ice

 神様。


 朝日は確かに他人の命を奪う。多くの人にとっては許されない、招かれざる存在なのかもしれない。

 だけど、その声で、言葉で、温もりで、心を慰められる人間がいることも、本当だから。少しだけ、大目に見てもらえないかな。


 今日も朝日は、誰かの命のを消し去る。

 でも、その誰かは朝日が選んだわけじゃない。少し乱暴な考え方をすれば、それはその誰かの運命だったのかもしれない。なんて、それはやっぱり乱暴すぎるかな。都合が良すぎるかな。


 だけど、私は思う。

 朝日の歌声はおそらく、私のもとから去ったあとも、たくさんの人の心を救うんじゃないかって。

 それで、朝日のこれまでの罪を帳消しにしてほしいなんて、贅沢は言わない。朝日自身もたぶん、そんなことは望んでいないだろうし。


 ただ、もう少しだけ。好きな歌を自由に歌って、ギターを奏でられる時間を延ばしてあげてください。もう少しだけでいいから。神様。


 朝日は、私の視線と言葉から逃れるようにして、一旦視線を落とすと、薬莢を一つつまんで、また瞳を上げた。空から伸びてきた赤紫の光が、その中で踊っている。


「……こっちにおいで」


 目の動きで、自分の隣を指し示す。


 私はレインを抱き上げて丁重に移動してもらうと、のそりと立ち上がった。言われるままに朝日の横に立つ。

 顔の角度を少しだけ傾けると、そこにはすぐに朝日の清廉な横顔。至近距離で眺めると、本当にアザもシミもない肌なんだなってことがわかる。でも、年相応に少しだけシワはあった。


 朝日は私の視線の下で、指先を軽快に動かし、薬莢の底と先の尖った部分との境をくるりとひねって外した。

 出てきたものが、まるでクリスタルみたいにキラキラ輝いていたので、わたしはほぉっと息を吐いてしまった。もっとよく見ようと、膝を少し折って腰をかがめる。その正体に気づいた。


「……氷?」

「そう、正解」


 朝日が私の手を取った。あかぎれだらけの手のひらが、子供らしくなくて恥ずかしい。そんなことなどまるで気にしていない様子で、朝日は私の小さな手のひらの上に、クリアな薬莢を乗せた。


 それは夕焼けの光を受けて、ルビーみたいに輝く。中心部だけが白く濁っていた。私がそれを指摘すると、朝日は、短時間で急激に冷やすと、逃げ切れなかった空気や不純物まで凍ってしまって、こんなふうにくすんでしまうのだと説明してくれた。


 そう言えば、コンビニなんかで売っているロックアイスは完璧な透明度だ。濁りなんてない。あれはきっと特別な装置を使って、ゆっくりと凍らせているのだろう。私の手の中にある氷は、おそらくはリサイクル店で調達してきた、安物の冷凍庫で作られたのだからしかたがない。


「僕が使っているのは、氷の弾丸なんだ」

「氷の弾丸?」

「氷は溶けてしまうから、証拠が残らない。だから、撃ち込んできた正確な方角さえ悟られなければ」


 朝日は上半身を傾けると、座ったまま腕を伸ばして、私の頭のてっぺんを覆うように手のひらを乗せた。琥珀色の瞳をゆるやかに細めて微笑む。


「僕は絶対に捕まらない。だから、安心して」


 その瞬間に、私の心臓がぎゅうと搾られて息苦しくなったのは、私が不安がっていることを、朝日がちゃんと知っていてくれたからだと思った。私が欲しい言葉を言ってくれたからだと思った。


 でも、そうじゃないのだろうか。


 頭のてっぺんから、穏やかな熱がじんわりと伝わってくる。レインを抱いた時と同じ温かさが、しゅわしゅわと心を満たした。この温もりを私の中に閉じ込めたまま、この人を独占したい。こんな気持ちは初めて。

 でも、そんなことはできっこない。そんなことを考えちゃいけない。朝日は二日後にはここを出て行くんだし、世の中には絶対なんてものはないのだ。


「凛子?」


 きゅっと下唇を噛みしめる。どうしてなのか、朝日の顔が直視できない。


 それからすぐに解放された口から出てこようとした言葉は、否定的なものだって自分でわかっていた。


 ところが、顔を出す寸前に騒音に遮られて、それは喉の奥に引っ込んだ。私に身体から下ろされ、ふて腐れて窓際に寝そべっていたレインが、その音に毛を逆立てる。朝日も視線を外し、二人揃って顔を玄関のほうに向けた。


 外が騒がしい……?


 氷の弾丸はジリ、と冷たい。不思議と熱くも感じる。しばらく乗せていたせいで、私の体温で溶けて、ゆるゆると透明な液体を滴らせ始めていた。

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