第38話

 いつもよりも深い場所にいる気がする。

 気持ちの悪い浮遊感の中であいつとの会話が聞こえてきた。


「合格おめでとう。まさか本当に同じ大学に受かるとは思ってなかった」


「私、やれば出来る子だから」


「それは俺が言ったやつだ」


「でも、学年1位には戻れなれなかったな」


「それは高望み過ぎるだろ。今の学力で十分だから順位にこだわるなよ」


 図書室で向かい合って座るあいつは不自然な動きで机の上に手を置いた。

 さっきからソワソワしているのは気づいていたが、それにしても落ち着きがない。


「卒業しても一緒なんて嬉しいよ」


 ボンっと頭から湯気が出そうになる。

 そんな不意をついて直球を投げられては反応に困ってしまう。

 照れ隠しのつもりで頬杖をついて、視線を逸らすと視界の隅っこであいつの体が動いたことに気づいた。

 次の瞬間、私の頭の上には叩かれるとも撫でるとも取れる絶妙な力加減であいつの手が置かれていた。


「ねぇ。女子が頭ポンポンされて喜ぶと本当に思っているの?」


 声にならない声を出しながら素早く手を引っ込めるあいつ。

 そんなに照れるなら無理をして慣れないことをしなければいいのに。別に嫌とは言ってないし。

 そんなことする前に告ってきなさいよ。


 あいつは恥ずかしさと後悔と幸福を足して3で割ったような表情で席を立った。

 この出来事が私からあいつに告白しないとダメだ、と思った決め手だった。



◇◆◇◆◇◆



「リリーナ様、リリーナ様」


 体をゆすられていると気づくまでにそう時間はかからなかった。

 体が熱くて重い。

 手の甲を額に当てるだけでも一苦労だ。

 冷えた手がやけに心地よかった。


「リリーナ様、ラウル殿下がいらっしゃっていますが、いかがなさいますか?」


 朦朧とする頭でメイドさんの言葉を理解しようと努める。

 そもそも今日は何日の何時で私は何をしているんだ。

 顔を向けると全身鏡にはボサボサの金髪の女がベッドに横たわっている姿が映っていた。


「だれ、このブサイク」


「恐れながらリリーナ様です」


 丁寧に一礼しながら答えるところが腹立たしい。

 メイドさんの一人が私の額に手を置いて「んー」と小さく唸る。


「まだお熱がありますね」

「夜道を一人で歩いて帰ってくるからですよ」


 思い出した。

 卒業記念パーティーでラウル王子の頬をぶった私は学園を飛び出して徒歩で帰宅したんだ。

 1時間くらいなら大した距離ではないと侮っていた。

 薄着のドレスな上にヒールの靴で夜風にあたった私は見事に風邪をひいてしまったらしい。

 朝も声を掛けられたが、無視した記憶が呼び起こされた。


「絵本の中で風邪ってどうなのよ」


「えほん、でございますか?」


「いいえ。なんでもないわ。風邪っぴきの妄言よ。で、なんだっけ?」


 要件を思い出したかのように手を叩いたメイドさんの表情が一瞬でこわばった。


「ラウル殿下がお見えです。一目だけでも会わせて欲しいとの事です」

「卒業式を終えたセレナ様もご帰宅されています。今朝から体調不良のリリーナ様を案じておられます」


 これは困った。

 12周目では意図的にサボった卒業式を風邪ですっぽかしてしまったらしい。

 昨日の今日でラウル王子に会わせる顔がない。そもそも、こんな顔で部屋から出たくはない。

 では、セレナならよいのか。と問われると答えはNoだ。ただでさえ世界で2番目の美女と言われているのに更に醜い顔を晒したくはない。


「殿下にはお帰りいただいて。セレナにはこの部屋への入室を禁じて」


「しかし、リリーナ様。殿下はわざわざお越し下さったのですよ」

「支度のお時間をいただいて少しだけでもお会いになられてはいかがでしょう」


「嫌よ。誰もこの部屋には入れないで」


 頑なに拒否する私に根負けして彼女たちは渋々といった表情で部屋を出て行った。

 私はすぐに意識を失うように眠ってしまったから、その後どうなったのか分からない。

 ただ彼は嫌がる女性の寝込みを襲うような真似をしない人だという信頼はあったから、きっと大人しく帰ったのだろう。


 次に目覚めると体調はすっかりよくなっていた。

 せっかく色々とヒントを得たのに寝込んで時間だけが過ぎていくなんてことは避けたい。

 なんとかしてセレナを町に連れ出してクリスティアーノと接触させなければ。


 しっかり髪も服装も整えてから自室を飛び出してセレナの部屋へと向かう。

 しかし、待ち受けていたのは腕を組んで仁王立ちする父、アッシュスタイン公爵だった。

 呼び出されたセレナも部屋から顔を出し、私たちは父の書斎へと連れられた。


「どういうつもりだ」


 開口一番に責められた私とセレナは顔を見合わせた。

 セレナの焦った顔から察するに父からラウル王子の婚約者候補になるように言われているのは明白だ。今回の私は直接指示をされていないが、父の考えていることは手に取るように分かる。


