アシルス帝国から来た少年

 アリーヌの妊娠発覚から1ヶ月程経過した。

 悪阻つわりが酷かったが、それも落ち着きつつある様子だ。

 クリスティーヌは毎日30分から1時間程度、アリーヌの部屋に見舞いに行き話し相手になっていた。

 この日、クリスティーヌはプロスペールとミレイユと一緒に港街へ向かっていた。港街にあるタルド家御用達の仕立て屋に、3人の新しいコートやドレスを買う為だ。今回も侍女のファビエンヌと護衛のドミニクと一緒である。

 ちなみに、イポリートは領地の視察、アリーヌは屋敷で休養中だ。

「そういえば、今朝ベランジェから手紙が届いていたよ。長めの休みが貰えたそうで、10日後こっちに戻って来るみたいだ」

「まあ、久々にベランジェお兄様にお会い出来るのですね。この前お会い出来たのは、確か半年前でしたわ」

 クリスティーヌはとても嬉しそうだ。

「それなら、ベランジェの好物を用意するよう料理長に伝えておきましょう」

 ミレイユも嬉しそうに微笑む。

 タルド家の馬車はカタコトと規則正しい音を立てて、港街に向かっていた。







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 仕立て屋には色とりどりの生地が並んでいた。素材も様々だ。

「ドレスの新調は半年振りね。どの色にするか迷うわ。折角だから、前回とは違う色やデザインにしようかしら」

 採寸を終えたクリスティーヌは目をキラキラさせながら生地を選んでいる。

「クリスティーヌお嬢様、確か前回は水色を基調とし、白いレースをふんだんに使ったドレスだったかと存じます」

「ええ、ファビエンヌ、その通りよ。だから今回は暖色系かしらね」

 クリスティーヌはふふっと楽しげに、品よく微笑んだ。

「クリスティーヌ様、暖色系でしたらこちらに新しく入荷した生地がございます」

「あら、ありがとうございます」

 クリスティーヌは店主が持って来た生地にそっと触れる。

「どれも素敵で迷いますわね」

「ああ、それと、こちらの2色も新たに入荷した生地でございます」

「まあ、王族の紫ロイヤルパープル。それに、そちらは王配の赤プリンス・コンソート・レッドでございますわね。このような高貴な色はとても畏れ多い」

 クリスティーヌは店主が持って来た紫と赤の生地を見て恐縮した。

 ナルフェック王国では、紫は王室の色とされている。王族以外が紫のものを身につけることは許されていなかった。しかし近年、"王族がいる場"以外では、誰でも紫のものを身につけることが許可されたのだ。つまり、貴族主催の普段のサロン・晩餐会・舞踏会等には、王族を招かない限り紫のものを身につけていいことになる。

 また、赤は王配シャルルが好きな色で、よく身につけている。よって王配の赤プリンス・コンソート・レッドと呼ばれるようになった。こちらは身につけることは禁止されていないが、高貴な色と認識されている。

「ええ。ですがクリスティーヌ様、最近貴族のご婦人やご令嬢の間では、紫と赤を組み合わせたドレスが人気なのでございますよ。女王陛下と王配殿下の仲睦まじい様子を表しているようで」

「まあ、それはロマンチックですね」

 ファビエンヌがうっとりとした表情になる。

「ファビエンヌったら」

 クリスティーヌは苦笑した。

「それに、クリスティーヌお嬢様の髪は美しいブロンドで、目はエメラルドのような緑でございますよ。紫や赤のドレスをお召しになることで、メリハリがついてクリスティーヌお嬢様がより一層素敵になると思います」

 ファビエンヌは目をキラキラ輝かせている。

「……ファビエンヌがそこまで言うなら……紫と赤の生地を使ってみようかしら。王族の方々がいらっしゃる場では着用出来ないけれど、幸いわたくしは社交界デビュー前。領地や街へ行く時に着用しましょう」

