第3話 身ひとつで旅立つ

 故郷は武蔵に冷たかった。

 父が死んだ日も、誰も野辺送りに参列してくれなかった。

 香華を手向けてくれたのは、近所の姉おぎんとその婚家の者だけであった。


 さびしい葬儀が終わり、武蔵は姉おぎんに伝えた。

「大坂へ参る」

「えっ。なんで大坂なんぞへ行くんじゃ?」

 武蔵は説明するのが面倒になって、いい加減な返答をした。

「武者修行に出る」

「ふぅーん。そうか」


この当時、秀吉はすでに病没し、豊臣家内部は東西に割れて、その二つの力がぶつかろうとしていた。石田三成派と徳川家康派との反目であった。

 武蔵は、その両派の間でいずれ大乱が起きるということを小耳にはさみ、ならば大坂に行けば何とかなる、風雲に乗じれるやも知れぬ――そう思ったのだ。


 大坂に着いた武蔵は、大坂城の玉造口たまつくりぐちにある宇喜多屋敷へと急いだ。

 当主の宇喜多秀家は俸禄57万余石の大名で、その家臣に新免しんめん伊賀守がいる。この伊賀守は武蔵の亡父の旧主であり、そのツテを生かそうとしたのだ。


 この目論見は的中した。

「とりあえず足軽隊に入っておれ」

 と言われ、その半月後、西軍の一員として関ヶ原に出た。

「やった。これで手柄を立てれば、侍大将も夢ではない」

 しかしながら、そう思ったのも束の間のことであった。


 いざ戦場に出れば、足軽なんぞ牛馬同然の扱いであると、武蔵は実感した。

 飯もに与えられず、進めと命じられれば進み、引けとの下知があれば引き、数百人単位で戦場を右往左往するだけである。足軽では個人の手柄など立てようがないのだ。

 しかも足軽同士で密集隊形を組んで移動するため、敵将の姿すら見かけない。前後左右に見えるのは、同じ足軽の頭や背中だけだ。結局、三刻余り、戦場をうろうろするだけで、なぜか合戦は終わっていた。敗北である。


 武蔵は逃げた。

 逃げながら、騎馬武者の死骸から両刀をはぎ取り、いざというときに備え持っている肌付金はだつけがねをもぎ取った。

 それは誰に教わったわけでもない。貧乏人が生き延びるための小ずるがしこい知恵である。

 だが、どこへ逃げるのか。どこへ逃げたらよいのか。


 敗走する武蔵の脳裏に「京へ行こう」という思いがよぎった。

 京の都で名をあげれば、何とかなるであろう。

 武蔵は立身出世の夢を捨てていなかった。できれば大名に、せめて侍大将に、さもなくば兵法者として天下に名を知られたいと思った。

 武蔵は関ヶ原の暗い空に向かって叫んだ。

「こんな失敗、屁でもないわ。俺はやる!これから先、何度失敗しても起ち上がってみせる。そして必ずや出世してみせる。俺ならやれる!絶対にやれる!バカどもは、みんな途中であきらめる。あきらめたら、それで万事終わりよ」

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