と思案を巡らせて様々な記憶と照らし合わせる。

 近所のお寺の白檀の匂いでもないし、匂いの強い藤の季節はもう少し先だ。


「あ、なるほど……桜か」


 空模様をそこまで意識していなかったから見落としていたが、少しばかり厚めの雲が空を覆っている。牛小屋などの臭いも天気によって鼻を突くほどキツくなるときがあるが、それと同様に花の匂いも天気によって強くこちらに漂ってくることがあるのだ。

 しかし桜並木には少々遠い我が家に桜の匂いなぞ届くか……と視線を彷徨わせる。近くに桜があるかもしれないからだ。

 姉も情緒豊かだが、俺とて日本の四季を愉しむ心は持っている。桜を見ると思わずぼんやりしてしまうし、綺麗なものは少しでも多く目に映したい。

 そんな気持ちで探したがなかなか見つからず、まあ多く目に映したいとは言えそこまで積極性のある気持でもないな、と今度はあまりに淡白な理由で桜捜索を打ち切った。人間とは両極端な感情をその身体の内に秘めているのだ。


 桜並木の桜は満開を過ぎて散り始め、枝やガクが覗いてしまって少し寂しい印象を与えた。俺が寝込んでいた頃に盛りだったのだろう。

 惜しい気持ちもありつつ、大通りから逸れた道にあるケーキ屋を目指す。

 今日の買い物はシュークリーム七個。お彼岸に墓参りに来られなかった親戚が、墓参りのついでに我が家に来るそうだ。

 そういう来客があると、我が家はいつでもケーキ屋にお世話になる。

 常連、と呼べるほどかどうかは微妙なところだが。


 ◆


〈ペチカ〉


 目的のケーキ屋。

 蔦の絡む絵本で見たような洋風の家屋に、季節やイベントの要素を取り入れた装飾の花壇や入口の飾りを横目に見ながら自動ドアをくぐる。

 ザ・ケーキ屋、と言った外見だな、と昔から思っている感想を反芻しながら。

 一歩足を踏み入れた途端にふわりと漂う焼き菓子の香り。まるでこれから素敵なことが起こるぞ、と予感させるかのような幸せの匂いだ。

 深く深呼吸をしたくなるがそんなことを入店直後にすれば不審者だ。なので、不自然でない程度の密かな深呼吸で、甘い匂いを堪能する。


 ……ぐるりと、深呼吸のように意識的でなく無意識に、俺は店内を見回した。

 何故なら――思い出したのが、ここだったからだ。


 前世の、記憶を。


 未だどうして思い出したのか、俺にはわからなかった。

 よく見る異世界転生ものである前世の思い出し方は、頭を打ったり高熱が出たり――だいたいなにかしらの外的要因があって思い出すパターンが多い。気がする。生まれ変わってすぐ、赤ん坊のときから理解している、というパターンもままあるが。

 俺が前世の記憶を思い出したのはこのケーキ屋だったが、ここで頭は打っていないし高熱が出たのは前世を思い出してからの情報処理に追われたからなので、明確な外的要因に心当たりがない。


 ケーキ屋〈ペチカ〉の店内も、季節とイベントを存分に楽しめる仕様になっており、入学シーズンだから桜とランドセルを背負った子供のイラストが描かれたポスターを壁に貼り、ところどころに水のない花瓶に造花の桜が挿してある。推しているケーキの模型に『入学のお祝いに』と書かれたカードが添えられている。ケーキの飾りのランドセルは食べられるのだろうか?

 ショーケースに飾られているのは彩り豊かなケーキ類。こちらも桜を推しており、発売当初は午前中で売り切れていたサクラシフォンケーキが、午後の二時である現在も残っている。ただし残り一個だ。注目度が薄れただけで、売れている、と見ていいだろう。

 他のケーキも、王道のイチゴショートケーキやコロンとしたフォルムのモンブラン、ベリー系をふんだんに使ったタルトなど、見ていると全部食べたくなる。

 窓際のスペースには焼き菓子のコーナーがある。スーパーマーケットで売られている焼き菓子の値段を見慣れていると目が飛び出そうになるが、すべて厨房で作っているのならまあ妥当な値段になるのだろう。こちらも我が家では来客用のお茶請けとしてよくお世話になるお菓子たちだ。俺は洋酒を使ったオレンジのブラウニーが好きなので無意識に探すも、今日は売り切れらしく姿がない。


 おっと。

 前世の記憶を思い出したきっかけを探すために店内を見回しているつもりだったのに、いつの間にかただ商品を見て「美味しそう」と思うだけになりかけていた。危ない。

 しかしどんなに店内を見回してもきっかけらしいきっかけは見つからず、俺は首を傾げて「ううん」と唸る。

 姉にお遣いを頼まれて承諾したのには、そういう思惑もあった。

 なにがきっかけで前世を思い出したのか。

 実際にもう一度行けば、なにかわかるかもしれない。

 今のところ梨のつぶてだが。


 もう少し長居してきっかけ探しをしてもいいが、それをしたらこれまた不審者である。ので、今日は諦めて潔くシュークリームを買って帰ることにした。

 もしかしたら我が家にすでに親戚が来ており、俺がシュークリームを買って帰るのをずっと待っているかもしれない、と考え至ったと言ってもいい。


「すみません、今いいですか」


 と、別の作業をしていた店員さんに声をかける。他の店員さんは別の客の注文を聞いていたりケーキを箱に詰めたりしていて忙しそうだった。他の客を相手にしている店員さんに横入りするのは迷惑だろう。

 というわけで、黙々と焼き菓子をカゴに盛りつけている店員さんに声をかけたのだ。


「はい」


 と振り返った女性の店員さんの顔を見て、俺は悟った。

 俺が前世の記憶を思い出したきっかけを。

 すとんと、音がするくらい、腑に落ちた。


 俺が声をかけた女性の店員さんの顔は、前世の俺の妻、『みけ』の顔に瓜二つだったからだ。

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