人脈

 帰りの馬車の中にて。

 クリスティーヌは今日ユーグに会った一連の流れを話すとプロスペールは驚いた。

「まさかクリスティーヌがヌムール公爵家のご長男と知り合うとはな」

 タルド家は公爵家とほとんど繋がりがない。

 公爵はナルフェック王国初代国王の7人の庶子が賜った爵位だ。そして王族が臣籍降下する際は必ず公爵家に婿入りもしくは嫁入りしている。よって公爵家は建国初期から続き、王家の血が混じっている伝統ある家系だ。

「だがクリスティーヌ、いくら剣術に自信があっても1人で悪漢を倒そうとするのはやめなさい。そういう場面に遭遇したら、まずは警吏を呼びなさい」

「申し訳ございません、お父様」

 プロスペールから叱られて、クリスティーヌは肩を落とした。

「しかし、医療に強いヌムール公爵家か……」

 プロスペールはうーん、と考える素振りをする。

「ええ。わたくしがユーグ様と友人とまではいかなくともいい関係を築き、イポリートお兄様との橋渡しをすれば、タルド家はヌムール家と関わることが可能です。そこから領民への医療の斡旋などが可能かと存じます。もしタルド家が伯爵家や侯爵家といった上級貴族なら、わたくしがヌムール家に嫁いで人脈を構築することも可能でございます。しかし、残念ながらタルド家は小麦の栽培が盛んなだけの男爵家。家格は釣り合いませんし、小麦だけでは弱いですわ。わたくしは同等もしくは少し上の家格で、タルド家や領民にとってメリットのある家に嫁ぐつもりでございます」

 クリスティーヌは家や領民のことを考えていた。

「タルド家や領民優先か。クリスティーヌ、実にお前らしい考え方だ」

 プロスペールは苦笑した。ファビエンヌも困ったような笑みを浮かべている。

 馬車は順調にタルド領へ向かっている。

「ところでクリスティーヌお嬢様、私達が駆けつける前はユーグ様とどのようなお話をなさっていたのですか?」

 ファビエンヌは少しワクワクした様子だ。

「簡単な自己紹介だけよ、ファビエンヌ。それと、ユーグ様に所作をお褒めいただいたわ。アリーヌお義姉様が素晴らしい先生を紹介してくださったおかげよ」

 アリーヌがタルド家に嫁いだのが4年前。アリーヌは勉強熱心な当時9歳のクリスティーヌを見て、上級貴族の作法を学べるように人脈を駆使していい家庭教師を手配してくれたのだ。その人脈というのがアリーヌの姉の夫だ。

 アリーヌの生家は貿易に強い子爵家だ、没落寸前の上級貴族よりも遥かに裕福である。その子爵家の次期当主はアリーヌの姉。そして彼女の夫は歴史ある名門侯爵家の次男である。

 ちなみに、今の女王であるルナが女性も爵位・家督を継げるように制度を変えたのだ。

 子爵家と侯爵家、家格に差があるが問題なく結婚出来たのには理由がある。侯爵家は領地経営を失敗し、没落寸前だった。どうにかして資金調達したい侯爵家は裕福なアリーヌの生家である子爵家に目をつけた。侯爵家次男が子爵家に婿入りすることを条件に資金提供を頼まれたのだ。子爵家にとっても、歴史ある名門侯爵家と繋がりを持てるので悪い話ではない。こうしてアリーヌの姉と侯爵家次男は結婚に至った。

 アリーヌは姉の夫に手紙を書き、上級貴族向けの家庭教師を紹介してもらえるように依頼した。

 没落寸前だった侯爵家はその後子爵家からの資金提供で完全に盛り返したそうだ。その恩もあり、クリスティーヌへの家庭教師の紹介はすんなり通った。

 こうして、クリスティーヌは紹介された家庭教師から学び、上級貴族にも引けを取らない所作や礼儀作法を身に付けたのだ。

「作用でございますか。もしそれでお嬢様がユーグ様に見染められましたら、とつい想像してしまうのです」

 ファビエンヌはふふっと笑った。

「そんなことあるわけないわ。さっき言ったでしょう。男爵家と公爵家では家格差が大きすぎるわ。それに、身の程知らずな望みを持つと、ニサップ王国の婚約破棄事件の結末のように碌なことがないのよ」

 クリスティーヌは苦笑した。






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「イポリート、アリーヌさん、帰って来ていたのか」

 タルド邸には先にイポリートとアリーヌが帰っていた。

 プロスペールはそれに驚いている。

「ええ、父上。サロンが思ったより早く終わったので」

 イポリートはそう答えた。緑色の目に、ブロンドの癖毛を後ろで1つにまとめている。プロスペールとよく似た顔立ちだ。イポリートはクリスティーヌより9歳年上で、今年22歳になる。