 クリスティーヌは淑やかに微笑んだ。

「かしこまりました。ではクリスティーヌ様、デザインはいかがなさいますか?」

「そうですわね……」

 クリスティーヌは少し考えてから再び口を開く。

「では、シルエットはあまり膨らみを持たせないシンプルなものにしましょう。レースは袖のみでお願いいたしますわ」

「かしこまりました」

 店主は生地とデザインをメモした。

 プロスペールとミレイユも、コートやドレスの生地とデザインを決めたみたいだ。

 手続きを終え、一行いっこうは仕立て屋を出た。

 前に街に来たように、プロスペールからはファビエンヌとドミニクを連れてなら自由に散策していいと言われた。

 クリスティーヌはまたもや本屋へ行く。今回も領地経営、小麦の栽培、薬学に関する本を購入した。前回購入した本は読み終えてしまったのだ。定期的に読み返してはいるが。

 書店から出て、馬車の止めてある場所へ向かう途中のこと。

 クリスティーヌはある少年の様子が気になった。

 地図を片手に難しい顔をしながらキョロキョロしている少年だ。

 困っていそうだったので、クリスティーヌは少年に声をかける。

「どうかなさったのですか?」

「ああ……えっと、ちょっと道に迷っちまってな」

 少年は頭を掻きながら苦笑した。

 褐色の癖毛に、アンバーの目の少年だ。クリスティーヌよりギリギリ頭1つ分背が高く、少し女性的な顔立ちをしている。

「どちらへ行かれるのです?」

「バルテレミーの宿って所だ」

「でしたら、こちらでございます。ご案内いたしましょう」

「ありがとな、助かるぜ」

 クリスティーヌは少年の目的地へ案内を始めた。

「ところで嬢ちゃんの後ろにいる2人は親……にしては若いよな?」

 少年は後ろからついて来るファビエンヌとドミニクについて疑問に思ったようだ。

わたくしの侍女と護衛でございます」

 クリスティーヌは品のある笑みを浮かべる。

「侍女と護衛……ってことは、嬢ちゃんは貴族ってわけか。……えっと、わりいな。俺、貴族に対するマナーとか全然知らねえ。不敬罪とかにならねえか?」

 少年は苦笑しながら恐る恐る聞いてきた。

「いいえ、お気になさらないでください」

 クリスティーヌはふふっと笑った。

 その笑みに少年はホッとする。

「そういや名前言ったなかったな。俺はゲオルギー・ミハイロヴィチ・ラヴロフスキー。アシルス帝国から来たんだ」

 アシルス帝国とは、北にある広大な国だ。軍事力も強大である。

「ゲオ……ルギー……?」

 クリスティーヌは少し発音しにくそうだった。

「ああ……こっちの国だと発音しにくいか。えっと、じゃあゴーシャなら発音しやすいか?ゲオルギーの短縮系だ。もしくはジョルジュって呼んでくれ。ゲオルギーは確かナルフェック王国だとジョルジュって名前に該当するみたいだしな」

「では、ゴーシャ様とお呼びいたします。無理にナルフェック風の名前になさらなくてもよいと存じますわ。貴方の大切な祖国をすぐに思い出せるようにしておいた方がいいでしょう」

 クリスティーヌは優しげな笑みを浮かべた。

「ありがとう、嬢ちゃん。それにしても、様を付けて呼ばれるの何だかくすぐってえな」

 ゲオルギーはフッと笑った。

「申し遅れました。わたくしはクリスティーヌ・ド・タルドでございます。そしてこちらが侍女のファビエンヌと護衛のドミニクでございますわ」

 クリスティーヌが紹介すると、ファビエンヌとドミニクは軽く会釈をした。

「クリスティーヌ嬢ちゃんか」

「ゴーシャ様は流暢にナルフェックの言葉お話しされるのでございますね。どこかで習われたのでしょうか?」

 ナルフェック王国とアシルス帝国の言語は異なる。しかしゲオルギーは流暢で癖のないナルフェックの言語を話している。クリスティーヌはそれに驚いていた。

「習ったというか、自然に覚えたって感じだな。俺の父さんと母さんは昔ナルフェックに住んでたみたいでな。俺がまだガキの頃、2人がナルフェックの言葉で喋ってるのをよく聞いてたんだ」

「それでこの国の言葉を流暢にお話し出来るのでございますね。アシルスの言葉もお話し出来るのでございますか?」

「まあ、そうだな」

「2ヶ国語をお話し出来るなんて素晴らしいですわ」

 クリスティーヌは感心していた。それと同時に、自身も他国の言語を学んでみたいという気持ちが生まれた。

「お、おう。ありがとな」

 ゲオルギーは少し照れ、ポリポリと頭を掻いた。

「でも、アシルスの皇太子妃の方がすげえぞ。ナルフェックの王室から嫁いで来たみてえだが。アシルスとナルフェックだけじゃなくてネンガルド王国とかガーメニー王国とかアリティー王国とか、少なくとも7ヶ国語は話せるみたいだぞ」

