第1話 熱に浮かされて見た前世

 年端もいかぬ子供どころか、物心がついているかさえも危ぶまれる赤子の頃、俺は買われて忍者としての教育を受けて育った。

 ただひたすらに従属する里のために、ひとを騙し、かどわかし、殺す。そんな生涯だった。

 そういう教育しか受けていなかったから、自分の人生に疑問を持つこともなく生きていた――それこそが里にとってかなり『扱いやすい』忍者であったことには変わりない。

 命令されればそのように動くし、なんらかの甘言に惑わされて裏切るような野心も持たない。

 里の徹底的な教育の賜物。

 その最高傑作とさえ謳われた傀儡が俺だった。

 きっと命令次第では、自身の命も塵芥同然に扱われても文句など言わなかっただろう。


 しかし、そんな俺だったがたったひとつ執着するものがあった。


 彼女は『みけ』と呼ばれていた。

 名前らしい名前などないのだ。それは俺も同様で、同じ頃に買われた子供たちも盗みが上手いから『ねずみ』と呼ばれたり、妙に妖美な容姿をしているから『孔雀』と呼ばれたりといっただけで、恐らく彼女の本当の名にはかすってもいなかっただろう。――いや、そもそも、名前なんて、はなからなかったかもしれない。売られた子供とは、そういうことになるのだから。

 彼女が『みけ』と呼ばれた所以は、おおよその予想通り猫っぽいからだった。陽だまりに寝そべって眠るときはいつも身体を丸めていて、起きると大きく伸びをする。木の実の形をした瞳は笑うと細くなって愛玩動物さながらである。そして彼女は彼女特有の才覚として、遊女として情報を集めることを得意としていた。

 遊女と猫との関係は深い。

 しなを作る動作や夜行性なところが遊女と猫が通じる部分があるとか、かなり有名な遊女がこれまたかなりの猫好きだったとか、よく使用する三味線という楽器が猫の皮を剥いで鞣したものだとか……例を挙げれば尽きぬほど。

 そんなだから彼女は『みけ』が名前代わりだった。


 正確な年は知らなかったが、ほとんど同時期に買われて育てられた俺たちはずっと一緒だった。

 同じように売られて買われて、同じような教育を受けて、そしていつしか、同じ頃に買われた子供たちは俺たちだけが大人になった。


 やがて俺たちは結婚した。

 例え子を成しても妻を愛するな――と言われる忍者だったが、俺は易々とその教えだけ破って生きた。他の教えはきちんと守っているのだからいいだろう――と開き直る始末だ。

 思い返せばなかなか馬鹿だった。

 絵姿女房の昔話さえ連想できるほど、妻であるみけに首ったけだった。

 みけも俺を『旦那様』と呼び、子供はなかなか授からなかったが、周囲に『忍者にそぐわぬおしどり夫婦』と呆れ半分誹謗中傷未満の称号を与えられていた。


「なあみけ、俺は生まれ変わってもお前を探し出して愛するよ。この魂が朽ちるまで、お前だけを生涯の伴侶とする」


 思い返してみれば赤面ものの噴飯ものな台詞だったが――本心からの言葉であることには変わりない。

 こんな恥ずかしい台詞を言って、その次の日に新たな忍務に向かった俺は、忍務中にあっさりとその命を散らしてしまった。

 ぶっちゃけ前フリっぽい台詞だったから、神様がそう解釈したのかもしれない。

 戦に向かうのは初めてではなかったが、前日に足軽に扮した里の同僚からみけの懐妊を聞いて浮足立ってしまった結果、間者とバレてそのまま乱闘に縺れ込み俺は死んだ。

 捕縛される前に命を落として、敵に情報を漏らさず死んだことだけはまあよしとするが……忍者としてどうなんだ? 俺のこの死にざまは。

 最期に脳内を支配していたことも、やはり俺は忍者らしくなくて笑える。


「みけ――みけ、俺のみけ! 愛している、愛している、みけ、愛するみけ……」


 俺を『旦那様』と呼び、花の綻ぶ微笑で俺を迎える愛しい妻への恋慕が、ずっと生命機関が停止するまで俺の内側を駆け巡っていた。


 ◆


 ――といった感じの情報? 物語? ドラマ? じみた映像が、俺の脳内を侵食していった。

 周囲からは、午前中に意気揚々とケーキを買いに来た青年が突然フリーズして、若い女性店員を見つめている、というなんとも不審な現場に見えたことだろう。

 午前中の開店直後で、それほど人がいないことが幸いした。客が多ければ迷惑間違いなしだ。


 頭の中で謎の情報が嵐のように交錯する中、先ほどのフリーズがなかったかのように振舞いサクラシフォンケーキを四つ注文した自分を褒めたいところだ。


 このケーキ屋のサクラシフォンケーキは、風味がより桜を感じられるように、桜の葉が生地に混ぜられている。塩味を持つシフォン生地との相性を合わせるため、クリームの味も考えられていて、他のショートケーキのクリームと比べるとほんの少し甘さが弱い。すると塩味と甘味がより互いを引き立てて丁度いい桜の風味が味わえるのだ。

 白いクリームにちょこんと乗った桜の塩漬けがまた可愛らしさを感じる要素のひとつだ。

 俺が初めてこのサクラシフォンケーキを食べた感想は、「桜餅をいい感じにケーキにしたらこんな感じ」というなかなかお粗末なものだったが、その頃の感想を上回る上手い表現は未だ思い浮かばない。


 大人気ですぐに買わなければ売り切れ必至の美味しいケーキを三時のおやつに食べているというのに、俺はろくに味わいもできぬまま、脳内を占める映像の処理に追われる身となった。


