12周目

第21話

 夢を見ていた。

 なぜ夢だと分かったのかというと、現状ではあり得ない光景だったからだ。


 高校の図書室の机に突っ伏している私の前に置かれた一冊の本。

 図書委員の担当であり、現代文の担当教師が暇を持て余していた私の前に差し出したのが『セレナと闇の魔女』という絵本だった。


 私は昔から本を読むことが好きではなく、国語も苦手分野だった。

 A4サイズの大きめな本の表紙には可愛らしい金髪の女の子と分厚い本が描かれていている。ページ数は多くない。

 これなら流石の私でも読めるだろう、と表紙をめくった。


 ストーリーはありきたりなもので、王子様と出会った主人公の女の子が何の理由もなく惹かれ合って婚約した。またしても特に理由もなく、嫉妬した姉に殺されそうになって、王子様にキスされてハッピーエンドで終わった。


 十分もあれば読める絵本を閉じた私に「どうだった?」と問いかける男性教師。私は素直に「普通」と答えた。

 それから数日後、高校3年生に進級してから話すようになった男子が図書室に来たときにこの絵本を何気なく薦めた。


 ふぅん、と興味なさげにつぶやきながら表裏を確認し、表紙を外してまでじっくりと時間をかけて読み込んでいくあいつの横顔を眺める。よほど集中していたのか、彼が私の視線に気づく気配はなかった。

