第17話

 横に並んで歩いても対向者とぶつかることのない広い廊下を縦に並んで歩く。

 私はラウル王子の手を取った左手をさすりながら彼の背中を追った。


 案内されたのはお城の医務室で中にはおじいちゃん先生が難しい顔で分厚い本を読んでいるところだった。


「失礼する。この子の腕を診てやってくれないか」


「これは殿下。もちろんです。こちらへどうぞ、お嬢さん」


 洋服の袖をまくると二の腕には大きな手形状のあざができていた。

 簡単な治癒魔法をかけてもらい痛みはなくなったが、あざは少し残ってしまった。


「相当、強く掴まれたのですな。あざは様子を見て下さい」


「はい。ありがとうございます」


 一礼して医務室を出る。

 ラウル王子は姿勢を正したまま廊下をズンズン進んでいく。

 歩く速さについていけなくて、半ば諦めているとラウル王子は進行方向から歩いて来た人物と立ち話を始めた。

 気にせずに近づくと頭の中に警戒音のような聞いたことのないアラームが鳴り響いた。

 記憶が呼び覚まされるような感覚に続き、ラウル王子の話し相手が誰なのかを知る。


「陛下っ!?」


「こちらのお嬢さんが昨日話していた子か。確かにアッシュスタイン公爵夫人によく似ているな」


 頭に響くアラームに従い、頭を下げたままの姿勢で硬直する。私の額からは冷や汗が流れ落ちそうになっていた。

 清掃の行き届いている廊下を汚すわけにはいかない。しかし、手で汗を拭う仕草もしたくない。

 早く行ってくれ。


 私の願いが届いたわけではないだろうが、立ち話を済ませた陛下が通り過ぎてから数秒後に顔を上げて汗を拭う。


「ふぅぅ。緊張したぁ」


「あと少しでわたしの部屋だ。もう少し辛抱してくれ」


 明らかに卒業記念パーティーの時とは異なる雰囲気を放つラウル王子に従い、リリーナ・アッシュスタインとしての振る舞いで彼の私室を目指した。

 作業の手を止めて頭を下げる使用人たちの目を気にしながら、ラウル王子の私室へと入る。

 何気に男性の部屋に入るのは初めての経験だった。それはリリーナとしても、私自身としてもだ。


「あのタイミングで国王と会うなんて、きみは持ってるな!」


 急に肩の力を抜いて上着を脱ぎ散らかすラウル王子の姿に驚いていると、椅子に腰掛けた彼がテーブルを挟んで対面に置かれた椅子を指さした。

 座れ、ということだろう。

 緊張しつつも悟られないように唇と拳を締めて椅子の隣まで歩く。

 しかし、いつまで待ってもラウル王子が椅子を引いてくれる様子はなかった。


「あっ。そっか」


 この世界の日常に慣れてしまっている私は自分の手で椅子を引くという当たり前の行動をすっかり忘れていた。

 怪訝な顔をしていたラウル王子には私の呟きは聞こえていないと信じたい。

 仮にも王子様に椅子を引かせようとした恥知らずの女だと思われたくなかった。


「絵本には登場しなかった国王陛下もこの世界には実在するのね」


「みたいだな。俺も最初は焦ったよ。お前の父でこの国の王だ、って言うから頭おかしいのかと思った」


「ふふっ。最初はそうでしょうね。私も少なからず混乱したもの」


 パーティー会場で会ったときと同じ雰囲気で安心した。

 彼は彼なりにラウル王子を演じているようだ。

 意外にも演技派な一面を垣間見つつも、本題を切り出す前にお礼をしなければ。


「さっきはありがとう。突然、お邪魔してごめんなさい」


「それは構わないが、次からは気をつけて。きみは女の子なんだから」


 素直に忠告を受け入れ、本題へと入る。


「どうすれば元の世界に戻れると思う? 数日過ごしてみて何か気づいたことは?」


「そんなものはない! 分からん!」


 はっきりと断言され、がっくりと肩を落とす。

 これでは無駄に右腕を負傷しただけだ。


「ただラウルは早急に婚約者を探さないといけないらしい。理由は知らんけど、お世継ぎ問題とかじゃないか」


「そのタイミングでセレナと出会ったってわけね」


「確かラウルはセレナと婚約して、彼女に呪いをかけたリリーナを処刑してめでたしめでたしだったよな。じゃあ、やっぱり俺がセレナを好きになって、セレナに好きになってもらうか」


