第39話

 目を開けるといつもの天井だった。

 もう13周目が終わってしまったのかと焦ったが、胸の痛みがまだ残っていたから継続中なのだと確信が持てた。


「セレナは?」


 ベッドから体を起こしても部屋には誰の姿も見当たらなかった。

 クラクラする頭が少しでも楽になるように目頭を押さえて立ち上がる。

 唯一の出入り口へと向かうとタイミングよく扉が開き、専属メイドの二人が入ってきた。


「リリーナ様、どちらへ?」

「まだ体調が万全ではないのですからお休みください」


 どうにか私をベッドに戻そうとする二人の手を払い退けて廊下へ向かう。

 いつまでもお屋敷の中で過ごすわけにはいかない。私はまだあれから一歩も外に出ていないのだ。


「離して。這ってでも町へ行くわ。セレナはどこ?」


「町、ですか? セレナ様はすでにお出かけになられました」

「お戻りになるまで一緒に待っていましょう」


 二人が本当に私の身を案じてくれていることは痛いほど伝わっている。だけど、素直に従うわけにはいかない。


「もう少しなの。きっと背中を押さないとあの子は一歩を踏み出さない。それは私の役目なのっ!」


 両腕を引っ張っていた二人が脱力したことで前のめりに倒れそうになる。

 足を止めて振り向くとメイドさんは眉をひそめながら寂しそうに微笑み、エントランスへと続く廊下を指さした。


「馬車を用意させます。必ず、お戻り下さいね」

「リリーナ様、お帰りの際には笑っておられることを願っています」


「急になによ」


 直前まで部屋に引き戻そうとしていたくせに突然態度を変えられると見捨てられたような気になってしまい、不安感に襲われた。

 私はいつからこんなにも面倒くさい女になったのだ。

 これでは、ただのかまってちゃんだ。


「我々はリリーナ様の専属侍女ですので――」


 私はその言葉の続きを知っている。

 だからこそ、ここまでお節介を焼いてくれる二人が大好きなんだ。


「笑顔でいらっしゃることは何よりも変え難い喜び、でしょ」


 目を丸くした二人は同時に頷き、ポンと背中を押してくれた。

 次は私の番。

 私がセレナを後押ししてアッシュスタイン家と父の呪縛から解き放つ。



◇◆◇◆◇◆



 町をゆく人々のあまりの多さにめまいがする。

 この中からセレナを探し、男性二人組にナンパされている所をクリスティアーノが助けてくれるシチュエーションを演出するなんて天文学的確率だ。

 それでもやり遂げないとセレナの幸せは掴めない。

 駆け出した私は過去の記憶に頼らずに店をしらみつぶしに見て回った。

 額の汗を拭い、弾む肩を少しでも落ち着けるように呼吸を整える。


「どこにいるのよ」


 その時、動き出した辻馬車が目に止まった。

 もしかして、と馬車の停留所に向かうと小包を抱えたセレナが男性二人に絡まれているところだった。

 11周目とも12周目とも異なる場所でトラブルに巻き込まれているセレナの元に駆けつけようとして、またしても胸が締めつけられる痛みに襲われた。


「ぐっ。どこまでも邪魔するつもりなのね」


 13回も同じ期間を過ごしているが、風邪をひいたのもこんな痛みを感じたのも今回が初めてだ。

 鋭い痛みと鈍い痛みが互い違いに襲ってきて行動を制限される。


「相当、焦っているのね」


 走っては休み、走っては休みを繰り返す私を町ゆく人々が不審がっている。

 中にはお化けでも見てしまったような顔になっている人もいた。


「いいよ。受け止めてあげる。この痛みが幸せの代償なのでしょう?」


 痛すぎて笑うしかない。

 セレナに近づく度に痛みが増して、冷や汗が流れ落ちた。


 周囲を見渡してもクリスティアーノの姿はない。

 他の人々はセレナを見て見ぬ振りをして助ける気配はなかった。むしろ、不自然に私とセレナの間に割って入ってくるような歩き方をしている。


