ブッコロー -幸せのミミズク-
やまとピース
ミッション1:相棒をあいつの胸元へ
カタンガタン、カタンガタン。
身体が慣れ親しんだリズムに揺れる。ふと昔よく聞いていたミスチルの曲が頭の中に流れ始める。夕暮れ時の柔らかい光がまだ芽吹いていない冬枯れした枝の隙間から途切れ途切れに電車の中に差し込む。
「今日も終わりか。」
なぜだか、ここ最近、気力に欠けている自分がいる。
これと言って不満があるわけじゃない。仕事もそこそこ頑張ってるし、入社以来順調にキャリアをつめているし、ある程度信頼されている感覚もある。時々残業する事はあるけど許容範囲内。大事な家族もいて、ささやかな趣味に使えるお金だってある。自分ながら平均的に幸せだと思う。なのに、この平凡で幸せな日々が延々と繰り返されていく内に自分が少しずつ年を重ねていく事が行き先の分からない緩やかな螺旋階段をぐるぐると登らされている様で不安になる。いや、年月が流れる速さは確実に上がっているから、重力に引っ張られて下りているのか。一つ一つ標識を確認して確実に歩を進めてきたはずなのに、気が付くとどこに行こうとしているのかが分からない。向かうべきはどこだ?
キーッ。
規則正しく揺れていた身体が突然ぐらりと前のめりになった。
「あれ?次は俺の駅のはずだけど…」
見慣れない景色の中、電車が速度を落とす。
-ご乗車のお客様にお知らせいたします。只今線路内に障害物が見つかったとの連絡が入りました。つきましては、安全が確認できるまでの間、次の駅で一時停車いたします。お急ぎの皆様には大変ご迷惑をおかけいたしますが…
いつも乗る急行は停まらない駅だ。
スマホで帰宅ルートを検索する。自宅近くの市役所前を通るバスが北口付近から出ているようだ。「スマホ様様だ…。」そう思う度に、自分がスマホもその前のガラケーも、そしてその前の携帯のない時代さえも知っている事に年齢を感じる。少し離れた場所でケラケラと楽しそうにしている高校生たちを見て、あの子らはきっと物心ついた頃からスマホだ、と思う。透明だけど重くてぶ厚い壁を感じる。
電車が停まって、ホームに降り立った。予期していなかった冷たい風の塊に当たられてコートの裾が膨らみ足元がすくわれ一瞬身体が浮いた気がした。軽いめまいか、目の前の景色が少し歪んだ。ドキッとして目をつむり頭を細かく左右に振った。深呼吸して目を開けるともう何ともなかった。「やっぱ疲れてるのかな。」と思ったのも束の間、歩き出すと案外身体が軽く、不安な気持ちはスッと消えた。初めて上る階段を上り、初めて通る改札口を通り、素直に看板の矢印に誘導されて連絡通路を渡る。こじんまりとした駅だけどタイルの壁が大胆なモザイク調で異国感が漂う。「escape」の単語が頭に浮かんで、我ながら単純だと思った。
駅の北口を出ると正面のロータリーにタクシーが2台ほど停まっていた。
グルっと見回したけれど近くにバス停らしいものは見当たらない。スマホのルート案内を見るとバス停まで徒歩6分とある。目当てをつけての歩き出したけれど、ルート上の自分の位置情報が定まらない。真っすぐ歩いているのに、ルート上の青い丸の自分はフラフラと迷っている。
「おいおい…。電波か?」、と思うが、それは大丈夫そうだ。
近くにバス停は、と探すがやっぱり無い。
仕方なく、ロータリーまで戻って、客待ちの運転手さんに尋ねる事にした。
「すみません。〇〇市役所行きのバスに乗りたいんですけど、バス停、どこかご存知ですか?」
「バス停?この辺にあったかなぁ…。普段使わないもんでね。」
「地図だと、ここから6分の場所らしいんですけど。」
そう言って、スマホの画面を見せた。
眼鏡を少し広めのおでこまで上げてスマホ画面をのぞき込むと運転手さんは言った。
「妙だな…。この地図、最近のじゃないね。ん?これきっと昔の駅舎だよ。500mほど北にあったんだけどね。この駅は2年ほど前に新しく建ったのよ。」
「えっ?そうなんですか。」
「この駅が昔の駅だとすると、バス停の位置も怪しいなぁ。まぁ、でも北方向なのは確かだから、その道沿いに行くといい。ポチポチお店もあるから、見つからなかったら、そこで聞けばいいし。」
