第19話
決して乗り心地がよいとは言えない馬車の中でセレナと向かい合って座る。
風になびく髪を押えながら外を眺めていると意外な発見が多くあった。
町へと続く道は舗装されていないし、町に近づいても石畳だから揺れるのだ。
私たちの住む屋敷と違って、似たような外観の建物は全てレンガで作られている。
こんな風に外の景色を眺めるのは1周目以来だからすっかり忘れていた。
当たり前だが、ちゃんと人々が生活を営んでいる。
外の景色はここが絵本の世界なのだと改めて思い出させてくれる。
家と学園と処刑台とたまにお城の往復しかしてこなかった私にとって、理由もなく町に繰り出すというのは初めての経験で、これまで考えもしなかったことだった。
「へぇ。物語で描かれていなかったところまで再現されているのね」
「ものがたりぃ?」
「なんでもないわ。良い天気でよかったわね」
今回の私たちはかつてない程に良好な関係を築いている自信がある。
おそらく物語の中では、こんな風に二人でお出かけするなんてあり得ないのだろう。
「驚いたな。リリーナがお出かけに誘ってくれるなんて何年ぶりだろ」
外向的なセレナと内向的なリリーナでは付き合う人間も違うし、遊び方も異なる。
休日は自宅に居ることが多い
「どこか行きたい所はある?」
「ん~。リリーナと一緒ならどこでもいいかな」
模範解答とも取れるが、私も別に行きたい所があるわけではない。
ただセレナと女の子らしく過ごしたいと思っただけだ。
「じゃあ、靴でも見に行きましょうか」
婦人用の靴屋に入った私たちはひとしきり店内を物色し、何も買わずに外に出た。
これだ。これこそが普通の18歳の在り方だ。
ウィンドウショッピング最高!
次々と町にある店を見て回る。
貴族御用達の専門店から庶民向けのお手頃価格な店まで一緒に回った。
中には私たち好みのネックレスを販売している店もあったが、結局買わなかった。
「本当に見るだけで終わっちゃったね。時間だけが過ぎちゃった」
「いいじゃない。こういう時間がかけがえのないものなのよ」
「リリーナ、変なものでも食べたの? 昔は『時間は有限なのよ』って怖い顔して言ってたのに」
目をパチクリさせるセレナの額に手を持っていき、軽くデコピンする。
あいたっ、と涙目になるセレナは額をさすりながら頬を膨らませた。
これを素でやっているのだから困る。
セレナがクラスメイトの一部の女子から嫌われている理由がここにあるのだろう。
「考え方が変わったのよ。……それにここで何か買っても後に残らないもの」
「リリーナってたまに寂しい顔をするよね」
「だからこそ、時間が大切なのよ。同じ時間を過ごした思い出は朝目覚めても消えないから」
不思議そうに見つめるセレナに手招きして歩き出す。
待たせている辻馬車まで向かう途中、後ろから名前を呼ばれて振り返るとセレナが見知らぬ男性二人に行く手を阻まれていた。
「ハァ……。この世界でもナンパってあるのね」
こんな可愛い女子高生が歩いていれば声をかけたくなる気持ちも分かるが、連れと一緒なのか確認して欲しいものだ。
意図的に私にだけ声をかけていないのだとしたら傷つくけど。
「ちょっと、あなたたち。うちの妹を放してちょうだい」
自分でも驚くほどに声が震えていた。
ここが現実ではないことを理解して強がっていても力では男に勝てないことを私は知っている。
下手に刺激して暴力を振るわれたくない。でも、セレナを放ってもおけない。
こういうとき、少年漫画でも少女漫画でも主人公が来ると相場が決まっているのに、なんでポンコツ王子は来ないのよ。
「あぁ? よく見れば顔が似てるか。でも妹さんの方が可愛いね」
「あんたは先に帰ってていいよ」
邪険に扱われても「はい、そうですか」と引き下がれる場面ではない。
主人公が来ないなら、私がなんとかしてセレナを守らないと。
どこの馬の骨かも分からない連中にヒロインが取られる絵本なんて誰も見たくないもの。
