ヌムール領にて
社交シーズンが終わり、クリスティーヌはタルド領に戻って来た。そして間髪入れずにユーグからヌムール領への招待状が届く。
「クリスティーヌ、ヌムール領への招待状とはどういうことかな?」
父親のプロスペールは不思議そうにクリスティーヌに問いかける。
「ヌムール領に薬学の勉強をしに行くのでございます」
「そうか。ようやくお前もやりたいことを始めるのだな」
プロスペールは満足気に口角を上げた。
「確かに、薬学には興味がありますわ。ただ、それよりももし
クリスティーヌは淑女の笑みを浮かべた。
イザベルから言われた宮廷薬剤師も気になっている。しかし、宮廷薬剤師でなくとも薬剤師になれたらタルド領や嫁ぎ先の領地で役に立つことが出来ると考えたのだ。
「自分の道を進み始めたと思ったが、やはりクリスティーヌはそのことばかりだな」
プロスペールは苦笑した。
「まあ良い。しっかり学びなさい」
「はい、お父様」
クリスティーヌは相変わらず上品な淑女の笑みだった。
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数日後、クリスティーヌはヌムール領にやって来た。侍女のファビエンヌと護衛のドミニクも一緒だ。泊まり込みで薬学を学ぶので、荷物は少し多くなってしまった。ヌムール領とタルド領は距離が少し離れており、毎日通うのは難しい。だからクリスティーヌはヌムール城に滞在することになった。最初は断ったのだが、ユーグとマリアンヌ、そしてヌムール家現当主である彼らの母親から是非ヌムール城に泊まって欲しいと押されてしまった。クリスティーヌは断りきれず、折れるのであった。
ヌムール城に到着すると、ユーグとマリアンヌ、そしてヌムール家の現当主とその夫がクリスティーヌを出迎えてくれた。
クリスティーヌはカーテシーで礼を
すると、頭の上からハスキーな声が降ってくる。
「よくいらしたね。頭を上げて楽にすると良いよ」
クリスティーヌはゆっくりと優雅に頭を上げる。そして上品な淑女の笑みを浮かべた。
「タルド男爵家から参りました、クリスティーヌ・ジゼル・ド・タルドでございます。この度はお招きくださいまして、大変恐縮でございます、ヌムール女公爵閣下」
「ユーグとマリアンヌから貴女の話は聞いているよ、クリスティーヌ嬢。私はヌムール家当主、キトリー・エディット・ド・ヌムール。我が領地で存分に薬学を学ぶと良い。今は夜会や公の場ではないから、気軽にキトリーと呼んでくれて構わない」
キトリーは目を細め、口角を上げた。
アッシュブロンドの髪にヘーゼルの目。背丈が高く、中性的な美しさを持っている。
ユーグとマリアンヌはキトリーの面影がある。
「キトリーの夫のマルセルです。マルセル・ゴーチエ・ド・ヌムール。薬学を学ぶだけでなく、きちんとリフレッシュもしてください。それと、キトリーと同じようにこの場では気軽にマルセルとお呼びください」
温和な雰囲気のマルセル。栗毛色の髪に紫の目だ。妻のキトリーより少し背が低い。
ユーグは長身だが、マリアンヌはそこまで背が高くないのでマルセルに似たのだろう。
「ありがとうございます。キトリー様、マルセル様」
「クリスティーヌ嬢の他にも、ヌムール領に医学や薬学を学びに来ている貴族の子女はいる。ナルフェックだけでなく、他国からもね。時々夜会やお茶会を開催する時があるから、クリスティーヌ嬢も彼らと交流するといい。それに、明日の夜、君の歓迎会を開く予定だ」
「楽しみにしております。キトリー様」
クリスティーヌはエメラルドの目を輝かせていたが、きちんと淑女の笑みをしていた。
キトリーはそれを見て口角を上げる。
その後、クリスティーヌはヌムール家の使用人に部屋まで案内された。
ヌムール城は王宮程ではないが、城と言うだけあって広大である。タルド邸十数個分くらいは入るであろう。
