おはよう
青海老ハルヤ
おはよう
「……また、雪だ」
誰かが呟いた。2122年。東京。そこは、子供が雪に喜ばない世界。灰が雪と見分けがつかない世界。延々と続く曇り空から、時々何かが降ってくるだけだった。
「あぁーつっかれたぁ」
そんな声が仕事終わりの食堂に溢れかえった。中でも大きいのはクロの声だ。食堂にはもう40代になるベテランから10代の若者まで広い世代の人々で埋め尽くされている。14歳のクロは中でも若い方だった。
クロはカレーを受け取って、アヤの席の前に座った。仕事終わりの飯は格別だ。まだ仕事に慣れないクロにとって、この時間だけが癒しだった。
「まあそう言うな。これでもだいぶマシになったんだから」
30代になろうかというアヤが、シワを濃くしながらそうたしなめると、クロは無言でカレーを口に入れた。昔は寒さで石油が凍ってしまったため、石炭で蒸気機関と言う時代錯誤な掘削をしていた。クロは何度か寒かった日に使ったことがあったが、二度とあんなのに触りたくなかった。
クロの母親はアヤの姉である。クロがこの炭鉱に働くようになったのは、アヤがいるからでもあった。もう働く歳ではあるが、母はまだクロのことが心配で仕方ないらしかった。
はあ、とクロは白い息を吐いた。カレーを食べたから体内の温度が上がっているのが分かる。しかし、貴重な石油の節約のため食堂の暖房が切られたのには随分堪えた。地下だからだいぶマシではあるが、ちょっと上に行けば地面すら凍っているのだ。
クロは正直飽きていた。もう暗くて冷たい地面はこりごりだ。絵本が残っているのが良くなかった――大人はありがたかって子供に絵本を読ませるが、そのせいでいらない希望を持ってしまう。
カレーを食べ終わったクロが無言で皿を見つめていると、アヤが覗き込んできた。
「おいどうしたクロ。顔がしんでるぞ?」
「いや、ちょっとさ。疲れた。なんかさ」
なんでみんなそんなに働けるんだ、とクロは思う、尊敬ではなく。こんなに寒くて、夢もなくて、それでも生きなきゃならなくて。
娯楽もない。希望もない。誰もが生きるのに必死で、せいぜい過去の映像や本を読むのみだ。つまらない。生きる意味がわからない。
要点をまとめると、クロは30分ほどかけてまくし立てた。ちらほら周りの作業員は自室へと歩いていった。
「はあ……100年より前に生まれたかったな……」
クロはそう言って締めた。立ち上がって荷物を取る。もうだいぶ眠気が増してきていた。
「ごめん。こんなにグダグダ喋って」
「いや、いいさ。それよりもさぁ……」
少しもったいぶってアヤがスプーンをくるくると回した。
「クロ今16だっけ。太陽見たことないの?」
「14! ……まあ、ないよ。母さんもないっつってた」
「そうかい」
上空の雲は厚く、晴れることは無い。それにそれより高い山に登ろうにも普通の雲と違って時々岩石が飛んでるから危険で登れない。
「じゃあ今週末開けておきな。面白いもん見せてあげるよ。」
ニヤッと笑うアヤの顔にクロは少しだけ笑った。
そして週末。アヤに連れていかれたのは富士山の麓だった。富士山は100年前噴火しなかったため、今では大規模な農業が行われている。地熱のおかげで温める電気が少なくて済むからだ。他にも箱根とかでも行われているらしい。
「で、なんのために来たの?」
観光などから来る必要はない。結局のところ土いじりには変わらないのだ。そしてその土はもう見飽きている。
だが、
「これから分かるさ。」
とアヤはそれ以上言ってくれなかった。
そして少し歩くと、白い建物の姿が見えた。白いと言っても灰を被っているせいですごく見にくい。
アヤがカードキーみたいなものを機械の上にかざすとピピーッと言う音がしてドアの鍵が外れた。よく見ると関係者以外立ち入り禁止と書いてある。
中はコンクリの灰色の廊下が続いていた。黒崎何となく好きにはなれなそうだった。
