第20話

 結局、あの青年が何者なのか分からずじまいだった。

 

「これでお終いです。すごく腫れていますが、本当にお医者様に見せなくてよろしいのですか?」


「冷やしておけば大丈夫でしょう。肌を見せる機会もないし、すぐに治るわ」


 専属のメイドさんに二の腕の処置をしてもらい、長袖で腕を隠す。

 あの後、無事に馬車に乗った私たちはすぐに屋敷に帰宅し、事の顛末を父に告げ口した。


 室内にノック音が鳴り、メイドさんが扉を開けるとセレナが申し訳なさそうに顔を覗かせた。


「入ってもいい?」


「構わないわよ。いつものようにノックをせずに入ってくればいいのに」


 おそるおそる入室するセレナを見届けたメイド二人が入れ替わるように一礼して退室する。


「腕、痛む?」


「そうね。少しだけ。でも、なんともないわ」


「ごめんね。私が鈍臭いから」


「気にしないで。私が勝手にやったことよ」


 会話がなくなると広すぎる部屋からは全く音がしなくなり、気まずい空気が流れる。

 何か話さなくては、と思えば思うほどに話題が浮かんでこなかった。


「セレナが無事で良かった。助けてくれた人にちゃんとしたお礼ができなかったわね」


「うん。すごく背が高かったね」


「2メートル10センチってところかしら」


「そんなに高くないと思うよ!?」


「う、そ」


 もうっ、と可愛らしく頬を膨らませる姿は何度見ても飽きない。

 10周目のセレナと同じでその愛らしい顔を見るだけで頬が緩んでしまう。


 そこから先は話題が尽きることはなかった。

 卒業式の後にクラスメイトの男子がどこぞのご令嬢に告白して玉砕しただの、留年した子がすごい顔で見ていただの、学年首席の子が順調に出世コースを突き進んでいるだの、共通の話ばかりしていた。

 昼間の青年については考えなかった、というよりも考えたくなかった。


 仲良く食堂へと向かい、和やかな雰囲気で食事を終える。

 食事前に父からは「嫁入り前に不用心だ」と怒られたが、母が庇ってくれたおかけで食事中はその話題にはならなかった。


 その日の夜。

 私室にある自分の背丈よりも大きい棚の前に立ち、ちょうど胸の高さにある列に並べられた本たちを横に退けて、腕を突っ込んだ。

 指先に触れた分厚い物を手繰り寄せ、しっかりと掴んで本棚から取り出す。

 いつ、どこで、どうやって手に入れたのか不明な『闇の魔導書』を小脇に抱えて部屋を出た。


 庭の奥にある焼却炉の前では汗を拭う男性の姿があった。アッシュスタイン家専属の庭師だ。


「リリーナお嬢様!? こんな時間に何かご用でしょうか。それでしたら手隙の者を向かわせますので、お屋敷へお戻り下さい」


「一緒に燃やして欲しいものがあって。お願いできるかしら」


 まさか人が居るとは思っていなかった。まだ使用人の終業時間よりも早かったようだ。


「それは構いませんが。本ですか? 高級そうですが、本当によろしいのでしょうか」


 抱えていた『闇の魔道書』を見せると庭師は何度もしつこく確認した。


「えぇ。今の私には不要な物だから。私の手で処分したいのだけれど、炉の扉を開けてくれるかしら」


 渋々、開けられた扉。

 焼却炉の中では勢いよく炎が燃え盛っていた。

 まだ距離があるのに汗をかき始めるほどの熱量だ。これならすぐに燃え尽きるだろう。


 一歩二歩と近づき、腕を目一杯伸ばして『闇の魔道書』を焼却炉の中に放り込んだ。

 すぐに火の手が回り、表紙の形が変形していく。

 どうせ、11周目が終わればまた私の手元に戻ってくるだろうが、それでも今は満足だった。



◇◆◇◆◇◆



 朝を迎え、またしても一人でお城を訪れた私はいつぞやの門番を睨みつけた。


「ラウル殿下にお話があります。お取り次ぎを願います」


 忌まわしげに舌打ちする門番は無言のまま門を開き、私は背筋を伸ばして鼻を鳴らしながら門をくぐった。


「やぁ、言われた通りに顔パスにしておいたよ」


「それはどうも。昨日は何をしていたの?」


「昨日は朝からお城の探索をしていた。ほら見て。本物の剣に触ったら指が切れて焦ったよ」


 彼の指には包帯が巻かれていた。

 この人、アホなのかしら。


「痛みは感じるんだね」


「普通の身体だもの、当然だわ」


「リリーナは何度も痛い思いをしたんだな」


 返事はしなかった。

 殺された回数も自死した回数も思い出したくない。

 本当は何もせずに部屋に引きこもっているのが一番安全で楽だということを思い出してしまうから。


「俺は、俺もリリーナも痛みを感じることがないようにしたい。そして、セレナを幸せにする」


 私も同じ気持ちだ。

 他人から聞かされるといかに甘く、理想を語っているのかがよく分かった。

 少なくとも私はまだ子供だと痛感させられる。


「俺はリリーナを守りたい。傷つけたくないんだ。だからセレナには俺じゃない別の誰かをあてがうことに決めた」


「……は?」


 開いた口が塞がらないとはこのことか。

 ラウル王子が何を言っているのか理解できなかった。


「この絵本の主人公かつヒロインはセレナで、あなたはヒーローなのよ? ラウル王子の代わりなんてどこにも居ないわ」


「いいや、これは俺ときみの物語だ。俺たち二人が生き延びた上で、おまけでセレナも幸せにする。それが俺の導き出した答えだ」


 彼と私は同じゴールに向かっているが、進んでいる道は全く異なる。

 反論したくなる気持ちをぐっと堪えて言葉を飲み込んだ。


「どんな道でも全て道、か。いいわ。12周目はあなたの意見を尊重しましょう」


「いやいや、今日から動き出すんだよ。これからアッシュスタイン家に向かおうと思っていたところなんだ」


「もう無理よ。残りのページが少ないの。次に目覚めた時はすぐに行動して。卒業記念パーティーでは必ずセレナと私を連れ出してちょうだい」


 ラウル王子が不思議そうな顔をする。

 両手に花の未来を約束されているのだから、喜ぶべきところではないだろうか。


「男女二人なら外野からの声がうるさいけど、三人グループなら色々と動きやすいでしょ。学校と同じよ」


「なるほどな。分かった。俺たちに残された時間はあとどのくらいか分かる?」


 私は首を横に振る。

 明確には分からないが、本来であればそろそろ私が処刑されているはずだ。

 もうエンディングが近づいてるのは間違いない。


「俺はタイムアップまで異世界を楽しむよ」


「よくもそんな能天気なことが言えるわね。時間があるなら、王家が保管している貴族名簿の在処を探しておいてちょうだい」


 得意げな顔をしたラウル王子はテーブルの上に置いてある冊子を持ち上げた。


「抜かりはない! でも、顔を知らないし、悪評とかも俺には分からないからなぁ」


 負けじと私も渾身の得意顔を作って体を乗り出した。


「出会える貴族には全部会ったわ。多分、名前と顔は一致するはずよ」


 私たちは無言のままガッチリと握手を交わし、日没までラウル王子が持ち出した一冊目の貴族名簿の中からセレナにお似合いの独身貴族を探す作業を始めた。


 体感ではその翌日だが、実際にはどの程度の時間が経っているのか分からない。

 ラウル王子は結婚相手を探す気がないらしい、という噂が国中に流れた。

 私にとっての11周目かつ彼にとっての1周目は、ラウル王子が誰とも結ばれないバッドエンドとして処理された。

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