ユーグの決意

 パティスリーを出たクリスティーヌとユーグは再び王都を散歩していた。日は傾き始めている。

「丁度いい時間かな。クリスティーヌ嬢、最後に行きたい場所があるんだ。結構階段を上るけど、いいかな?」

「ええ、構いません」

 クリスティーヌはパティスリーにいた時と違い、すっかり落ち着いていた。

「よかった。ありがとう、クリスティーヌ嬢」

 ユーグはホッとした様子だ。

 少し歩いて2人がたどり着いたのは時計塔。王都アーピスで1番高い建物だ。中に入ると何段もの螺旋階段がある。

「ここの最上階だけど、クリスティーヌ嬢、上れるかい?」

 ユーグは少し心配そうだった。

「問題ありませんわ、ユーグ様。剣術を習っておりますので、体力には自信がございます」

 クリスティーヌはクスッと笑い、階段を上り始める。ユーグはその様子を見て面白そうに笑った。

 しかし、半分程上ったところでクリスティーヌの息が上がってきた。

「大丈夫かい? クリスティーヌ嬢」

「…‥はい。体力には自信があるはずなのでございますが……」

 クリスティーヌは少ししょんぼりする。

「気にすることはないさ。クリスティーヌ嬢は頑張った方だよ。多分マリアンヌなら4分の1でギブアップすると思う。あの子はインドア派だからね。まあ連れて来たことはないけれど」

 ユーグはクスッと笑い、クリスティーヌに手を差し伸べる。

「さあ、残り半分、頑張ろう」

「……ありがとうございます」

 クリスティーヌはユーグの手を取った。

 2人はゆっくりと階段を上って行く。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






「わあ……素敵……」

 最上階に到着して目にした光景に、クリスティーヌはそう呟いた。

 時計塔最上階からは、王都の景色を一望出来る。石造りの洗練された建造物、そして王宮も見ることが出来た。

「建物も道行く方々もとても小さく見えますわ。ここから見ると、あんなに広くて大きかった王宮も小さく見えますわ。わたくし達は、こんなに高い場所にいるのでございますね」

 クリスティーヌはエメラルドの目をキラキラと輝かせていた。

 ユーグはクリスティーヌの表情を見て微笑んだ。

「ここは私のお気に入りの場所なんだけど、クリスティーヌ嬢もお気に召したみたいだね」

「ええ、ユーグ様、素敵な場所に連れて来てくださってありがとうございます。今日は兄への整体医紹介のお礼ですのに、わたくしばかり楽しんでいる気がして何だが申し訳ないですわ」

 クリスティーヌは後半困ったように微笑んだ。

「いいや、それは違うさ。……ただ私がクリスティーヌ嬢と一緒に王都を回りたかっただけなんだ。イポリート殿への整体医紹介のお礼って言わなければ、君は来てくれなかっただろう? 自分はしがない男爵家の者だからって理由を付けてさ」

 ユーグは最後、少し拗ねた様子だった。

「それは……」

 図星を突かれたクリスティーヌは黙り込んでしまう。

「女王陛下が即位なさってから、ナルフェック王国全体が急激に発展している。それに、平民の生活水準もいい方に変化している。だけと、まだ身分制度は続いている。もちろん、今すぐ身分制度を撤廃したら混乱するのは理解しているよ。クーデターの可能性もあるかもしれないし。だけど、貴族と平民、上級貴族と下級貴族といった、身分による差別は減っていない」

「差別をなくす。その為にユーグ様は宰相を目指していらっしゃることは存じておりますわ」

 クリスティーヌは『薔薇の会』で聞いたことを思い出した。

「うん。でも、それだけじゃないんだ。この身分制度のせいで、貴賤結婚、つまり貴族と平民の結婚は認められていない。それに、特別な事情がない限り、下級貴族の者は伯爵家までの者としか結婚が出来ないという暗黙の了解がある。私はそれらを撤廃したいんだ。そうすれば、身分関係なく愛する者と添い遂げられる」