「セレナ、なぜ殿下とのダンスに興じなかった?」


「それは、その……」


「リリーナ、なぜ殿下をぶった。お前はこの家を潰すつもりか?」


 セレナの震える手が私の手に重ねられる。

 私一人では強く言い返せなくても二人なら言い負かせられるかも。

 私は手のひらを返し、セレナの指に自分の指を絡めた。


「セレナの好きな人はラウル王子ではありません。これからセレナは初恋を実らせに行きます。私が殿下の頬をぶったのは事実です。どのような処罰も受けますのでセレナを自由にして下さい」


「何を戯れ言を。お前は処刑されても不思議ではないことをしでかしたのだぞ。お前はもう私の娘ではない。今すぐに出て行け」


 とめどない生唾を飲み込んで抵抗する。

 なんとしてもセレナだけは自由にしてあげたい。クリスティアーノとの婚約、結婚を父にも認めさせて本当のハッピーエンドを勝ち取ってあげたかった。


「セレナ、もう一度やり直しだ。ラウル王子の元へ行け。お前に惚れない男などこの世には存在しない」


 セレナの手に力がこもる。

 私も次は絶対に離さないつもりで握り直した。


「お父様はアッシュスタイン家が大きくなればよろしいのですね?」


「そうは言っていない。私はお前たちの将来を案じているのだ。次期国王の妻になることに何の不満がある? ラウル王子の妻となり、子を成せばお前たちも幸せ、私も幸せ、もちろんお前たちの母も幸せ。どうだ? 私は間違っているか?」


「勝手に決めつけないで」


 セレナと繋いでいる手とは反対の手でテーブルを叩きつける。

 父は微動だにせずに私を睨み続けた。

 手のひらがじんじんと痛んでもおかまいなしに反論する。


「それはあなたが思う幸せの形でしょ? セレナにとって、それは幸せじゃないわ!」


 父の眉がわずかに動いた。


「私は何度も見てきたのよ。この子が困った顔で王子の手を取る姿も、数多あまたの男たちから投げかけられる甘い言葉をはぐらかす姿も、自分を犠牲にして誰かの幸せを願う姿も!」


 声が震えて、最後まで声にならない。

 それでも勢いに任せて伝えたいことを叫ぶ。


「そんなのもう見たくない! セレナには笑っていて欲しいの。あなたもそうでしょ!? 自分の娘は世界で一番の美女だって言うくらいなんだから。だったら自分の娘を信じて、道を選ばれてあげなさないよ」


 涙も拭かずに泣き叫ぶ私の前に腕が伸びてきて、体を引き寄せられた。

 甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 しゃくりあげるセレナは「もういいよ」と何度も言いながら強く抱きしめてくれた。


「よくない。絶対によくない! あなたは絶対に幸せになるの。私は覚悟しておきなさいって言った!」


 繋いでいた手を離して、セレナの肩を掴んで引き離す。

 立ち上がった私は腕を組み、父親を見下ろしながら宣言した。


「アッシュスタイン家もセレナも全部まとめてハッピーエンドにしてあげる! だから黙って最後まで見てなさい!」


 それ以上、父は何も言わなかった。

 何を言っても無駄だと呆れられたのか、勘当するからと見捨てられたのか。

 どちらにしても私のすることは変わらない。

 引き寄せたセレナを立ち上がらせると、鼻を鳴らしながら書斎を出て思い切り扉を閉めてやった。


「リリーナ、どこに行くの!? お父様に謝ろう。あんなこと言って本当にリリーナがお屋敷を追い出されたらどうするの!?」


「絶対に謝らない。町に行くわよ」


 手を引かれるセレナは口では心配してくれているが、足を止めてまで私を書斎に連れ戻そうとはしなかった。

 このまま進めばエントランスだ。

 屋敷を出て、馬車で町へ向かう。クリスティアーノに会えなければ会えるまで宿にでも泊まればいい。

 そう思っていたが、私の計画は謎の力によって阻止された。


「うぐぅ」


 心臓を鷲づかみにされたような痛みに襲われ、呼吸ができなくなる。

 胸を押さえつけて廊下に膝をついた私の耳にセレナの声が聞こえた。しかし、その声も遠くなってやがて聞こえなくなった。

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