普段の行動範囲はごくごく限られていて、旅行にでも行かない限り地図アプリに世話になる事はないけど、今までこんな事は一度もなかった。まさか2年前に移動した駅の情報さえ更新されていないのかと思うと、何だか笑えた。需要のない場所は優先されない。当たり前か。何でもスマホが解決してくれる便利な世界はどこにでも存在するわけじゃないらしい。
「やっぱ、最後は人間力が試されるってわけか。」、と急に見知らぬ世界に放り出され、サバイバルモードにシフトされた気がして、ワクワクした。
運転手さんにお礼を言って、ロータリーの歩道沿いを左回りに歩いて、運転手さんが指さしてくれた道に曲がった。冷たい向かい風だ。寒さに肩を縮こめつつも自分の頬に笑顔が乗っているのを感じながら、スマホをポケットにしまってコートの襟を立てて歩き始めた。
その道は、開けていたロータリーに続いているとは思えないほど狭かった。ひと時の賑やかだった頃を彷彿とさせる古びた看板や、色褪せた日よけをつけた間口の広い建物がいくつもある。故郷の夏祭りで狭い道にも屋台が一杯出ていた商店街の光景を思い出す。りんご飴は見かけほどおいしくなかったよな、と思う。あのスポンジっぽい林檎らしからぬ柔らかい歯ざわりが蘇る。食べきれなくて、でも多くないお小遣いを使ったから捨てるのも忍びなく、家に持ち帰って、翌日冷蔵庫に鎮座するテラテラと赤い姿を見て、馬鹿な自分にイラっとした。あの時の気持ちがあまりにそのまま再現されて、一瞬昔の自分に乗っ取られた気がした。今舌打ちをしたのは、どっちの自分だろう。
閉店して何年も経ったような店舗跡が続くなか、少し先に一軒開いている店がある。
「あそこで、聞いてみるか。」と歩を進めていると、ちょうど緑のエプロンをした背の低い若い女性が店先に出てきた。郵便受けからか、封筒の様な物を取り出すと、しばらく空を見上げている。そして、ガクッと首を折り封筒で頭を叩いた。大げさに肩を落とし、50メートル先からでも分かるような大きな溜息をついて首を横に振った様だった。学生の頃に観た舞台の役者みたいだと思った。何か外国の悲劇で内容はよく覚えていないが涙が出たっけ。女性は何か思い直したようにアタフタと店内に姿を消した。
店の前まで来ると、そこは小さな書店兼文房具屋兼おもちゃ屋のようだった。ショーウィンドウには絵本や文具、パズルゲームのような物が細々と並べられている。そして隅の方にはどぎついオレンジ色をしたぬいぐるみが焦点の合わない大きな目で瞬きもせずに前を見ている。そこに意思の様な物を感じて、視線の先に何があるのか気になって振り向いたが、向かい側には赤い郵便ポストがあるだけだった。向き直ると、目が合った…、気がした。
その変なぬいぐるみのせいか、ちょっと不信感を抱きながらそっと中を覗くと納品直後なのか、棚卸の最中なのか、床のあちこちに段ボールが積まれている。さっきの店員さんの姿は見えない。
「すみません…」、と遠慮がちに声を掛けながら店に入ると、カチカチカチという何かが引っ掛かった様な音が聞こえたと思ったら古めかしいチャイムがかなりの音量で乱暴に鳴った。当たり障りのない最近のピンポンに慣れていたせいか、ギョッとなった。
少し間をおいて「はーい。只今―!」、と奥から元気な声がしたが、すぐ現れる気配はない。それとなく本棚を見ると並べられているのは古い書籍ばかり。古本屋なのか、昔全巻揃えて持っていた懐かしいマンガ本もある。棚はあちこち歯が抜け落ちたみたいに空いていて、少し黄ばんだ白い棚が見え隠れしている。レジ近くの壁際の棚には文房具が所狭しと並んでいる。昔使ってたな、と思うような物が多い。懐かしさに誘われて店の奥へと移動していくと、小さなガラスケースが目にとまった。中にはギフト用のペンが並んでいる。
「あっ!」、と息をのんだ。
そこには、昔就職祝いにと叔母からプレゼントされたのと同じシリーズのペンがあったのだ。気に入って大事に使っていたのに何年か前にどこかで失くしてしまった。あのペンは入社式からいつも胸のポケットにあった。今の妻に出会った時に電話番号を書いたのもあのペンだったし、娘の出生届けに記入したのもあのペンだった。失くしたと気付いた時には大事な相棒が突然いなくなってしまったような気持ちになり焦って何件も何件もあちこち文具店を探して回った。でも結局どこでも見つからなかったのだ。それが今、目の前にある。直感的にこれさえ戻って来てくれたら全部大丈夫な気がした。
