第37話
柱の影から顔を出すと堂々とした足取りのラウル王子が手を振りながら微笑んでいた。
間違いない。あの人はラウル王子ではなく、ラウル王子の姿をした彼だ。
その確認ができただけで喜びが溢れてしまいそうになる。
誰にも興奮を悟られないように澄まし顔を保っているが表情筋はもう限界だ。私の意思に反して頬がひくひくと動いてしまうから両手で顔を隠すしかなかった。
柱の影で顔を隠す私。誰が見たってただの変な女だ。
「お嬢さん、具合でもよくないのかね? 人を呼ぼうか?」
「い、いえ。問題ありません。ご丁寧にどうも」
気に掛けてくれた老紳士のご厚意を受け取り、もう少しだけ見晴らしがよい場所に移動する。
参加している全員がラウル王子を見つめ、歓声と拍手を送っていた。
私も形だけは周囲に合わせて手を叩く。
セレナは通路から離れたテーブルに集まる女子グループの中に混ざって拍手を送っていた。
そんな地味な所にいるとラウル王子との接触のチャンスはない。
過去の私なら無理矢理にでもセレナを連れ出していただろうが、今回の私はこの場から動くつもりはない。
12周目の終わりに13周目の作戦会議をしていないから彼がどんな動きをするのか分からない。
12周目の成果を生かしてセレナとクリスティアーノをくっつけるのであれば、彼がセレナとダンスする理由はないのだ。
だったら私だけをダンスに誘うか、誰ともダンスしなければいい。
セレナを町に連れて行く役目は私が果たせばいいだけの話だ。
そう思っていた矢先、辺りを見回したラウル王子は従者を置き去りにして通路から外れ、一つのテーブルを目指して歩いて行った。
「一体なにをするつもり?」
不思議なことに私の視線の先には誰も立たない。セレナから私のことは見えていないのかもしれないが、こちらからは丸見えだった。
セレナたちのグループは女子らしくキャッキャッしながらラウル王子を目で追っている。
周囲もワクワクしながら王子の行動に注目しているようだった。
一直線にセレナの前に向かったラウル王子は彼女を見下ろしながら何か言葉を発していた。セレナもキラキラした眼差しで返答している。
「っ!? あいつ」
ラウル王子は突然片膝をつき、セレナの手を取って彼女を見上げた。相変わらず唇は動いているが何を話しているのか分からない。
セレナはと言うと頬を染めて満更でもない様子だった。
別にラウル王子は私と婚約しているわけではないし、これから婚約するつもりもない。
まして付き合うつもりもないし、特別な感情は抱かないと暗黙の了解を作ったくらいだ。
だけど、会いたいとは思う。
「取られたくない」
気づくと拳を握り締めながら、そんなことを呟いていた。
喉を絞め上げられたような呻き声に近いものだ。私の喉からこんなにも汚い声が出るなんて思ってもみなかったし、こんな感情を抱くなんて信じられない。信じたくない。
今すぐに出て行って「約束を忘れたのか、ポンコツ王子!」となじりたい気分だけど、そんなことはできない。公衆の面前だからという理由ではなく、私とリリーナのプライド的に無理だった。
「あぁ!」
私の声に反応して紳士、淑女が振り向く。
そんな視線はお構いなしに凝視する先ではラウル王子がセレナの手の甲にキスしていた。
「な、な、なあぁぁぁ!」
自分が思っているよりも大きな声を出してしまっていたようで、そのままの姿勢で止まっているセレナとラウル王子が顔だけを私の方に向けた。
「あ、リリーナ」
「やぁ! そこにいたのか、リリーナ。探したよ」
あんぐりと口を開けたままで硬直する私を見つけた二人が近づいてくる。
どうするべき?