 急にチャラついた発言をするラウル王子に少し引いてしまったのは内緒だ。

 実は現実世界では女の敵なのかもしれない。


「妹をもてあそぶような真似はやめてちょうだいね」


 軽蔑したわけではないが、少しばかり語気が強くなってしまった。

 彼は私の気持ちなど知らずに飄々ひょうひょうと続ける。


「弄ぶってか、それしかないなら好きになるしかないじゃん。好きでもない人の呪いを解きたいとも思わないし、方法がキスなんだからさ」


 そうだ。セレナを救うためにはキスをする必要がある。

 しかし、それは彼女が呪いにかかった場合の話だ。


「あの子に呪いをかけずにハッピーエンドを迎えればキスの必要はないわ。それに10周目のセレナはあなたのことを愛していなかった」


「グハッ」


 左胸を押さえて、ぐえぇーと舌を出すラウル王子はテーブルに突っ伏してしまった。


「え、なに?」


「それは効く。俺じゃなかったとはいえ、面と向かって婚約者が実は自分を愛していなかったと言われれば傷つくって」


「あら、それは失礼。でも、私だってあなたに面と向かって世界で2番目だと言われたときは傷ついたのだからおあいこでしょ。それに殺されたし」


「殺された? 誰に? もしかして俺!?」


 さすがの私も本人を目の前にして「お前に殺されたんだよ」とは言えない。

 目を伏せて無言で頷くとラウル王子はテーブルに両手をつき、鈍い音を立てながら額を打ちつけた。


「ちょっと!?」


「ごめんっ! やったのは俺じゃないけど、今は俺だから、俺が謝らないといけない! 許してくれ!」


 間抜け面を晒している自覚はある。幸いにも彼の視線はテーブルに釘付けになったままだ。


「いいの。私が招いた結果なのだから、あなたが気に病む必要はないわ」


 顔を上げて少年のような笑みを浮かべるラウル王子に見惚れている自分に気づき、雑念を振り払うように咳払いをして話を戻す。


「じゃあ、セレナと会って恋してみる? 私はあの子に呪いをかけたくないから、ちゃんと幸せにしてあげてよね」


「仕方ない。その作戦でいくか」


「本気になったりして。この世界から脱出した後に後悔しないようにね」


 少し意地悪だっただろうか。

 リリーナは元々の性格がアレだから、こういうセリフを言うと自動的に口角がつり上がってしまう。

 決して、私の性格が悪いからではない。と信じたい。


「それはない」


 またしてもきっぱりと言い放つラウル王子を真正面から見てしまい、つまらない意地悪をした自分を恥じた。


「どうして?」


 聞かずにはいられなかった。

 なぜ、そんなにもはっきりと断言できるのだろう。

 相手はこの世界で一番の美人だ。

 それは日本人かつ同性の私から見ても間違いない。もちろん身内贔屓みうちびいきでもない。

 それなのに、なぜ?


「俺には好きな人がいるんだ。その人に告白して振られるまでは別の女子を好きにならない。そう決めたんだ」


「そう、なんだ」


 なんて優しい目なのだろう。

 ラウル王子の顔が優れているからというわけではない。今はラウル王子の姿になっている名も知らない彼の人柄が滲み出ているのだろう。


「だから、俺に惚れるなよ」


自惚うぬぼれないでちょうだい。私にも好きな人がいるの。だからここから出て日本に帰りたい」


「そっか。最初からそのつもりだったけど、互いに協力しよう。あと、俺は二度ときみを殺したりしない。約束だ」


 突き出される彼の小指をじっと見つめ、私も小指を立てた。

 懐かしい。

 この世界に来て指切りをしたことなんてない。元の世界でも高校生になってまでわざわざ約束のために小指を使うことはなかった。


「いいわ。妹の件も込みで約束よ」


 二人の小指が触れ合い、力強く引っ張られて引っかかるように絡まった。

 何も気にする素振りを見せずに指を離すラウル王子にならって、私も表情を崩さずに手を膝の上に置く。

 高校生にもなってこんなことでいちいち動揺する女だと思われたくない。


「リリーナは……リリーナでいいのか? 本名は覚えてる?」


「いいえ。名前だけはどうしても思い出せないの。リリーナで結構よ」


「同じか。俺も名前だけはどうしても思い出せない。年齢とか、出身地とかは割とはっきりしているんだけど」


「この話は止めましょう。お互いのことは詮索しない方がいいわ。日本に戻ってからの生活もあるし、個人情報の漏洩ろうえいは避けたいから」


 苦笑いをこぼすラウル王子はすんなりと理解してくれたようだった。

 私たちは同じ境遇で、同じ目的を持つ同志として協力関係を築くだけでそれ以上の感情は抱かないという暗黙のルールができあがった。


「じゃあ、明日はアッシュスタイン家に来てちょうだい。セレナの方は私がなんとかするわ」


「オッケー。上手くやるよ」


 わざわざ帰りの馬車まで用意してもらい、手土産を持たされて、丁寧なお見送りまでされてしまった。

 私は馬車の中で一人、宝物でも眺めるように小指をじっと見つめていた。


「約束、ね。私はあと何回死ぬことになるのやら。そのとき、彼は何を思うのかしら」


 そんな呟きは風に流されてしまい、御者にも届かなかった。

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