messenger from sky
「朝日」
道端の石ころを蹴飛ばすみたいな投げやりな声で呼びかけると、朝日はやっとこちらを向いた。
「ねぇ、歌、うたって」
この部屋にはテレビも、ラジオすらない。
どちらかが黙ってしまうと必然的に会話もなくなって、音を出すものがなくなった室内はひたすらに静かになる。
静かすぎるのはいけない。なるべく目を逸らしていたい悲しみが、隙をついて、心の中にするんと忍び込んできてしまう。
「……今?」
朝日は薬莢をつまんだまま、少しだけ困った笑顔をした。子供に向けるような表情を見せたのは、初めてだ。
「今」
ムキになる私は、確かに朝日を困らせたかったんだろうと思う。
でも、それ以上に、自分の中に生まれかけている、朝日への不信感を払拭したい気持ちのほうが大きかった。
「……そうだったね。僕は、君に歌を聞かせるために、ここにいるんだった」
朝日は作業を中断して、ゆっくりと立ち上がった。
「何がいいかな」
黒炭色の銃のそばにある、もう一つの楽器ケースから、深い緑色のアコースティックギターを持ち出す。それを手に、また脚立に腰を下ろした。ぎしっと不安げな音が鳴る。
チューニングを合わせるためなのか、朝日が一本ずつ弦をつまびくと、レインがもそもそとやってきた。お昼ごはんの後からずっと寝室で寝ていたはずで、ギターの音で目が覚めたのだろう。
レインは、私の折った膝とお腹の間に出来た谷に入り込んだ。パーカーの生地越しに、冬毛のほわほわとした感触が伝わる。
生きものの温かさは、心に安心感を連れてくるけれど、同時に独占欲も生み出した。
「申し訳ないけど、あまり長くは歌えない。まだまだやる事があるんだ」
朝日の声はいつも通り穏やかだけど、いつも通りだから、怒っているのかどうか判断がつきにくい。でも、たぶん、怒っているんだろう。それでも、私は朝日のギターの音色と歌う声が大好きだから、それが聞けると思うだけで心が昂ぶった。
「朝日が作った歌とかってないの?」
路上ライブするストリートミュージシャンは、自分で作詞作曲したオリジナル曲を披露する人も少なくないって聞く。
「あるよ」
「じゃあ、それがいい」
どうしようもなく、朝日から流れ出るものに触れたかった。
これまでの経験上、吐き出す声とか、その細い指が
朝日はテーブルの上をじっと見つめる。
そこには、銅の小箱と薬莢しかない。それなのに、まるでそれらから曲をセレクトするように視線を走らせたあとで、朝日は弦を
それは、雨の歌だった。雨の雫の形をした、空からの遣いの歌だ。天国の遣いなら天使だけれど、空の遣いは何て呼ぶのが正解なのか。
彼らは、雲の上の丸い月から
時に誰かの肩に乗って、ご機嫌な鼻唄には手ばたきでリズムを取り、涙を流していれば一緒に身体を震わせ、怒っていたなら誰かの代わりに
そして、晴れた朝に現れた七色の虹に乗って、再び空へ還っていく。
彼らの姿も声も、人間には見えない。
目に見えないし聞こえないけれど、きっとそれらは、人間たちの心に届いているに違いない。
ずっと悩んで霧の中にいたはずの心が、懐かしい歌を思い出した時、雨上がりの夕焼けがきれいだった時、そんなふとした瞬間に晴れ渡ることがある。前向きになってみようかと思う時がある。
それはもしかしたら、空からの使者がそばにいた証なのかもしれない。
殺し屋が作って殺し屋がうたう歌は、そんなメルヘンで恥ずかしいことを素直に考えさせた。
朝日の歌声は、心を撫でてくれるような優しさがある。そして、約束をすっぽかされた時みたいに、少しだけ痛い。
アメイジング・グレイスを歌ってもらった時も感動したけど、朝日が作った旋律や言葉が醸し出すものは、私を癒やす他のどんなものと比較しても、やっぱり比べものにならなかった。
「素敵」
曲が終わると、私は素直に拍手をした。胸が小さな地響きみたいに揺れていた。
「まるで朝日のことみたい」
「僕?」
朝日はテーブルの端っこにギターを立てかけながら、目をしばたたいた。
「だって朝日も、突然降ってきたみたいに現れて、私のそばで話を聞いて、悲しんだり笑ったりしてくれて、またどこかへいなくなっちゃうじゃん」
私の一言一言を吸い込むみたいな目をして、朝日はじっとこちらを見ている。
「朝日は虹の向こうの空から来て、またそこへ帰ってしまう使者みたいだもん」
それは決してネガティブなだけの意味じゃなかった。
朝日は空の遣い。空からの使者。
悲しみも、怒りも、笑い話も、他愛ないお喋りも、一つずつただ耳を傾けてくれているだけのようで、すべてまるごと包み込んで抱きしめてくれる。
そして、いなくなる時には、負の感情だけを一緒に持ち去ってくれる。きっと、そうだ。そっちのほうが、人を傷つける殺し屋より何倍もいい。
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