そこへパタパタと店員さんが現れた。
「すみません。お待たせしましたー。何か…」
気持ちの高揚を抑えきれず、店員さんの言葉を遮って唐突に聞いていた。
「あの、このペンなんですけど…。」指さす手が心なしか震える。
「ボディがシルバーのってあったりしますか。いや、この黒のもいいんですけど、前持ってたのがシルバーで…。」
「シルバーですね。見てみますね。」、と言うと、商品の名前をメモってレジへ急ぐ。レジの後ろからファイルを引っ張り出して一生懸命調べてくれている。
「あのー、お時間まだ大丈夫ですか?実はここ祖父の店なんですけど、最近いきなり継ぐことになっちゃって、まだ何がどこにあるかぜんっぜん把握できてなくって…。」、と言うと、店員さんは短く鼻をかんだ。
「あー、はい大丈夫です。色々懐かしい物があるんで、見せてもらいながら待ってますんで。」
「そうですか。祖父の事だから、きっと売れなくても色々ずっとそのまま置いてたんだと思うんですよね…。きちんと整理して、商品も入れ替えないととは思っているんですけど、どこから手を付けたらいいか本当分からなくて…。実はちょっと途方に暮れてるんです。」
「いえいえ、こういうお店貴重ですよ。実は僕、そのペン、どこ探しても見つからなかったんで諦めてたんですよ。大好きだったんで、失くした時すごい落ち込んじゃって…。だから今日、こちらに立ち寄れて本当ラッキーでした。おじい様にもどうぞよろしくお伝えください。」
「えっ、そうなんですね。それは良かったです!そう言って頂けると祖父も喜ぶと…。あっ、これだ!在庫があるとしたら…下の棚だな。」ファイルを指で軽くトントンと叩くと、ガラスケースの前の床に膝をついて下の扉を開けては中を確認していく。3つ目の扉を開いたところで、「あー、これ、これ。ちょっと待ってくださいよ。シルバーですよね。」、と几帳面な字で数字が書かれた箱を開けた。
「はい、でも無ければこっちの黒でも…」
「ありました!一つだけ残ってましたよー、お客さん!こんなしがない店でも役に立つ事ってあるんですねー!本当良かった!」、とそれは嬉しそうに満面の笑顔で箱を手渡してくれた。
「中身確認してください!」、と鼻をすすりながら、箱を手渡してくれた。
叔母にもらった箱と同じだ。ドキドキしながら蓋を少し持ち上げると、固い音を立ててパカっと開いた。中にはあの懐かしい相棒、少しマットでエンタシスな銀色のペンが姿を見せた。
「これです、これです!」ジワっと涙が溢れるのが止められなかった。ポケットのハンカチに急いで手を伸ばした。
「すみません。…あの、替えのインクとかもあれば何本かお願いできますか。」
「良かったですね~。インクもありますよ。えっと、色は3色。黒とブラックグレーとブラックネイビー。どちらにします?」彼女の目も眼鏡の向こうで少しもらい泣きしているようだった。
「えっ、3色もあるんですか?」目を拭いながら聞いた。
「そうみたいですね。あっ、サンプルもありますよ。ほら。」、とサンプルと手書きで書かれた小さなポチ袋を持ち上げて、中をのぞいた。彼女も目を拭い、ニッと歯を見せて笑うと「試し書きしてみます?」と聞いてきた。
「いいんですか?」
「ええ。私、店長ですし。」
変に自慢げにそう言うと、ちょっと厚手のまっさらなコピー用紙を一枚、レジカウンターに載せてくれた。
店長さんがディスプレーされていたペンにインクを挿入して両手で恭しく差し出してくれた。おそるおそる試し書きをすると、何年も棚の中に放置されていたとは思えない程の滑らかな書き心地。正直色の違いはそれほど分からなかったけど、どれも凄くいい。全部欲しくなった。
固唾をのんで見ていた店長さん、微かに眉間にしわを寄せて「…何だか分かり辛いですね、違い。」と呟き、心配そうに私を見た。
「ええ…。でもどれもいいです!書き心地もそのままですし。おじい様の管理が行き届いていたんでしょうね。」
「ですね!本当良かった~!」