「私たちはまだ用事があります。馬車を待たせていますから、これで失礼いたします」
強引にセレナの手を取り引っ張ると、男の一人が私の腕を掴んだ。
「っ!」
先日、お城の門番に掴まれたときと同じ場所だ。
痛みは引いていたのに、思い出したかのように鋭い痛みがはしる。
「女のくせに生意気だな。俺は伯爵家の長男だぞ」
「そんなことを言ったら私たちは公爵家の娘よ。爵位はこちらの方が上なのだから黙って従いなさい」
うっかりした発言が火に油を注いでしまったことに気づいたときにはもう遅かった。
男は更に力を入れて私の腕をへし折る勢いで握り締めてくる。
「やめて! リリーナを放して! 少しお茶するだけなら行くから」
「ダメよ! お茶だけで済むわけがないでしょ、バカ妹。黙ってなさい!」
痛みで笑う余裕もない。
額からは恐怖からなのか、痛みからなのか分からない冷や汗が流れてきた。
「公爵家でリリーナって。アッシュスタイン家のご令嬢か! てことは、セレナ・アッシュスタイン!? うわ! 初めて見た!」
「お父様が言っていたよ。自分の娘を世界一の美女と言いふらす親バカだってな」
興奮する男と不愉快そうに舌打ちする男が私たちを舐め回すように見てくる。
「でも、アッシュスタイン公爵の言う通りで妹の方が可愛いじゃん。こんな男勝りな姉は放っておこうぜ。なぁ、セレナ嬢? お姉さんが痛がる姿は見たくないよな?」
男の言葉にセレナが頷いたことで私を掴んでいた手が放された。
こんなに痛い目に遭ったのに妹を助けられないなんて、私はどこまで惨めなんだ。
魔法があればこいつらを一瞬で消せるのに。
悔しさから拳を握り締めても今の私はまだ一般人で魔女ではない。
こういうことに遭遇したことのない私は対処方法を見誤ってしまった。
このままバッドエンドに向かうくらいなら、強制的に11周目を終わらせてやる。
物語を終わらせる方法は二つ。
一つは絵本の最後のページを
もう一つは
適当な店の壁に頭を打ちつけるか、舌を噛み切ればいい。
どっちも経験済みだ。相当な覚悟が必要で、とにかく最初は痛い。
二の腕の痛みなんてすぐに忘れるだろう。
「仕方ないわね」
ずっと掴んでいたセレナの手を放すと、セレナは涙目のまま悲しげに微笑んだ。
こんな時まで笑わなくていいのに。
その顔を見て決心を固めた。
私はここで死ぬ。そして、二度と二人きりで町には出ない。
連れて行かれるセレナの後ろ姿を目に焼きつけ、高級店の前に立つ。
今更になってぞろぞろと集まってきた野次馬に見守られながら、私は目を
このまま気を失うまで頭を振り続ければいい。簡単な話だ。
「うわぁ! なんだお前!? 離せよ!」
せっかく覚悟を決めたというのに、セレナが連れて行かれた方向から情けない男の声がする。
仰け反ったままの姿勢で薄く目を開けると、さっきの男二人は彼らよりも頭一つ分くらい背の高い青年に絡まれていた。
「だれ? ポンコツ王子ではないわね」
いつまでも体を仰け反らせているわけにはいかず、体勢を整えて走り出す。
セレナの肩に手を回していた男の手首が背の高い青年に掴まれている。
一瞬の隙をついてセレナを自分の背後に隠した青年がひと睨みしただけで、男たちは走り去ってしまった。
「お怪我はありませんか、セレナ・アッシュスタイン」
「は、はい。ありがとうございます」
惚けているセレナの顔はこれまで見てきた中で一番の乙女の顔だった。
ラウル王子を見つめる顔の比ではなかった。
私はセレナを助けてくれた青年の顔に見覚えがない。
必死に記憶を辿っていると、正面から小さな衝撃を受けて転びそうになった。
「もう! 無茶しないでよ。怖かったんだからぁ」
「ごめんね。でも――」
「でも、じゃない!」
私の胸に顔をうずくめて泣き出したセレナの頭を優しく撫でる。
そんな私たちを優しく見守っていた青年はフッと微笑むと踵を返して人混みの中に消えてしまった。
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