「クリスティーヌ嬢、私だけど、入って良いかな?」
ユーグがクリスティーヌの部屋の扉をノックをした。
クリスティーヌが快諾すると、ユーグは入って来る。
「荷解きは終わったみたいだね」
ユーグは整頓された部屋を見渡した。
「ええ。ファビエンヌとドミニクが手伝ってくれたので、早く終わりましたの。ユーグ様、
「いや、当然のことさ」
ユーグは優雅な笑みだ。
「それにしても、クリスティーヌ嬢がヌムール領にいるなんてね」
「ええ。医学、薬学が発展したこの地で学べることを光栄に存じますわ」
クリスティーヌは淑女の笑みだ。
ユーグはとろけるような甘い笑みでクリスティーヌを見つめる。
「私としては、理由がなくてもクリスティーヌ嬢にはここにいて欲しいと思うよ」
クリスティーヌの頬はりんごのように赤くなり、ユーグから目を逸らしてしまう。
ユーグはクスッと笑う。
「今日は移動で疲れただろうから、ゆっくりすると良いよ」
ユーグはそのまま部屋を出て行った。
(ユーグ様……本当に心臓に悪いわ)
クリスティーヌは火照った頬を両手で軽く叩いた。
幸いこの部屋にはクリスティーヌ一人しかいない。
(きっと違うわ。この気持ちは
クリスティーヌは胸の奥にある気持ちに蓋をした。
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翌朝。
窓から入るキラキラとして柔らかな朝の日差しでクリスティーヌは目を覚ます。
タルド邸のクリスティーヌの部屋ではなく、見慣れない部屋だった。
(
クリスティーヌはゆっくりと起き上がる。
丁度部屋の扉がノックされた。
ファビエンヌだ。
クリスティーヌはファビエンヌを中に入れ、身支度を始めた。
朝食を終えたクリスティーヌは早速薬学の講義場所へ向かう。そこには講師らしき長身の女性がいた。
「おはようございます。今日から薬学の講義を受ける、クリスティーヌ・ジゼル・ド・タルドでございます」
すると、女性はニコリと笑う。後ろに束ねた栗毛色の髪にアンバーの目だ。
「貴女がクリスティーヌ様ですね。話は聞いています。講師のリシェ・アーンストート=プランタードです」
名前を聞き、クリスティーヌは目を見開く。
「貴女がアーンストート氏でございましたのね。論文、拝読いたしました。従来の解熱剤は副作用として発疹が出ることもございますが、アーンストート氏の合成手法ですと副作用が限りなく出にくくすることも可能かと存じましたわ」
クリスティーヌはユーグから借りた論文を熟読していた。
「読んでくださってありがとうございます。本当にその通りなんですよ。ご理解いただけて嬉しいです」
リシェは嬉しそうに笑っていた。
「さて、本題に入ります。クリスティーヌ様は今日初めてなので、まず試験を受けていただきます。その結果で受けられる講義は変わってきます」
最初に試験があることははユーグからの手紙であらかじめ知っていたので、クリスティーヌは驚くことなかった。
クリスティーヌはリシェから説明を受け、早速試験を受けた。
クリスティーヌの試験結果は、リシェが満足するものだった。クリスティーヌは全ての講義を受けても問題ないレベルに達していたのだ。
クリスティーヌは早速講義を受ける。講師はリシェだけでなく他にもいた。皆薬学のエキスパートだ。講義は、本だけでは知り得なかった最新の知識を学ぶことが出来た。クリスティーヌは目を輝かせて、講義を食い入るように聞いていた。疑問に思ったことや引っかかったことはどんどん質問し、着実に知識を身に付けるクリスティーヌ。午前中だけでもとても濃密で実りある時間を過ごしたのであった。
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