「退きなさいよ」


 紳士や淑女をかき分け、一歩ずつセレナに近づいていく。


「邪魔なんだよ」


 呼吸が辛い。

 吸っても吸っても息が苦しくて、まともな思考ができなくなっていくのが分かった。

 こうやって人は気絶するのね。なんてネガティブなことを考え始める頭を振り、また一歩近づく。

 認めたくないが、私の身体は限界みたい。

 比較的、舗装されている道でつまずき、立ち上がれなくなってしまった。手を伸ばしても町ゆく人たちに阻まれてセレナには届かない。

 また暗転して目覚めると部屋なのかな。諦めながら下を向いた時、爽やかな風が吹いた気がした。


「汚い言葉を使うな、リリーナ。きみはまだ公爵令嬢だぞ」


 腕を掴んで力を込めるラウル王子に寄りかかるように立ち上がった私の視線の先には二人組の男性からセレナを引き離すクリスティアーノの姿があった。


「タイミング良すぎでしょ」


「この世界ではヒーローだからな」


 それは自分を指して言っているのか、クリスティアーノを指して言っているのか分からない。

 ただ、私にとってのヒーローは間違いなく彼だった。


「立てるか? このまま二人を見守ろう」


「ダメよ。きっとセレナは逃げるわ。離して。……この前はごめんなさい」


 ラウル王子の手を振りほどき、足を動かす。

 呼吸すらままならない状態で大声なんか出したくないけど、まだ距離があってそうするしかなかった。


「セレナッ! その人はリスティよ! 12年も温めた気持ちを伝えなさい!」


 私に気づいたセレナの驚いた顔が霞んで見える。

 もう限界だ。

 しかし、クリスティアーノを放置してこちらに走ってくるセレナを見てしまってはへたり込むわけにはいかなかった。


「来るなっ! 好きって言えぇえぇぇぇ!」


 最後まで息を吐き出し、咳き込んで倒れてしまった。

 涙でぼやける視界の中心でセレナがクリスティアーノを見上げている。

 何を話しているのか分からないが、口の動きは「好き」と言っているような気がした。そう信じたかった。


「やったな、リリーナ。きみの勝ちだ」


 きみの?

 私たちの、でしょ。

 これでセレナは愛する人と結ばれることができる。

 まだイベントが必要なら私が呪いをかけてやろう。クリスティアーノのキスなら必ず呪いが解けるはずだ。


「……ラウル王子?」


 あれほどまでに耐え難かった胸の痛みがなくなり、不思議と呼吸も楽になった。

 さっきみたいに立ち上がらせてくれたら嬉しいのに。そんな風に望んでいた私の目に飛び込んできたのは絶望的な光景だった。


「嘘でしょ。なんで!? どうして、そんなことになるの!?」


 さっきまで私の身に降りかかっていた痛みの全てがラウル王子に移っているようだった。

 彼の表情に余裕はない。汗がダラダラと流れ、呼吸も浅い。

 慌てて駆け寄ると脱力した彼が倒れてきた。


「うそ、うそよ。こんなのダメよ」


 顔を上げると先程まで通りを歩いていた人は誰一人いなくなっていて、私たち四人だけがぽつんと存在していた。


「これがきみが感じていた痛みか。きみは強いな。これを13回も。俺なら耐えられない」


「黙って!」


 青白い顔の彼に膝枕をして、「大丈夫、きっと大丈夫」と何度も囁く。

 すると、彼が全身に力を込めたのが分かった。


「クリスティアーノ!」


 腹の底から出した声が町中に響いた。

 何度、黙れと叫んでも彼はやめない。


「俺は王位継承権を放棄する! 父上に伝えろ、お前が第1位だ!」


 私は不敵に笑ながら親指を立てる彼を抱き締めることしかできなかった。

 彼が瞳を閉じると同時に私も強い眠気に襲われ、寄り添いながら意識を手放した。

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