「クリスティーヌ、今日のサロンでは色々面白いお話が聞けたわ。後で紅茶を飲みながらゆっくり話しましょう」

 アリーヌはにこやかにそう言った。栗毛色の髪に、茶色の目で優し気な雰囲気の女性だ。

「ええ、アリーヌお義姉様。一旦自室に戻りますので、少々お待ちくださいね」

 クリスティーヌはすぐに部屋に戻る。そして急いで今日購入した本を棚にしまうとアリーヌの元へ向かった。

「アリーヌお義姉様、お待たせいたしました」

「そんなに急がなくてもよかったのに」

 アリーヌはふふっと可愛らしい笑みを浮かべた。

 その後、侍女に紅茶と焼き菓子を運んで来てもらい、2人は話を始めた。

「クリスティーヌ、今日のサロンにはジュリエンヌも来ていたわ」

「ジュリエンヌお姉様、お元気そうでしたか?1番新しい手紙には、悪阻つわりが酷くて体調がよくないと書いてありましたが」

 クリスティーヌは少し心配そうだった。

 ジュリエンヌはタルド家の長女だ。歳はクリスティーヌより5つ上で仲がよく、幼い頃は一緒に遊んでいた。ちなみにアリーヌもジュリエンヌと仲がいい。彼女は去年、子爵家に嫁いだ。その子爵領は綿の栽培が盛んである。クリスティーヌはジュリエンヌが嫁いでからも文通を続けているのだが、最近は彼女からの手紙の頻度が減っていた。

「今日のサロンではもう元気そうだったわ。元気な男の子を産んだそうよ。ただ無事に出産したものの、その後の体調が優れなかったみたいなの。だから、サロンや晩餐会といった社交界には顔を出していなかったみたい。クリスティーヌにも手紙を書けなくて申し訳なさそうにしていたわよ」

「左様でございましたか。でも、ジュリエンヌお姉様も産まれて来た子も元気そうで安心いたしました。また手紙を書いてみますわ」

 クリスティーヌは心底安心し、微笑んだ。

「無事に出産することが出来たジュリエンヌが羨ましいわ。私は3年前に流産して以来、全く妊娠出来ていないもの。イポリート様も、お義父とう様も、お義母かあ様も、気にすることはないと仰っていただいたけれど……」

 アリーヌは少し暗い表情でため息をついた。

「アリーヌお義姉様……。わたくしはまだ結婚も妊娠もしたことがないので、アリーヌお義姉様のお気持ちが分かる、などとは簡単には申し上げられません。ただ、不安な気持ちは人に話すことで和らぐとお聞きしたことがございます。気休めかもしれませんが、わたくしでよろしければ、アリーヌお義姉様のお話をお聞きすることは可能でございますよ」

 クリスティーヌはアリーヌの手をそっと優しく握った。

「ありがとう、クリスティーヌ」

 アリーヌの表情は先程より和らいでいた。

「暗い話をしてごめんなさいね。さあ、気を取り直して、今日サロンで仕入れて来た情報をお話しするわ」

 アリーヌは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 その後は和やかな義姉妹でのお茶会となった。

 クリスティーヌは話を聞きながらマドレーヌを口にする。ふと見ると、いつもは焼き菓子を楽しむアリーヌが今日は目の前のマドレーヌを全く食べていない。クリスティーヌは少し心配に思った。心なしか、アリーヌの顔が少し青白いような気もする。

「アリーヌお義姉様、食欲がございませんか? 少し顔色も悪いように見えますが」

「……そうね。最近、なぜだか胃の調子がおかしくて食欲がないのよ。紅茶は飲めるのだけど……。どうしてかしらね?」

 アリーヌはため息をついた。

「お医者様に診察していただいた方がよろしいかと存じます」

「そうね。そうするわ」

 アリーヌは力なく、困ったように微笑んだ。しかし次の瞬間、不快そうに眉をしかめて口元を手で押さえた。

「アリーヌお義姉様!?」

 クリスティーヌは慌ててアリーヌの背中をさする。

 しばらくすると治ったようだ。

「ごめんなさい、クリスティーヌ。やっぱり胃の調子が悪いみたい」

 アリーヌは苦笑した。その瞬間アリーヌは嘔吐してしまった。クリスティーヌはそれに対して迅速に対応する。

「誰か、今すぐお医者様を呼んでちょうだい。それから、お水も持って来てちょうだい」

 それからクリスティーヌはずっとアリーヌの背中をさすっていた。

 医者に診察してもらった結果、アリーヌは妊娠していた。

 先程、アリーヌは流産以来妊娠していないことを不安がっていたが、ひとまずそれは解消された。

(アリーヌお義姉様の不安が解消してよかったわ。後は、お義姉様も産まれて来る子も無事であることを祈るばかりね)

 クリスティーヌはホッとしていた。

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