何度目かに聞く店長さんの「良かった」に、嬉しさが膨らんで、黒を2本と他の色も1本ずつ買う事にした。ちょっと高くつくけど、これは妻も喜んでくれるはずだと思った。
「お名前入れるサービスもあるみたいですけど、どうされます?」
「えっ、でも、このシリーズ多分製造停止してるはずですけど、サービス続いてるんでしょうか?」
「電話で聞いてみましょうか?ちょっと古いカタログですけど、5日後には購入店舗でお受け取り可能って書いてますよ。」
「前持ってたのにはイニシャルが入ってたんですよね…。じゃ、すみませんが、ダメもとで聞いてもらってもいいですか?」
「もちろんです!」、と言うと、もう一度鼻をかんでから、電話をかけてくれた。ファックス機能付きのかなり年季の入ったの固定電話で。
「お客様、イニシャル入れられるそうですよ!モデル番号もちゃんと伝えて確認したので大丈夫です。」
「じゃ、お願いします。」
「はい。じゃ、ここに刻印したいイニシャル書いて頂けますか?」
「はい。」叔母に貰った時は苗字と名前の間にピリオドが付いていないのが気になっていたけど、今回もピリオド無しにした。
「では、お受け取りは来週の月曜以降になります。こちら預かり証を持っていらしてくださいね。」
「はい。じゃ、お願いします。」
そして、支払を済ませた所で、はっと思い出して聞いた。
「あの、〇〇市役所行のバスが出てるバス停ってこの近くですか?」
「ええ。この前の道を駅に向かって真っすぐ行って下さい。15分位かな。お肉屋さんの向かいです。そうそう、あそこの揚げたてコロッケ、今時1個50円なんですけどー、すごく美味しいんですよ!」
「へー今時50円ですか。じゃ、試しに買ってみます。ありがとうございます。」
「いいえ、こちらこそ。では、また来週お待ちしていますね。」
ピンポンという大きなチャイムに送られて店を出た。嬉し泣きなんていつ振りだろう、と考えながら、店長さんが指さした右に行こうとして気が付いた。
「あれっ、駅は左だよな。」でも駅からここまでバス停無かったし、きっと右だろうな。もう一度店長さんに確かめようかとも思ったけど、彼女の姿はもう店内には見えなかった。と、オレンジ色の人形とまた目が合った。「ん?」よく見ると閃いた。「あー、オレンジだから分かんなかったけど、お前フクロウか…。イヤ、耳が立ってるからミミズクだ。ありがとな。」、と嬉しさ余ってなぜかお礼まで言って、右へと歩き始めた。15分弱、言われた通りお肉屋さんがあった。夕飯時だからか、お客さんが結構並んでいたけど、買う事にした。1個50円、7個買って、アツアツを1個頬張った。サクサクでホクホクで好みの濃いめの味付けだった。もう一個食べたかったけど我慢した。ほどなくして来たバスに乗って、40分後には無事帰宅していた。
冷たくなったコロッケはトースターで温めて家族で食べた。皆に好評で、最近時代劇にハマっている子供達に「デカシタナ、父上」と褒められた。来週また行く用事があると言ったら、また買ってきてほしいとワイワイリクエストされた。久しぶりに家族の喜ぶ顔を見たような気がした。素直に幸せを実感できている自分にまた幸せを感じた。
次の月曜日の仕事帰り。いつもの急行ではなく、各駅停車の電車に乗った。
人生2度目の〇〇駅。ロータリーを過ぎてあの通りへ入った。1週間しか経っていないのに、もう春の陽気を感じる。暖かい光のせいか、通りの幅さえ広くなって見えた。先週は気付かなかった花屋とパン屋があった。
そして文房具屋の前。5日前とは見違えるほど綺麗な外観。内装までもがガラッと変わって同じ店とは思えない。でもショーウィンドウには、あのミミズクがいる。明るくなった照明のせいか、先週よりも格段に色褪せた様な気がする。あれだけドギツかったオレンジは落ち着いた赤茶になっていて、あの焦点の合わない大きな目がなければ別のぬいぐるみかと思う程の目立たなくなっていた。「お探しの物、きっと見つかります!」というメッセージカードを抱えている。
店に入ると、柔らかいピンポン。「ほんの数日でここまでにするって、やっぱ日本の業者は凄いな」と感心していると「いらっしゃいませー。」の声。
店自体もさることながら、店長さんの雰囲気もちょっと変わった感じがする。背も若干伸びたか?