 ユーグは真剣な眼差しでクリスティーヌを見る。

 一瞬、クリスティーヌの鼓動が高鳴る。しかし、クリスティーヌは淑女の笑みを浮かべる。

「夢物語でございますわ。貴族なら、家同士の繋がりを重視いたします。本人の意思は関係ございませんわ」

「確かに、君の言う通りだ。だけど……私は後悔していることがあってね」

 ユーグはヘーゼルの目を伏せる。

「後悔でございますか?」

 クリスティーヌは怪訝そうな表情になった。

「ああ、そうだよ。これは4年前の話なんだけど、聞いてくれるかい?」

 クリスティーヌが頷くと、ユーグは話し始める。

「まだ私が社交界デビュー前、兄のように尊敬していた5つ年上の侯爵令息がいたんだ。彼とは幼い頃からの付き合いなんだ。一緒に剣術を学んだり、チェスやボードゲームをしたりしていたよ。彼はヌムール領で医学を学んでいたからね」

 ユーグは懐かしむような表情だ。

 貴族の子女は、基本的には社交界デビューしてから同世代との人脈作りをする。しかし、中には幼少期からお茶会の真似事などをして交流を図る者もいる。それは上級貴族に多い。

「彼は、社交シーズン中に王都の市井で平民の女性と出会って恋に落ちた。だけど、貴族と平民の貴賤結婚は禁止されている。だから、社交シーズンが終わる直前に2人は駆け落ちしたんだ」

「まあ……」

 クリスティーヌは絶句した。そして以前父親から聞いた話を思い出す。

(わたくしの叔母と状況が似ているわ)

 ユーグはそのまま話を続ける。

「王都や侯爵領と離れた場所に行こうとしたんだろう。でも、2人はその途中で盗賊に出会でくわした。その時に、彼は無事だったけど女性の方は盗賊に殺されてしまった」

 ユーグは俯いた。

「その時、侯爵家からの追手も来ていたから、彼はそのまま侯爵家に戻されたんだ。ほとんどの貴族が王都から領地に戻っている時だったから、このことは表沙汰にはならなかった。だから私は彼に何があったのかを全く知らなかった」

 ユーグはため息をつく。

 クリスティーヌは黙って聞いている。

「またヌムール領に来た彼は、私にこう言ったんだ。『この世界は残酷だ。平民と貴族、身分制度なんてなくなってしまえばいいのに』、とね。私はそれを冗談だと思い、クリスティーヌ嬢と同じように夢物語だと笑いながら言ったんだ」

 その後、ユーグの声のトーンはより一層低くなる。

「彼は侯爵領に帰ってから……自殺した。それが4年前だ」

「そんな……」

 クリスティーヌは息が詰まってしまった。

「私は後から彼に何が起こったのかを知ったよ。あの時彼に夢物語だなんて言わなければ、自殺なんかしなかったかもしれない」

 悲痛な表情のユーグ。

 クリスティーヌはそんなユーグを見ていられなり、咄嗟に口が開いていた。

「それは違います! ユーグ様のせいではございませんわ! そのお方がどの様な人物かは存じ上げませんが、きっと一緒に駆け落ちした相手のことを愛していたんだと思いますわ! それで、彼女を守りきれず死なせてしまったから……!」

 クリスティーヌはユーグの手を握り、もう1度言う。

「ユーグ様のせいではございません」

「クリスティーヌ嬢……ありがとう」

 ユーグの表情は先程より和らいだ。

「うん、君の言う通り、彼は愛する女性を守れなかった後悔があったと思う。彼はそういう人だったからね」

 ユーグは真剣な表情になり、話を続ける。

「だけど、その時私は決めたんだ。彼や、彼の恋人のような末路をたどる者がいないような世界にしたいとね」

 その時、夕日が輝き始める。

「見て、クリスティーヌ嬢」

「わあ……」

 クリスティーヌはユーグに指差された方を見て微笑む。

 夕日が王都を照らし、キラキラとしていた。光と影のコントラストが絶妙だ。

「この時間にここから見える景色は最高なんだ」

「ええ、とても美しいですわ。ずっと見ていたくなります」

 クリスティーヌはエメラルドの目をキラキラと輝かせて微笑んだ。

 ユーグは力強い笑みをクリスティーヌに向ける。

「クリスティーヌ嬢、私はこの国を変えるよ。彼の為にも、そして……自分自身の為にも」

 クリスティーヌはハッと息を呑む。

 ユーグのヘーゼルの目は、クリスティーヌを真っ直ぐとらえていた。

 クリスティーヌも力強い笑みになる。

「……応援いたしますわ」

 それはクリスティーヌの本心だった。

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