いくつかのドアがあるが、一番奥だけ銀行の扉みたいなドアだった。酷く張り詰めた雰囲気を感じつつ、その一つ手前の右手にあるドアに入る。
そこにいた人物にアヤがなにか喋っている。よく分からないが、少なくともあのニヤリは黒を何かしらで驚かせる気なのだとわかった。。絶対に驚いてやんね、とクロは心に誓った
そんなことを考えているうちにアヤが戻ってきた。酷くひきつりニヤニヤ笑いが止まらないアヤにクロは警戒したが、まだ何もされなかった。
「許可が取れた。ついてきな」
さっさと歩いていき、ドアを開けて右に曲がって行った。つまり銀行の扉だ。
クロの生存本能が行かない方がいいと告げていた。しかしもう行くしかない。既にアヤの手中にハマりつつ恐る恐る着いていく。そして、アヤが舵みたいなやつをぐるぐる回し、ついにドアが空いた。
ドアの先はエレベーターがあった。
思わずクロは困惑した。なんだこれ。
少し不満げに「エレベーター?」と聞くとアヤがまたニヤリと笑った。エレベーターなら何度か乗っている。それが驚くべきことになるとは思いもしなかった。
「ちょっとG強いけど我慢しろよ。1番大きくてせいぜい3Gだ。別にそんくらい大丈夫だろ?」
そんなこと言われても自分自身どれだけ耐えられるのか分からず、クロは困惑した。咄嗟に書くそうとしたが顔に出ていたらしい。
「まあだいたいジェットコースターくらいだ」
「乗ったことないって」
そんな会話しているうちにエレベータのドアが閉まった。その瞬間。
ドンッという衝撃が体を襲った。すごい地面に押し付けられている。
「やばかったら言いな」
なんでアヤ喋れるんだよって心の中で突っ込んだ 。慣れないのだろうか。実際にやばくても声を上げられない。こんなエレベーター乗ったことない。
「上に上がるのに何時間もかけてらんないからね」
いやいや、と首を横に振る。そうこうしてるうちにもう上に着いた。
「6時35分。だいたい時間はちょうど。」
アヤが腕時計を見た。その瞬間。
エレベーターのドアが空いた。
「空が…」
クロに3Gよりも凄まじい衝撃が走った。美しい星空が雲の上に浮いている。星とはこういうものなのか。クロは涙が出てきた。と、
明るい光のせいでだんだんよく見えなくなっていった。白い光線とともにゆっくりと星が消されていく。
それは、凄まじいものの目覚めを意味していた
ばっと振り返った。東の空にオレンジ色の光が、差し込もうとしている。
下の雲がゆっくりと照らされている。オレンジが少しずつ黄金に変わっていく。そして。
光が全てを照らした。
なんだこれ。暖かい。明るい。眩しい。そうクロは叫んだ。
単純な言葉しか出てこない。美しい。綺麗だ。すごい。すごいすごいすごい!
クロは体が喜んでいるのを感じた。まるで飛んでいるようだ。遠くの空に向けて羽ばたく鳥に乗り移って、風に吹かれながらここを飛ぶことが出来たらなんと素晴らしいのだろう。
いつの間にかアヤに腕を掴まれていた。足元がフラフラして、母さんが酒飲んだ時みたいだ。いや多分そんなレベルじゃない。この心地良さはそんなもんじゃない。
「危ないねえ全く。まあアタシも似たような感じだったけどね。初めて見た時は」
アヤの言葉もなかなか入ってこなかった。岩に腰かけ、いつの間にかつけられていた酸素ボンベからゆっくりと息を吸う。
「さて、帰るかね。もっと居たいかもしれないけど、酸素ボンベだってタダじゃないんだ。それ10分くらいしか持たないし、もう5分経ったし。早めに言っとかないと駄々こねそうだからね」
「……分かった」
よっこらしょ、と立ち上がるとアヤが急に酸素ボンベを外した。え?と戸惑うと一言だけ呟いて酸素ボンベを戻した。
笑った。そうだ。今は朝か。
「おはよう。アヤ。本当にいい朝だね。」
アヤはまたシワを濃くしながら笑った。
おはよう 青海老ハルヤ @ebichiri99
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