 ◆


 僥倖と言えたのは大学生の春休みは殊更長いという事実である。

 二月の頭、早い場合は一月の終わりに春休みに入ることもある大学生の春休み。三月に入りケーキ屋で桜の名を冠するケーキが流出してもなお、二週間ばかりの余裕があるのだ。

 そんな余裕の二週間を、俺はベッドの中で過ごした。

 ただの自堕落ではない。

 小学生以来の高熱を出し、うなされ、病院にも行ったが詳細な原因はわからず、医者には「知恵熱っぽい感じがするんですけどねー」と軽く判断された。

 実際、知恵熱だろう。

 人間の一生分――およそ二十数年分――の知識や経験を処理するには、二週間は流石に長すぎだと思うが、相当の負荷が脳にかかるに決まっているのだから。


 家族には「なにか悪いものでも食べたの」だの、「新しい授業の予習でもしてたの」だの、「冷凍庫のアイス、食べないならもらっていい?」だの、様子を見に来るたびに質問攻めにされてきたが、流石に「前世に忍者だった記憶を思い出した」なんて馬鹿正直に答えれば、今度は発熱した際にかかった病院ではないタイプの病院に連れて行かれる可能性があるので、熱で本調子でないという建前で適当にかわして対応していた。

 ちなみに冷凍庫のアイスは俺の秘蔵のダッツだったことを「食べてもいいよ」と雑に返した一時間後に思い出し、慌てて前言撤回を申し上げに居間へと突撃したが、前言撤回するには一時間は遅すぎた。


 いや、今は亡きダッツに思いを馳せている場合ではない。

 そりゃ惜しいけれど。

 しかし今考えるべきはダッツではなく、寝ても覚めても自分を追い回す二十余年分の記憶である。


 そう――俺はサクラシフォンケーキを買いにケーキ屋で自身を侵食した映像を『前世の記憶』と断定した。

 忍者として育てられ、戦い、騙し、殺し、そして挙句に殺された――微妙に中二じみた設定溢れる記憶。

 妄想癖乙、とか、中二病イタイ、とか、そんな嘲笑を浴びても文句も言えないタイプの前世……これが本当に妄想や中二病であったならば、愛くるしい妻の懐妊に浮かれてドジを踏んで死んだという事実も都合よく改変できただろうに……。


 知恵熱に侵されて一週間ほど経つと、未だにぼんやりする脳が、前世の記憶を否定する働きと肯定する苦悩を起こして更に五日ほど時間を要する混乱ぶりを見せた。

 すべて自分の頭の中で起こっている現象なので、家族からは「春に急に体調を崩した末弟」という印象しか与えなかったが、まあそう思われていた方が都合がいい。春に体調を崩すことは現実的にも珍しいことではないだろう。

 俺が今までそういうことがない健康優良児だったからいらない心配をかけていただけで。


 前世の記憶という現象はライトノベルで溢れ返るほど読んできたし、前世の存在をすんなり受け入れる主人公に冷笑を覚えることも多々あった。しかしそれが自分に襲い掛かると「冷静になれ、全部お前の妄想だ」と真っ向から否定することも難しいことにも気付く。

 妄想と言うにはあまりにリアルな映像。

 夢と言うにはあまりに写実的なビジョン。

 知識からの突飛な創作のアイディアと言うには……まあ、そうであったら楽しいかもしれない。

 読書が趣味で、趣味が高じて大学でのゼミは「小説ゼミ」を専攻しようかな、などと考えているのだから。

 だが、やはり小説のアイディアが突然閃いたと言うには、あまりに鮮明過ぎる。

 記憶と呼んだ方がしっくりくるほどに。


 ――だから、まあ、前世もあるものとして考えよう。


 大切なのはそれを他人に吹聴しないことである。

 空想癖や中二病が何故、あんなに可哀想に見えたのか。何故、黒歴史となるのか。

 それは自身の非現実的な妄想を、軽々しく他人に吹聴したからである。

 どんなに自分がその妄想を現実だと思い込んでいても、現実世界を生きる一般市民には通じないどころか『イタイ』という印象しか与えない。

 仮に、仮にだ。

 本当にそのイタイ設定が彼らにあったとして、しかしこの現実主義の機械や科学の発展した世界で、そんな非現実的で非科学的なことを主張すればそれはただの妄想と断ぜられてもなんらおかしいことではない。

 昔は信じられていた神や天使が、今ではファンタジーとして扱われているのは、今がそういう時代だからだ。

 もはや宗教さえ、心から信じる殉教者が異端扱いされる場合だってある。

 宗教観の希薄なこの国だから、という前提もあるが。

 だから前世がある(と断定しておく)俺が自らを律して努めるべきは、この前世があることを、おいそれと他人に吹聴しない、ということだ。

 この道から外れ、軽々しく「俺、前世が忍者だったんだよね~」などと話せば次の日から俺は「遅れて中二病になった可哀想な大学生」という不名誉な称号を与えられる。


 それは嫌だ。

 俺は普通の大学生だ。


 前世が忍者でひょんなことから思い出してしまっただけの、普通の大学生。

 前世のことさえ吹聴しなければ、普通でいられる。

 そのように自律し生活していれば、なにも問題ないのだ。


 前世の記憶を思い出し、混乱と発熱が落ち着くまでおよそ二週間、俺は最後にそのように折り合いをつけて、寝込み生活から脱却した。

 あと三日ほどで大学も始まる。

 春休みの終盤を寝て過ごすという残念な事態にはなったが、まあ、そういうことも人生にはあり得る。妻の懐妊に浮かれて死んだ前世の最期と比べれば大分マシだ。


 だが……どうして俺は前世を思い出したりなんかしたんだろう?

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