第6話
片膝をついたラウル王子が堂々とした態度で手を差し伸べる。
「わたしと最初のダンスを踊ってはいただけませんか」
あっ、と声を出してしまい、伸ばしかけた手を素早く引っ込める。
ラウル王子は一切気にしていなかったが、セレナは私の方を見た。不安の色がにじんだ目だ。
何が不安なんだ! 自信を持って手を掴め!
どこの馬の骨だが分からない人とくっつくくらいなら王子様の手を取りなさい!
揺れ続ける不安げな瞳を見つめ返し、あごを引く程度に頷く。
さすが双子というべきか、私の意図を読み取ったセレナは決心したようにラウル王子に向き直り、差し出されている手に自分の手を重ねた。
嫌とは言えない性格の妹と王子様のペアがダンスホールを占拠している。
実に華やかな光景だ。
しかし、彼女の背中を押した立場とはいえ手放しでは喜べない。
見れば見るほどにセレナは困っているようだった。
「緊張しているの? それとも本当に別に好きな男がいるの?」
ドレスを着ていることも忘れて、腕組みした上に眉間にしわを寄せていた私はハッとして首を振る。
今の私は腐っても貴族令嬢だ。ダンスの誘いは断っても、お行儀よくしておかなければならない。
「セレナ・アッシュスタイン。わたしの婚約者になって欲しい」
「え、えぇ!? そ、それは……その、大変嬉しく思います。あの……えっと。はい、お願いいたします」
ダンスホールのド真ん中で
前々から思っていたけれど、これはずるいと思う。
だって、こんなに大勢の前で一国の王子の申し入れを公爵家の娘が断れるはずがない。
この空気感――祝うつもりしかない連中はセレナの返事を待たずに拍手を始めた。
その拍手にはラウル王子の面目を潰すな、という脅迫じみたものを含んでいるような気がしてならない。
「絵本って優しいのね」
私が読んだ絵本の中のセレナは即答していたが、この世界のセレナは即答しない。
いつも遠慮がちに了承するのだ。
私はこの緊張感や空気感に呑まれているから、おずおずと返事しているのだと思っていた。
しかし、もしも違っているとしたら?
そう考えると背筋が凍る思いだった。
ラウル王子と一曲を共にしたセレナと腕を組み、ダンスホールからパーティーホールへと移動する。
「リリーナ?」
「いいから。黙ってて」
ラウル王子と彼の付き人が追いかけてきて、私たちに声をかけた。
「もう少し一緒に居られないだろうか」
「申し訳ありません、ラウル殿下。恐れ多くも妹は体調が優れないようです。後日でよろしいでしょうか」
こんな会話をするのも初めてだ。
私の全裸姿を見ているのだから大人しくしておけ、と言えればどんなに楽だったか。
「それでは仕方ない。分かった。後日、使いの者をよこそう」
「ありがとうございます」
一礼して学園の前で待機している辻馬車の一台に乗り込む。
馬車が動き出してすぐにセレナは私の肩に頭を乗せて眠ってしまった。本当に疲れていたのだろう。
「お疲れ様、お姫様」
◇◆◇◆◇◆
翌日の朝、両親に昨日の件を報告したセレナは照れながらも笑っていた。
「お父様もお母様も喜んでくれて良かったわね」
「本当に私でよかったのかな。絶対にもっと相応しい人がいるよ」
「どこかの王女様とか?」
「うん」
初めて入ったセレナの部屋は見事にピンク一色だった。
女子力高めの部屋に置かれたベッドの枕元には大量のぬいぐるみが飾られている。
「これが世界一の部屋か」
質素な私の部屋とは大違いだ。とても同じ広さの部屋とは思えない。
遠慮がちに椅子に腰掛けた私はメイドさんが用意してくれたティーカップを傾けた。
「昨日はありがとう。私一人ではどうにもできなかったと思うから」
「ヒロインは12時までにお城を出るものなのよ」
「ふふっ。なにそれ? そんなの初めて聞いたわ」
可愛らしく笑うセレナに一安心する。
「卒業式には出られそう?」
「うん、大丈夫。学園生活最後の日だからちゃんと行くよ。リリーナこそ、すっぽかしたりしないでね」
ますます私じゃん。
いつも通りに通学し、つつがなく式を終えて帰宅した。
この世界にはカレンダーというものが存在しないから、あれから何日経ったのか分からない。
気づくとセレナとラウル王子は無事に婚礼の儀を終えていた。
疲労困憊の様子で帰って来たセレナを休ませた翌日の朝、私は再び彼女の部屋を訪れた。
「よくあの儀式に耐えられたわね。待ち時間が凄かったでしょ? 注文も多いし、化粧の濃いおばさんがいちいちうるさくなかった?」
「そうそう! 途中、めまいしちゃって大変だったよぉ。って、なんでそんなに詳しいの!? リリーナも婚約してるの!?」
「あ、今の嘘。忘れて。なんとなくの想像だから」
仮にこの10周目を失敗したとしても、今回の会話を次回のセレナが覚えているわけではないのだからなんら問題はない。
しかし、とっさに嘘をついてしまった。こんな風に立ち回るのは初めてだ。
今回は初めて尽くしだな、と感慨深く思っているとセレナが珍しくため息をついた。
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