邪魔したわね、と吐き捨てて立ち去るか。
それとも、早く踊ってきなさいよ、と催促するか。
私にとって怖いものが二つ一緒になって迫ってくる。
足を引こうにも全く言うことをきいてくれない。
そうこうしているとラウル王子が手の届く距離まで来ていた。
「どうした、リリーナ? 今にも泣き出しそうな顔をして。俺に会えたことがそんなに嬉しかったか?」
冗談っぽく言う彼の微笑みを見たとき、私の中で何かが弾けた。
「っ!」
パンッと乾いた音が鳴り、振り切った右手がじんじんと痛んだ。
周囲は騒然とし、頬を腫らしたラウル王子を囲うように従者が機敏に動く。
同時に私を拘束しようと数人が駆け出した。
「やめろっ。その人に乱暴をするな」
「しかし、殿下!」
手を出さないように合図するラウル王子は真っ赤な頬に手を当てながら一歩近づく。
私はしゃくり上げながら一歩下がった。
「頬をぶたれる覚えはないんだけどな」
「……ス、した」
「ん?」
「セレナにキスした」
震える声で訴える。
不思議そうな目をしているラウル王子を庇うようにセレナが私の前に立ちはだかった。
「いきなりぶつなんてひどいよ。殿下は何もしていないのに」
「だって……。だって、私にキスしたくせに」
間違いなく失言だ。しかし、我慢できなかった。
彼が私の唇を奪ったのは12周目のことで今回の出来事ではない。この事実を知っているのは当事者である私と彼の二人だけ。
彼は気まずそうに耳を赤くし、セレナやパーティー参加者は驚きを隠せないといった表情だった。
「殿下、それは本当ですか!?」
従者が彼を責めるように追及する。
私は後先を考えずに発言してしまったから彼の立場がどうなるのか、そして私たちが周囲からどのような目で見られるのか深く考えていなかった。
「事実だ」
周囲が息を呑んだ音が聞こえた。誰も何も言わない。
ただ彼は軽蔑の眼差しを一身に浴びても怯むことなく、私の目を見て述べた。
「リリーナ、聞いてくれ。俺はきみを――」
「聞きたくない! 私が終わらせるからあなたは何もしないでお城にこもっててよ!」
これが卒業を記念したパーティーであることを忘れ、この後、会場がどのような雰囲気になるのかも考えずにパーティーホールを飛び出した。
ドレスのスカートをまくり上げ、走る度にヒールが床を鳴らす。息を切らしながら廊下を進み、庭園に出たところで芝生に足を取られて転んでしまった。
「本当に馬鹿だ、私。こんなことをしても意味がないのに」
いつも大事な局面であいつの言葉が助けてくれたのに今は聞こえない。
タイミング的には今でしょ。
私、王子のこと本当に好きになっちゃうかもしれないのよ。
雑に芝生を掴み、感情のままに引き抜いて捨てる。
風に流された芝生を目で追うと、視線の先にはラウル王子の姿があった。
「休むのはきみの方だ。まだ12周目の疲れが取れていないのだろう? 俺が物語を終わらせるから家で休んでろよ」
「いやよ。人の唇を奪っておいて、妹にもキスをするような男を信用できない」
「違う! セレナには好きな人がいるじゃないか。あれは魔女じゃないセレナに感動して――」
「あなたも同じでしょ。それに、私も」
言い訳がましい彼の言葉を遮る。胸を締めつけられているような、首を絞められているような感覚で上手く言葉が出てこない。
ラウル王子を見ることもできずに芝生に向かってぽつりぽつりと話すことしかできなかった。
「セレナが惜しくなったのよね。分かるわ、その気持ち。うちの妹、可愛いもの」
「何を言っているんだ? 最後まで俺の話を聞け」
声色から顔をしかめているラウル王子の姿が連想できた。
それほどまでに私が彼をよく見ていたのだと気づく。
「早くクリスティアーノを探してセレナと引き合わせるわ。あなたの手は借りない。さようなら」
ふかふかの芝生に足を取られないように慎重に立ち上がって彼に背を向ける。
これ以上、一緒に居てはいけない。こんなことになるのなら独りぼっちでよかった。
私は馬車が待機しているメインエントランスではなく、学園の裏門から外に出て、屋敷へと続く通学路を歩いた。
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