狂騒スモーキン

@KatayudeTamako

狂騒スモーキン

僕:弁護士。性格が悪い。

きみ:刑事。口は悪いが親切。

妻:元OL。頻繁に人生とは何かを考えている。



× × ×



 この世の全ての人間は二通りに別れる。すなわち、知り合いに刑事がいる人間といない人間に。僕は前者だった。だからこんな話を刑事の口から耳にしたんだ。耳にしたかったという訳ではないのだけど。

「こないだの追突事故の犯人は狂ってた。一○○年前の大きな掛け時計の歯車でもここまでは狂わないって程に。いいか、奴の供述を聞け」



『――前を走る車があんまりにも遅かったんでな。スピードの出し方をひょっとして知らねえんじゃないかと思って、教えてやろうと思ったんだよ――』



「……それじゃあ犯人は、スピードの出し方を教えるために追突したっていうのかい?」

「いいか。世の中既に色々とボロが出始めてる。そのボロを拾って商売してる弁護士のお前に今更言うことじゃないかも知れないが、どうか気を付けろよ。十年来の付き合いがある性格の悪い弁護士が死んだからって、俺の不眠症が治る訳じゃねえんだ」

「……随分酒も入ってきたね。まさか君が僕の心配をするなんて。とりあえず今日は死ななそうだから、君も安心して眠っていいよ」

「ケッ、別に安心しねえし、安心したところで眠れやしねえよ」

 僕たちはバーを去った。彼は通りを向こう側へ歩いて行った。僕は反対側に。


 

× × ×



「……おかえり」

「ただいま」

 妻はソファに座っていた。ゆったりとした服を着た彼女の膝には、猫が乗っていた。僕はペット可のマンションでペットを飼うのはあまり好きではないのだけれど、それでも妻の要望でペットを飼った。『何のためにペット可のところを選んだのかしら?』だそうだ。馬鹿らしい。

 僕はリビングを出た。

 着ていたスーツを脱いだ。それらをクローゼットに仕舞い、シャツやらパンツやらを洗濯機に放り込み、シャワーを浴び、灰色の部屋着に着替え、酒棚から選んだウイスキーを二〇秒以内にシングルで飲み下してうずき続ける胃袋を宥め、その一連の行動を終えるまでに妻が次の旅行先をパンフレット片手に宣言してこなかったことに軽い安堵を覚えると、再びリビングに戻り、テレビラックの脇に置いてあったマルボロとライターを片手に収め、そうしてようやくベランダのガラス戸を開放するに至った。


 吸って、吐く。吐き出した煙が夜空に上っていく。煙草の煙のように死ねたらどんなに楽だろうかと思う。

「……ねえ。いつになったらやめてくれるの? 煙草」

「やめないって言ってるじゃないか」

「こんな統計があるって知ってる?」彼女は陰鬱だった表情を突然明るくし、幼稚園児でも励ますような調子で言う。「全ての喫煙者は四〇代で死ぬ可能性があるって」

 僕は答えた。「……ふふ、それは統計とは言わないよ」

 今の彼女が嫌いだ。

 彼女は自分は何か力を持っていると勘違いしているのだろう。自分の言葉には何かしら意味があると思い込んでいて、配慮されて当然だと思っているのだろう。他者は必ず自分の思い通りになると信じきっているに違いない。

 こうして上手くいかなかったら次はああしてみよう――、そんな風に、人間関係ってものをまるでパン生地の美味しいこね方か何かだと思い違いしているのだ。だから、人をなめた冗談なんか突然言い出す。

「寿命が縮むのよ? それって恐ろしいことだと思わない?」

「いいや。四〇歳で死ねば、それはそれで素晴らしいことだと思うよ」

「ありえないわ」彼女は首を振って苦笑いする。

 僕はそれを見て言う。「じゃあ、君は何歳まで生きれば満足なんだい?」

「んー、八〇歳くらいならいいなと思ってるけど」

「なぜ?」

「は?」

「どうして八〇歳なら満足するんだい?……ひょっとして“周りが全員八〇歳くらいで死ぬから”じゃないだろうね?」

「平均年齢は八〇代でしょう? 平均を望むのがそんなにおかしいかしら?」

「君は学校の成績で平均を望んだのかい? 大学のランクも、就職先の給与も平均を望んだのかい? もちろん旦那の年収もだ。もし君が人生を楽しいものだと思ってるなら、一○○歳でも二○○歳でも目指せばいいじゃないか。どうして八〇歳で満足しようとするんだい?」

「……あなた、言ってることおかしいわよ。二○○歳? 狂ってるんじゃない?」

「君は……君は狂っていないとでも言うのかい?」

 彼女が、三ヵ月前に僕のプレゼントしたものではない鞄を持って速足で出ていくまでにかかった時間は、グランドセイコーの最上級モデルでも計測出来ないスピードだった。


 僕は、クローゼットに掛けたスーツのポケットに入っているものを思い出した。それを取りに寝室へ行った。取り出したのは彼がバーのカウンターに置きっぱなしにした指輪だ。勝手に盗んできた。僕はそれを、ぼーっとしばらく眺めていた。

 彼は優秀な刑事だ。どんな小さなものでも見逃さないし、忘れ物も絶対にしない。

 僕はそれなりの弁護士だ。他人の物を勝手に拝借したりしない。

 僕たちは連絡先も知っている。彼は自分が指輪を忘れたことに気付いているし、僕がそれに気づいていることにも、僕がそれを電話で伝えない意図にも気づいている。それなのに彼の方からも一向に電話はかかってこない。彼はきっと、指輪を捨てる場所にあのバーを選んだのだろう。あの時、あの場所で、僕が隣にいる瞬間に。


 猫が僕の足元でニャーと鳴く。翌日、彼が拳銃で自殺したということがニュースでわかった。

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