前世の妻を見つけたので再び夫婦になるためケーキ屋に通うことにしました。

巡ほたる

プロローグ

 最初に宣言しておくがこの世界は異世界ではないし、この俺は思春期特有の妄想癖や中二病に罹患した少年でもない。断じてない。

 正直、妄想癖や中二病であればどれだけよかったかと考えることも少なくない。しかし妄想癖ならいくらでも都合よく自分好みの設定に軌道修正できるが、どんなに思い込もうとしても記憶は一切揺るがないし、中二病ならばいつか来ると待ち望んでいた黒歴史となる瞬間は待てど暮らせどやってこない。

 異世界転生であったなら、所謂『俺TUEEEE』展開にもなったかもしれないが、世界はびっくりするほど平和な現代日本だ。

 ――だというのに、思春期をとっくに過ぎて青年期もそろそろ終わりにさしかかろうという春のある日、俺は出会ってしまった。


 否、再会してしまった、と言った方が正しいのか。


 ◆


「カタル! いつものケーキ屋でケーキ買ってきて、はいお金」


 俺の返事をろくに聞きもせず、姉は乱雑に俺が読んでいた漫画の上に千円札を三枚押し込んできた。


「なんで姉ちゃんが行かないの」

「だってこれから化粧してケーキ買いに行っても多分間に合わないわ」

「はあ?」

「今日からあのケーキ屋、桜のシフォンケーキが出るんですって。あれすごく人気で、午前中に買いに行かないとすぐ売り切れちゃうの。夜にみんなで食べましょうよ」

「なんで早起きして自分で買いに行かないかな……」

「そうぶつくさ言いつつ買いに行ってくれるアンタっていい奴よね」

「徳積んでんの」

「煩悩の塊みたいな動機ね」


 そんな姉もおつりを俺の小遣いにしていいと言ってくれるからいい奴だ。

 多少の文句はあるが、件のケーキ屋のシフォンケーキの味は本物なのでケーキのお遣いは喜んで引き受けよう。


 姉のからかいを背中に受けながら家を出ると、午前十時で朝方の寒さを忘れた陽だまりが朗らかに降り注いでいる。この時間に温かいと感じるということは、午後は春服でも暑いと感じる気温になるかもしれない。


 少し我儘で口うるさい姉、噂話と甘味に目がない母、酒と釣りが好きな父――そして読書とゲームが趣味の俺。

 普通の家、普通の家族、普通の世界。


 ――ああ、俺も異世界転生とかしてみたかったかも!


 とも思わない。危険と背中合わせの冒険はゲームで十分だ。異世界に行きたいのなら本屋でライトノベルを物色すればいくらでも旅立てる。

 前世もあまり信じていないが、まあ、虫とかじゃなければいいや。そりゃ武将とかだったらかっこいいなぁとは思うが……あ、織田信長とかは勘弁して。焼き討ちはするのもされるのもなんか嫌だ。


 つらつらと考えながら大通りを抜け桜の木が並ぶ通りへ逸れる。桜は先日、例年より早い開花宣言を受けてこの辺の地域のものも枝の先端を紅に染めて開花準備に忙しいらしい。

 平凡、万歳!

 こんなにも日本は四季折々の喜びに満ちていて、いるだけで楽しくなるんだから前世なんて考えたって無駄なことだ。

 目標もない、将来の夢もない、彼女もいない――自身の名誉にかけて注釈しておくと、いたことはある――今のところなにもない自分に、なにかステキな前世でもあれば輝かしい主人公になれたのだろうが……。

 ……どうせ俺の前世なんて、戦国時代でも百姓がせいぜいだろう。


 そう思っていた時代が、俺にもありました。


 この春から大学二年生という、比較的余裕のある日々はいつまで続くのか。

 大学と言っても大きなものではない。家から通える大学がそこしかなく、学部的にも偏差値的にも自分に相応だと思ったからそこへ進んだ……という腐れ大学生である。多分この大学がなかったらなし崩し的に近場で就職していただろう。という志の低さだ。


 そんな俺に、まさかライトノベルで読むような『前世』があるなんて、誰が想像できようか。

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