第8話
セレナはすぐに訪問医の診察を受け、ただ眠っているだけだと診断された。
私が彼女にかけた呪いは『死の呪い』ではなく『眠りの呪い』だ。
最後の最後でためらってしまった。
深い眠りに落ちたセレナが起きる気配はなく、見舞いに訪れたラウル王子も途方に暮れていた。
「キスすれば目覚めるかもしれませんよ」
「きみは確か」
「セレナの双子の姉です。リリーナと申します」
「あぁ。セレナから話は聞いているよ。仲の良い姉妹なんだってね。楽しそうにそう話してくれたのも、ずいぶん昔のことのように感じるよ」
疲弊しきったラウル王子はベッドの上で規則正しい寝息を立てているセレナに顔を近づけたが、キスをするような距離ではない。
「綺麗だ。ただ眠っているようにしか見えないのになぜ目覚めない」
「セレナに呪いをかけた魔女は王子様のキスで目覚めると言い残しています。だから、きっと――」
「ダメだ!」
突然の大声に体が跳ねる。
息を荒くするラウル王子は弱々しく「すまない」と謝罪して床に腰を下ろした。
「セレナはわたしに心を開いてはいなかった。そんな子の唇を奪うような真似はできない」
ギリッ。
砕けそうになるくらい歯を食いしばる私は憤りを隠せなかった。
なんだ、この軟弱な男は。
黙ってキスすればセレナは目覚めるし、命の恩人になって惚れられればハッピーエンドまで突き進めるのに!
「そう、ですか」
私は目を逸らしながら魔力があふれ出ないように押し留めることしかできなかった。
何の進展もないまま時間だけが経ち、遂に絵本の最後ページを迎えたのだと悟る。
なぜか。それは私の元に国王に仕える騎士や魔導師が押し寄せていたからだ。
「これは何の真似でしょうか」
「リリーナ・アッシュスタイン。貴様をラウル王子の婚約者であり、実の妹であるセレナ・アッシュスタインに呪いをかけた罪で拘束する」
穏やかな朝。
優雅なティータイムには似つかわしくない足音が屋敷の廊下に響き、あっという間に囲まれた。
起床時からメイドたちのよそよそしさを感じていたが、勘違いではなかったらしい。
両親を含め、屋敷に仕えている者たちは騎士や魔導師に守られながら不安そうな視線を向けていた。
「どうして私だと?」
「貴様は闇の魔力を有しているな。それが何よりの証拠だ」
なるほど。ごもっともな回答だ。
しかし、取ってつけた感が否めない。
セレナに呪いをかけた日から今日まで私を疑っている素振りは一瞬たりとも見せなかったくせに。
「リリーナ、本当なのか?」
「はい。そちらの騎士様の仰る通りです。ただ、私はセレナの幸せのために呪いをかけました。だから――」
「不届き者が! 自分が何をしたか分かっているのか!? 実の妹を永遠の眠りに就かせ、ラウル殿下との結婚の邪魔をしたのだぞ!」
「だからっ!」
「黙れ! 貴様はもう娘ではない。この女を連れて行け! 私たちの娘を……セレナを奪い、アッシュスタイン家の家名に泥を塗った魔女を許すな!」
憤慨し、非難する父は私の言葉に耳を傾けてくれることはなかった。
床に押さえつけられ、両腕を背後で拘束された私は無理矢理に立ち上がらせられた。
目から涙を、唇からは血を流すアッシュスタイン公爵に頬を打たれ、口の中に鉄の味が広がった。
「二度とその顔を見たくない」
「後悔しますわよ。セレナは生きている。必ず、目を覚ます」
これでいい。
頬の痛みも、心の痛みも全てを受け入れて我慢すれば、セレナは幸せになって物語が終わる。
これで元の世界に戻れるならいくらでも耐えてやる。
◇◆◇◆◇◆
目の前が真っ暗になり、次に目を開けると私は処刑台に立たされていた。
傍らには眠ったままのセレナが入れられた棺とラウル王子の姿があった。
これで私が死ねば10周目が終わる。
その前になんとしてもセレナを叩き起こさなければならない。
呪いが解ければ私は代償として醜い姿となり、闇の魔女として処刑される。
絵本通りではないけれど、ハッピーエンドだ。
「リリーナ・アッシュスタイン。最期に言い残すことはあるか?」
「はい。ラウル殿下に」
「発言を許可する」
「セレナにキスしてください。それが私の最期の望みです。セレナは必ず目覚めます。お願いします」
「戯れ言を!」
民衆たちの怒声と罵声を全身に浴びながらもラウル王子だけを見つめて訴え続ける。
ここで彼がキスをしなければセレナは目覚めず、ラウル王子は婚約者を失い、私は無駄に処刑される。誰も得をしない。
間違いなくバッドエンド。かつて無いほどに最悪の結末だ。
もしも今回までは運が良かっただけで、この処刑後に私が目覚めなかったら?
私はこの絵本の中に閉じ込められて一生を過ごすのか。
それとも本当に絵本の中で死んでしまうのか。
今更、嫌な想像ばかりが思い浮かんでは消えていく。
冷や汗が頬を伝い、流れ落ちた。
「分かった」
ラウル王子は観念したように立ち上がり、セレナの元へ歩み寄る。
棺に手をかけ、体を乗り出すようにセレナの唇に自分の唇を優しく押しつけた。
「やった。これで終わった」
安堵の息を漏らし、顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、涙を流しながら憎悪にまみれた表情で私を睨みつけるラウル王子の姿だった。
「魔女がっ!! この嘘つきめ! わたしから愛しき人を奪い、まだ
ラウル王子の叫び声を正しく認識できなかった。
なんで?
どうして?
王子様のキスで目覚めるはずでしょ?
どうしてセレナは起きないの?
どうして私の容姿が変わらないの?
疑問ばかりが浮かび上がり、頭の中をかき乱していく。
「この女はわたしが殺す! ここまで連れて来いっ!」
用意された断頭台から地面に落とされた私はラウル王子の前に
「ぁぐぅっ」
「簡単に死ねると思うなよ! 卑劣な魔女め!!」
声も出せないほどに何度も何度も剣を刺されては抜かれる。
その度に鮮血が吹き出し、ラウル王子の顔や服を真っ赤に染めた。
「セ、セ……レ、ナ。ごめっ」
死を覚悟してもなお、セレナのことを考えていた私は高校の図書室で、私が勧めた絵本を読んでいるあいつの言葉を思い出した。
『呪いを解く方法が愛する者のキスねぇ。ありきたりだな』
そうだ。
絵本のどこにも王子様のキスとは書かれていなかった。
セレナはラウル王子を愛していなかった。
その事実を胸に抱き、私は絶命した。
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