第2幕

11周目

第9話

「セレナーーっ!」


 勢いよく体を起こすと全身が汗でびっしょりだった。

 気持ちの悪いネグリジェを脱ぎ捨て、真っ先に胸を確認する。


「元通りだ。私の胸、穴が空いてない」


 断頭台での斬首刑でも、火あぶりの刑でもない殺され方だった。

 あんなのは処刑とは言えない。ただの虐殺だ。

 思い出すだけで身の毛がよだつ。

 しっかりと記憶されているのに、体にはその痕跡がどこにも残っていない。

 ただ精神的苦痛を現わすかのように、滑らかな胸の谷間には汗がたまっていた。


「戻った!? セレナはっ!?」


 ベッドから飛び降りてハンガーにかけられたナイトガウンを乱暴に取り上げて部屋の中を走る。

 お行儀が悪いとか、そんなことを言っている余裕はなかった。


「おはようございます、リリーナ様」


「退いて!」


 タイミングよく開かれた扉を強引かつ豪快に開き、二人のメイドを押し退けて廊下へ出る。

 セレナの部屋まで全力で走り、扉を蹴破る勢いで開け放った。


「んにゃ!?」


「セレナ!」


「お、おはよう、リリーナ。まだ着替えの途中なんだけど。私から挨拶に行くよ?」


 専属のメイドに手伝ってもらいながら学園の制服に着替えている最中だったセレナに抱きつき、そのまま押し倒す。

 ぐりぐりと頭を彼女の胸に押しつけ、何度も深呼吸した。


「ごめんなさい。私が間違っていた。二度とあなたを呪ったりなんてしないから、許してちょうだい」


「いててて。私、リリーナに呪われたの? それって子供の頃の話?」


 10周目の記憶を抹消されているセレナは困惑顔でされるがままになっている。

 こんなことを言っても彼女には関係ない。ただの自己満足でしかないのは分かっているが、自分を止めることができなかった。


「むむむむ」


 額に指を置いたセレナが可愛らしく唸っている。やがて吹っ切ったように笑顔を咲かせて私を抱き締め返した。


「いいよ、許してあげる。何の話か分からないけど、リリーナは意味もなく変なことをしないはずだから、きっと何か理由があるんだよね」


「うん……うんっ」


 顔を上げられず、声を殺して泣く。

 人前でこんなにも泣いたのは小学一年生以来だった。


 気持ちが落ち着いたところでセレナから離れる。

 気恥ずかしさを隠しながら自室に戻った私は二人のメイドを追い出して、泣き腫らした顔を洗い、雑に着替えを終えた。

 扉の隙間からこっそりと顔を覗かせている二人に気づくと、彼女たちはクスクスと笑いながら入ってきた。

 いつものように髪をとかしてくれる手がいつもより心地よい。


「今日のリリーナ様は普通の女の子のようですね」


「失礼ね。私はいつも普通よ」


「いいえ。いつもは何かに反抗するように、気を張って他人を避けようとされているようにお見受けします」


「……今日はよく喋るわね」


「はい。我々はリリーナ様の専属侍女ですのでセレナ様と仲良くされ、笑顔でいらっしゃることは何よりも変え難い喜びです」


 淡々と言葉を紡ぎながらも手を動かし続ける二人のメイド。

 いつもよりも意地悪に問いかけてみることにした。


「喜び、ねぇ。じゃあ、この世で一番美しいのはだれ?」


「恐れながら、双子の妹君であるセレナ様でございます」


「いつもと一緒じゃない」


 悪びれる様子も、疑う様子もなくメイドさんは声を揃えて即答する。

 いつも通りすぎて思わず吹き出してしまった。

 笑い涙を拭い、顔を上げると鏡の中にはセレナがいた。


「あれ?」


「いつになく優しく笑われるものですから、うっかり三つ編みにしてしまいました」


 髪型をセレナと同じにしたところで妹にはなれない。

 それは根本的に表情が異なるからだ。

 しかし、今回の私は妹にそっくりだった。


「ふん。余計なことを。もう下がっていいわ」


「リボンはどうしましょう。お結びしましょうか?」


「結構よ。一人でできるわ」


 丁寧に一礼して踵を返した二人の背中が遠ざかる。

 私は鏡を見ながら制服のリボンを結び終えた。


「……ありがと」


 自分でも驚くほどに小さな声は二人のメイドに届かなかったかもしれない。

 しかし、扉を閉める直前に楽しげな声が聞こえてきた。


「今日のために奥様がご用意して下さったドレスはとても素敵ですよ。楽しみにしておいて下さいね」

「きっとお似合いになることでしょう。失礼ですが、リリーナ様、リボンが少し右に曲がっています」


 静かに閉じられた扉を見つめ、唇を結びながら鏡に向き直る。


「むぅ。女子高生なめんな。あの二人が完璧すぎるからいけないのよ」


 これまでリボンを真面目に結ぶ習慣なんてなかった。

 高校の制服を思い出していると、ふと一人の男子生徒の影が脳裏に浮かんだ。


「あいつ元気かな」

 

 高校三年生で初めて同じクラスになったあいつに『セレナと闇の魔女』の絵本を薦めたのは私だ。

 まさか読んでくれるとは思っていなかったし、あいつの発言がこんな形で役に立つとも思わなかった。

 オススメしておいて良かった、と心の底から思う。


 あいつの言葉が私にヒントをくれた。


「呪いを解くためには愛する者のキスが必要。セレナが本当に愛しているのは誰? なぜ絵本ではうまくいっていたのに、ここではダメなの?」


 問いかけても鏡に映るリリーナは答えてくれなかった。

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