「ソフィー・ルイーズ・ルナ・シャルロット第1王女殿下のことでございますね」

「ああ。ナルフェックだとそういう名前なのか。アシルスだと、ソフィーヤ・ルイーザ・ルナ・シャルロッタだな。今はソフィーヤ・カルロヴナ皇太子妃殿下って呼ばれてるぞ」

「あら、少し変わるのでございますね」

 クリスティーヌはその違いを興味ありげな様子で聞いていた。

「そういえば、この国の前王妃殿下はアシルス帝国の皇女殿下でございました。こちらではカトリーヌ王妃殿下と呼ばれておりましたが」

「アシルスだと、エカテリーナだな」

「まあ、随分と変わるのでございますね」

 またもや違いに興味深く微笑んだクリスティーヌだ。

「他国の言語や違いというものは、とても面白いですわね。わたくし、色々と学びたくなってきましたわ」

 クリスティーヌは緑色の目を輝かせている。まるでエメラルドのようだ。上級貴族に匹敵する気品はあるが、好奇心を隠しきれていない。

「クリスティーヌ嬢ちゃんは学ぶことが好きなんだな。いいと思うぜ。俺もこの国には色々と学びに来たわけだし」

 ゲオルギーは力強い笑みで前を見据えている。

「何を学びにいらしたのです?」

「料理だ。俺の父さんは料理人なんだ。アシルスの帝都ウォスコムでレストランを経営してる」

 クリスティーヌは黙って聞いていた。

 ゲオルギーはそのまま続ける。

「父さんはナルフェックの味をベースにしたアシルス料理を作ってるんだ。俺は父さんの店を継ぐ予定だから、この国の料理を知っておく必要がある。だからナルフェックに料理を学びに来たんだ。しかもこの国は美食の国とも呼ばれてるしな」

 ゲオルギーはニッと白い歯を見せて笑った。

「素敵な志でございますわね」

 クリスティーヌは感心したように微笑んだ。

 2人が会話をしながら歩いているうちに、ゲオルギーの目的地であるバルテレミーの宿に到着した。

「クリスティーヌ嬢ちゃん、ありがとな。助かったぜ」

「いえいえ。お役に立てて幸いでございます」

 その時だ。

「クリスティーヌ、こんな所で何をしているんだ?」

「あら、お父様」

 プロスペールに声をかけられた。

 そしてプロスペールはクリスティーヌの隣にいるゲオルギーを見た瞬間、飛び出そうな程大きく目を見開いた。

「君は……!」

「お父様、こちらはアシルス帝国からいらしたゴーシャ様……ゲオルギー様でございます」

 クリスティーヌは経緯を説明した。

「そうか、君は料理を学びに遥々アシルス帝国から……」

 プロスペールはゲオルギーの顔を凝視していた。

「えっと……旦那、俺の顔に何かついてんのか?」

「ああ、すまないね。君は髪の色や目の色は違うが、私の妹によく似ているものだから驚いてね。うむ、クリスティーヌ以上にそっくりだ」

 プロスペールは懐かしむような表情を浮かべていた。

「そうなのか。俺は髪と目の色は父さん譲りだが、顔立ちは母さん似だってよく言われるぞ。だから、俺の母さんも旦那の妹に似てるってことになるな」

「そうなるね」

 プロスペールは微笑んだ。

「……こうしてお並びになると、お2人共顔立ちがよく似ていらっしゃいます」

 ファビエンヌはクリスティーヌとゲオルギーを交互に見てそう言った。

「自分の顔をあまり意識したことはございませんが、確かにファビエンヌの言う通りかもしれませんわ」

 クリスティーヌはゲオルギーの顔を見てふふっと笑った。

「まあ俺も自分の顔は普段意識しねえけど、言われてみればクリスティーヌ嬢ちゃんと似てるかも」

 ゲオルギーはハハッと笑う。

 プロスペールはそんな2人を見守るかのように微笑んだ。

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