「あのー、ペンに名入れお願いしていた者なんですが…。」
財布から取り出した預かり証を見せると、店長さんの表情が驚きに歪んだ。
「ちょ、ちょっ、ちょっと店長呼んできますんで、しばらくそのままお待ち下さいね!」そう言うと急いでバタバタと奥へ走って行った。
「あぁ、彼女、店長さんじゃなかったのかぁ。俺もボケてるな。」、と苦笑いしていると、さっきの店員さんが自分より少し上位の年恰好の中年の女性を連れ立って戻ってきた。その女性は何やら大事そうに包みを抱えている。
そして僕の顔を見るなり、興奮気味に「どうしていらしたんですかっ!あんなに喜んでお買い上げ頂いたのに、何年経っても取りにいらっしゃらないもんですから、何かあったんじゃないかと本気で心配していたんですよ。私がおっちょこちょいでお電話番号も頂いていなかったんで、確認のご連絡も出来ず…」と下唇を噛み、涙目である。訳が分からず困惑していると、「はい、こちら。」、と輪ゴムで留められていた預かり証のコピーごと包みを渡してくれた。
確かに同じ筆跡、同じ通し番号だ。ただお店のコピーは随分変色してカーボンコピー部分も薄くて読みづらい。包みを開けて確認すると、確かにあのペンだ。イニシャルもきれいに入っている。
「ありがとうございます!…で、あのぅ、さっき何年も、っておっしゃった様に聞こえたんですけど…。僕、このペン、先週こちらで買ったんですけど。」
「先週?まさかっ!お客様がいらしたのは私がこの店を継いだ年ですから2002年でしたよ。あの時、実はどうしようもなくて…、このお店たたもうかと思っていたんです。でもお客様が、このお店が貴重だっておっしゃって下さって…。本当に喜んで帰られた事が忘れられなくて…。だから、思い直して一念発起、頑張ったんですよ私!お客様があの日いらして下さったおかげで、このお店閉めずにいられたんです!」、と言うと、目を潤ませて、頭を深々と下げた。そして少し間があいたかと思うと、突然ハッとした様に顔を上げると、眉間にしわを寄せて不可解げに僕をジロジロと見始めた。「老けちゃったけど、あの店長さんか…」と見つめ合い1分も経っただろうか、ようやく謎が解けたという風に人差し指を立てて、笑顔になった。
「あぁ、息子さん…とかですか?そうですよね。それにしてもよく似てらっしゃる…。えっと、お父様?どうしてらっしゃる?お元気?」
「いえ、いえ。ちょっと待ってください。僕は確かに先週ここでペンを買ったんですよ。で、ネーム入れに5日かかるから、今週この預かり証を持って取りに来るようにって店長さんがおっしゃって…。」
二人の女性は視線を交わすと、明らかに怪しんでいる様子で
「あっ…、そうですか…。まぁ。どういうご事情か分かりませんけど…、じゃ、そういう事で。でも私が生きてる間にお渡しできて本当に良かった!できれば直接お礼したかった、と、そうお伝えくださいね。」
「あ、はい…。」そう言うしかなかった。
何が何だか訳が分からない。気の抜けたピンポンに送られて店を出て、カバンの中のペンを見た。確かにある。実は店なんて最初からなかったのかも、と急いで振り返った。店はちゃんとそこにあった。中から二人の女性が心配そうに僕を見ていた。助けを求める様にミミズクを見たけど、ミミズクは涼しい顔で知らんぷりだ。
キツネにつままれたような気持ちで、先週通った道をフラフラ行くと、お肉屋さんが変わらずあった。同じ様に並んでコロッケを7つ頼んだ。1個90円で、少し小さくなったような気がした。味は変わらず美味しかった。
ブッコロー -幸せのミミズク- やまとピース @yamatopiece
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます