愛しきマイ・ロード
雀村
愛しきマイ・ロード
――ああ、死んでしまったのね。愛しいあなた。大好きだった。この世の誰よりも、何よりも。肉塊すら愛おしい。食べてしまいたいくらいに。
王であるあなたは幼い頃から私の憧れだった。素敵な笑みを浮かべ、婚約者となった私をいつも優しくエスコートしてくれた。王妃となったあと、戦いで国が混乱し心無い噂や悪しき
思い出す全てがどうしようもなく愛おしいせいで、心は潰されそうなほど辛く、悲しみが満たしている。どうすればもう一度あなたに会えるの? もう一度愛してるという声を聞けるの?
突然の別れは、私に何の準備も許してくれなかった。「行ってくる」と出かけたあなたを、当然のように「おかえりなさい」と迎えるものだと思っていた。でもあなたは帰って来なかった。暴走した馬車とともに崖下へ落ちたあなたの体は、見るも無惨な状態だったわ。血が吹き出し、あらゆる骨が折れ曲がっていた。美しかった顔だけが、奇跡のようにそのままだったのは幸いだったわ。澄んだエメラルド色の瞳はひとつだけどこかへいってしまったけれど、残ったひとつは無事だった。
おかげで事故の原因を知ることが出来たの。あなたの目玉を使い、水鏡の魔法で事故の数分前までを見ることが出来たわ。
驚いた。従者の男が、渓谷に差し掛かったところで馬の耳元に火薬を投げた様子が映っていたのだから。パニックを起こした馬を崖に誘導したあと、従者の男は馬車から飛び降り、夫とほかの従者たちはなすすべなく硬い地面へ叩きつけられた。
もちろん生き残った従者の男を問い詰めたわ。死なない程度に痛みを与え、夫を殺した理由を洗いざらいしゃべらせた。
大したことのない理由だった。税を滞納していた婚約者の実家が立ち退きを迫られたため、王を殺し国の混乱に乗じて立ち退きの件をうやむやにするつもりだったそう。
思慮の浅い身勝手な行動ね。王を殺すことがどれほど重い罪か想像すら出来ない愚か者。こんな人間のために私の愛するあなたは世界からいなくなってしまった……。
男を処刑することはしなかったわ。だってあなたは私の次に国民を愛していたでしょう? だから処刑の代わりに全身の骨を折って地下に幽閉したわ。計画を知っていた婚約者とその実家の者たちも全員ね。どんな苦痛でも気絶しないとびきりの気付け薬を飲ませ続けているから、きっと今も地下牢で呻いているはずよ。一応短刀だけは持たせてあげたわ。好きなときに自害できるようにね。もっとも、腕一本動かせない彼らにとってはそれさえも至難の業でしょうけど。
頭の悪い従者を雇い入れた大臣もクビにしたわ。そしてこの国に二度と居られないようにした。
復讐はそれだけ。何ひとつ心の埋まらない退屈な作業だったわ。あなたの死の原因を明らかにしたところであなたは帰ってこないもの。虚しいだけね。
あなたの立場を継いで私が女王になったわ。追放した大臣の代わりに優秀な人間を何人か雇い入れた。だから政務に滞りは無いの。あなたの仕事を隣で眺めていたおかげで、私にも少しくらいならあなたの真似事ができたから。
コンコン、と開け放した部屋のドアを誰かがノックしてる。ああ、執事のカールね。
「私に来客かしら?」
「はい。ザルアーツ国の魔術師と名乗る方がお見えになっています」
「すぐに行くわ。来賓室に案内して差し上げて」
カールは何かを言いたげにこちらを見ているわ。もちろん顔には出ていないけど、長年付き合いのある私には分かるの。
「何かあるの? カール」
「はっ……いえ。……そちらを持って行かれるのですか?」
カールの視線は金細工が散りばめられたガラス瓶に向いている。今まさに私の侍女が二人がかりでそれを持ち上げ、銀の台車に乗せているところ。
「ええ。これが必要なんですもの」
カールはそれ以上何も言わなかった。私もそれ以上答えるつもりは無いわ。カールを先に行かせ、私は台車を押す侍女たちとともにゆっくりと魔術師の待つ来賓室へ向かう。
魔術師は見目の良い少女だった。銀色の髪と長いまつ毛。紺のローブには星屑のように宝石が張り付いている。数百年を生きる魔女だとは誰も思わないでしょうね。でも私には彼女が本物だと分かる。だって瞳には地獄が映っているんだもの。この世のあらゆる善悪と厄災を知っている目。人ならざる生き方をしてきた者の証だわ。
「お初にお目にかかります、ティア女王殿下。仰せのとおり、何体か使えそうなものを持ってきましたわ」
彼女の後ろに立つ仮面を被った大男が両腕に砂袋のようなものを抱えている。体のあちこちにツギハギがあるから、きっと人では無いのでしょう。
「まあ、ありがとう。素敵な贈り物だわ」
大男がそっと降ろした砂袋を見て私は言う。もちろん社交辞令なんかじゃない。心からの言葉よ。
「そう言って頂けると光栄ですわ。そして、そちらが……」
魔術師は銀の台車に乗せられたガラス瓶に目を向ける。
「ええ。私の夫よ」
「女王殿下同様、お美しい方でございます」
魔術師はうっとりしたようにつぶやく。
ええ、そうでしょう。だって私の愛した人だもの。顔も、声も、魂までも、すべてが美しい人よ。
ガラス瓶には夫の頭部が入っている。事故で唯一原形をとどめた場所だから腐敗しないよう特殊な薬液に漬けていたのだけれど、目的は保管のためじゃないの。
「それで……どうかしら、あなたの魔術で夫は蘇って?」
魔術師は息を呑み答えた。
「もちろんですわ、女王殿下。これほどキレイな状態で保存されたものを私は見たことがございませんもの。必ずご期待に応えてみせます」
そう言って妖艶な笑みを浮かべる。なんて頼もしいのかしら。
それから2日、魔術師は夫とともに地下牢の隣にある魔術部屋にこもった。牢では相変わらず夫を殺した者たちが呻いていたけど、魔術師はちっとも気にならなかったらしいわ。時折食事のために上階に戻ってくると、「順調ですわ」と言ってにっこり笑っていたから。
体の候補は4つあったので、一番体格の良いものを選んだわ。夫にそっくりなたくましい二の腕をしていたことも決め手の一つね。
「さすがお目が高いですわ。これが一番新鮮なんですのよ。つい昨日手に入れたばかりですの」
うふふ、と魔術師が笑う。どのようにしてこの体を魔術師が用意したのか、正直なところまったく興味が無いの。再び私を抱くのに不足の無い肉体でさえあれば、元の持ち主が誰であろうと別に構わないもの。
3日目の朝、執事のカールが魔術師の伝言を持って部屋を訪れた。
「“無事に完成しました。再び愛の道をお行きください”。とのことでございます」
「お帰りになったの?」
「はい。次のお客様がいらっしゃるため、別れのご挨拶を割愛させて欲しいと言っておられました」
「そう。忙しい方だもの、仕方ないわね。お礼を伝えられなくて残念だわ」
魔術師は伝言とともに手紙を執事に預けていた。そこにはいくつか注意事項があったわ。
――目覚めてすぐはひどく空腹です。生きたお肉を数体分、与えてください。肉は何でも構いません。豚でも牛でも、人間でも――
地下に下りると、いつもの罪人たちの呻き声のほかに、真新しい低い声が混じっていることに気づいたの。地下牢の隣の部屋は鋼鉄製の扉をはめているけど、そこをドンドンと叩く音も一緒に聞こえたわ。
扉の小窓をそっと開けて中を覗くと、私は思わず両手を口に当てて「あっ」と叫んでしまった。同時に涙が溢れてくる。
そこには夫がいた。薬液に漬けられた冷たい亡骸ではなく、立ち上がり動き回る夫の姿があった。私の胸を歓喜が満たしたわ。かつてのような血色の良さは無く、目は虚ろでヨダレを垂らしているけれど。目的も無く壁を叩き、私を見て駆け寄っても「あー、うー」と言葉にもならない声しか出せないけれど。それでも夫だった。私の愛したフィリクス王だった。
「あなた……」
喉がつかえてそれ以上の言葉が出ない。喜びのあまり立っていることさえ困難だった。早速扉を開けようとしたがカールに止められる。
「殿下、空腹を満たして差し上げるのが先では?」
そうだった。夫は目覚めたばかりでひどく空腹なのだ。食事ならちょうど良いものが隣の牢部屋に転がっている。従者に頼んで彼らを牢から引きずり出すと、夫の部屋の前に置いて扉のカギをそっと開ける。
私たちは離れたところからそれを見ていた。夫は扉が開いていることに気がつくと、ゆっくり扉の外に出る。夫は全裸だった。一刻も早くその腕に抱かれたい衝動に駆られたが、まずは食事が先よ、と自分に言い聞かせる。
夫は足元に転がる食事に気づくと、膝をかがめ匂いを嗅いだ。相手は夫を殺した従者の男だ。まだ頭が狂っていないのか、夫を見て怯えている。
やがて夫は食事を始める。これまでに無い程の叫び声が地下に響き渡った。
なんと素晴らしいことなのだろう。苦しみ続けて衰弱死するか自死するしか無かった彼らが、生まれ変わった夫の糧となり魂を共にするのだ。罰では無く褒賞ではないか。出来ることなら代わりたい。彼らの代わりに妻である私の肉体で夫の飢えを満たしたい。……だがそれをしてはこれからの夫との甘い日々を味わうことが出来なくなる。とても辛いけれど、今は耐えなければならない。
夫は一人ずつゆっくりと腹に入れていった。隣の者が生きたまま喰われる様を見て、次に控えた者たちは泣き叫んでいたが、あれはひょっとして歓喜の涙じゃないかしら。だとすると、彼らもようやく夫に魂を委ねる歓びを知ったということ。なんて素晴らしい光景なのかしら。
夫は数人をぺろりと平らげると、満足したようにその場で眠りにつく。たった一人、従者の婚約者だけが可哀想なことに夫に食べてもらうことが叶わなかった。狂ったように叫んでいるため、これでは夫の安眠の妨げになってしまう。布を咬ませ、次の食事のときのために再び牢へ戻す。床に散らばる食べ残された手足も一緒に放り投げた。夫は数人がかりで担架に乗せ、私の寝室に運びベッドに寝かせた。
侍女たちを下がらせると、夫の隣にそっと横になる。
二人きりだ。この世界に二人きり。……ようやく。
たくましい腕も胸板も、もとあった夫のものではないけれど、別に構わない。今はもう私たちのものなのだから。
頭部と胴体のつなぎ目を指でそっとなぞる。愛しいあなた……もうどこにも行かせないわ。
それから幾月か経った。
安寧の日々は私の心を幸福で満たし、これ以上無いほどの十分な愛が私をいつも包んでいる。
夫は、放っておけばすぐにどこかへ行ってしまう。だから革紐でベッドに縛り付けている。おかげで眠るときや、疲れて休むときはいつも一緒。
数週間に一度、食事のときだけは地下にいって彼の空腹を満たしてあげている。けれど最近は食事のたびに臭くて湿気の多い地下室に行くのが憂鬱になってきた。今度からは一緒に食堂で食べるようにしようかしら。私のディナーの時間に合わせて罪人を連れて来ればいいんだもの。そうね、そうしましょう。
ああ、今夜の月も素晴らしいわ。ベッドに横たわるあなたと見る月。あなたの美しかったエメラルドの瞳は両方とも無くなってしまったけど、今は魔術師の持ってきたサファイア色の義眼をつけている。それも素敵よ、あなた。
言葉なんて喋れなくてもいいの。私を分からずに呻くだけだって構わない。あなたがただそこにいる。心臓が動き、息をしてる。その腕で私を抱くことが出来る。それで十分。
ああ、マイロード。私の王。死ぬまで一緒よ。愛してる。
愛しきマイ・ロード 雀村 @ykd_szm
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