 絵本を読み終えて顔を上げると、にこっと笑い「有名な童話のパクリだな!」と言い放った。

 そのとき、盛大にむせ込んだ先生の顔は面白かった。


「リリーナが可哀想じゃん」


「いや、そうでもないかもな」


「どういうこと?」


「作者の中では色々と葛藤があったみたいだからさ」


 あいつが何を言っているのか分からなかった。

 少し勉強ができるからって調子に乗らないで欲しい。

 まぁ、これまでサボってきたツケが回り、勉強に遅れていた私の試験勉強に付き合ってもらっている立場でそんなことは言えないのだけれど。



◇◆◇◆◇◆



 朝、目覚めるといつもの天井だった。


「あいつ、私にばっかり構ってたけど好きな子いないのかな。告ったら迷惑かな」


 寝ぼけまなこをこすりながら起き上がり、二人のメイドが入室するよりも前に制服に着替えて髪をとかす。

 ふと気づくと二の腕の腫れがなかった。痛みも全くない。これまでの過去が全て嘘だったのではないかと思ってしまうほどだ。

 でも、セレナとお出かけした思い出と同じ転生者であるラウル王子と密会したことだけは鮮明に覚えている。


 金髪のロングヘアを結ばずに流して、扉の前で待ち構える。


「おはよう、二人とも。もう着替えは終えたから手伝いは不要よ。リボンもちゃんと結んだわ。食事まで自由にしてちょうだい」


 せっかく入ってきた専属メイドを追い返したというのに喉の奥から突き上げる言葉を飲み込むことができなかった。嫌な予感がする。


「待って。この世で一番美しいのはだれ?」


「恐れながら、双子の妹君であるセレナ様でございます」


 イベントキャンセルならず。

 いつも通りに声を揃えて即答するメイドたちは一礼して立ち去った。


 私はため息をつきながら本棚へと向かう。

 いつもの保管場所には当たり前のように『闇の魔道書』が隠されていた。


「お帰りなさい。八つ当たりしちゃってゴメンね。もう焼くことはないと思うけど、使うつもりもないから安心して」


 手には取らず、カモフラージュ用の本の隙間から覗いて声をかけた。


「おはよう、リリーナ! 今日はパーティーだから早く行こうっ」


「っ!?」


 ノックもなく入室したセレナの声に驚き、勢いよく振り向くと手が本に触れてしまった。

 一冊が落ちるとドミノ倒しのように数冊の本が足元に散らばった。


「ごめんね、そんなに驚くと思わなくて。大丈夫?」


「え、えぇ。……そっか、もうそんな時間か。自分で拾えるから大丈夫よ」


「ううん、手伝うよ」


 散乱した本の整列を手伝ってくれるセレナの動きが不自然に止まる。

 いつものように素で「むむむ」と唸っている彼女は首を傾けて本棚の奥を覗いていた。


「横になってる本があるけど、このままでいいの?」


「それはそのままでいいの。ありがとう」


「えぇ~。可哀想だよ。他の本と一緒に立ててあげようよ」


「いいってば。もう読まないんだから」


「読みたくなったときに手に取りやすい方がいいと思うけど。ほらっ」


「いいって言ってるでしょ!」


 本棚の奥に手を突っ込もうとするセレナを止めるために思わず大声を出してしまった。

 我に返るとセレナは目を丸くして、小さく「ごめん」と呟いた。


「……私の方こそ、ごめんなさい」


 気まずい空気の中、手早く拾った本たちを雑に棚に戻して部屋を出る。

 唯一の救いだったのはセレナが尾を引くことなく食事を共にしてくれたことだった。

 食後はいつも通りに学園に向かい、教室に入ってそれぞれの席に向かった。


「ずいぶん仲良しじゃん。この前までは嫌ってたのに」


 いつも一緒にいる子だ。11周目でも似たようなセリフを言っていたような気がするのは、私の気のせいだろうか。


「べつに深い意味はないわ」


 この返答も以前にしたことがあるような気がする。

 でも、正確には思い出せないし、こんな会話パートは私にとって無駄だ。

 重要なのはセレナとラウル王子との会話だけ。

 彼らの言葉を一言一句、記憶できれば苦労しないのに、と毎回思う。


 卒業式前日のどうでもいい授業を終えて、一目散に帰宅する。

 母が準備したパステルブルーのドレスに身を包み、軽く両頬を叩いた。

 鏡に映る私の顔はかつてない程にやる気に満ちていた。


「っし。行くか」


 元の世界でもしたことのない気合いの入れ方をして部屋を出る。

 せめてドレスを着る前にやれば良かったかな、と少し後悔したのは秘密だ。


「行きましょうか」


「うんっ。どうしたの? やけに気合いが入ってるけど」


「今日は特別な日になるのよ」


 眉をひそめるセレナの手を引き、両親を適当にあしらう。

 待ちきれない子供のように玄関を飛び出して卒業記念パーティーの会場である学園へと向かった。


 馬車に揺られながら向き合って座る私たちはセレナが誰と踊るか、という話題に花を咲かせていた。

 セレナは引くて数多あまただろうが、リリーナは違う。

 積極的に拒絶していた頃とは異なり、今回は心配事があってそれどころではなかった。


「リリーナは踊らないの?」


「多分ね。でも、ラウル王子に誘われるなら考えてもいいかも」


 セレナは一瞬驚き、パァと笑顔を輝かせた。

 そして、「いいなー、私も!」と無邪気に手を挙げた。


「お父様から何か言われているでしょ?」


「え!?」


 ギクっという擬音が聞こえてきそうなくらい狼狽ろうばいするセレナに優しく微笑む。

 彼女は実に分かりやすい。そして可愛い。


 11周目で私が父から言われた「ラウル王子と婚約しろ」という命令はきっとセレナも聞いているはずだ。

 多分、私が知らないタイミング――今日の朝よりも以前に直接指示されていると踏んでいる。


「リリーナもお父様に言われたの!?」


「えぇ。ラウル王子のことでしょ?」


「うん。婚約者候補になれって」


 ビンゴだ。

 こんなことは絵本に書かれていなかったから、またしても裏設定か。それともボツになった構成だろうか。


「お父様の言葉は気にしなくていいじゃない。セレナには本当の幸せを掴んで欲しいな」


「うーん。でも、家のこともあるし。ここまで育ててもらった恩を返さないと」


「真面目か!」


 思わずツッコんでしまった。

 こんなことをしたのは人生で初めてで、セレナも目を丸くしていた。


「ごめん。気にしないで」


「うん。じゃあ、本当の幸せってなに?」


 改めて聞かれると返答に困る。

 しかし、セレナを納得させるためには明確な答えを提示しなければいけないだろう。

 しばらく目をつむり、恥ずかしさを振り払って答える。


「好きな人と結ばれる。これよ」


「リリーナは好きな人がいるの?」


 なんというレスポンスの早さ。

 私も負けじと即答する。


「いるわよ。名前は思い出せないけど。クラスで孤立していた私を気にかけてくれた人」


 セレナは以前と同じように驚いてから、ニンマリと笑った。


「誰だろ。同じクラスの男の子でリリーナを気にかける人」


 居るはずかない。

 あいつはここには居ない。もう会えないかもしれない相手なのだから。


「私もね。いるよ、好きな人。リリーナと同じで顔は思い出せないの。でも、名前だけは覚えてるんだよね」


「その人の名前を聞いてもいい?」


 突然、目の前に出された貴重な情報に飛びつくかのように、食い気味に聞いてしまった。

 私が名前を確認しようとした矢先、馬車が大きく揺れて停止すると御者が扉を開けてくれた。


「リスティだよ。行こっ!」


 満面の笑顔を向けるセレナに手を取られ、一緒に馬車から降りる。

 セレナの好きな人はリスティ。リスティって女の子の名前?


 絵本に登場していないキャラクターに困惑する私の12回目のパーティーが始まる。

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