2024season
海に生きる・前
「なんかさ、こんなの見てたらすごい落ち着きません?」
和花はうーんと伸びをしながら言った。
「だな。この浜、めっちゃ綺麗だし」
「へぇー、あんた、そんなこと分からないし分かろうともしないのかと思ってた」
陸玖が目を大きく開いて、覗き込んできた。
――一体いつの間に、敬語で話すことを辞めたんだか。
「はぁ? 何を、読書好きなんだからそれぐらいの感性はあるよ」
「フリだけじゃなくて?」
「そんなわけないでしょう? そういう……」
「はーいはいはいはいはい、分かった分かった。そんな、せっかくいい風吹いてさ、風情のあるところだったのに、空気が台無しだろ?」
雄星がパンパンパン、と両手を打ったので、二人は口をつぐんだ。
「はい……」
「すみません……」
「まあまあ、お客さんもなんか来ないし、のんびりしようぜ」
雄星は、ニッコリと笑い、まだ店の臭いのする緑のアウトドアチェアに身体を預けた。
ボーンッ、ボーンッ
これはきっと、移動書店・BOOK MARKの前途への、貨物船からの祝砲なのだろうと和花は思った。
今日は祝日・山の日からか、想像以上に海辺に止まっている移動書店への客は少ない。
和花は、雄星が買ってくれた黄緑色のアウトドアチェアに座って本を読んだり、ブログを書いたりしていた。
「本、買っていいですか?」
「ふえっ?!」
大きな声を上げて飛び上がると、思わず、読んでいた本を放り出し、椅子ごと後ろへ倒れてしまった。
「ああ、驚かせてしまってすみません。大丈夫ですか?」
林で小鳥と戯れていそうな、柔らかで少し甘く、上品な声。
刺し伸ばされた手はシルクのように白くきめ細かい。
「いや、こちらこそ情けない姿を見せてしまって……大丈夫です」
和花は頬の温度上昇を感じながら、相手の手を握った。
「で、この本なんですけど」
差し出してきたのは、『錆星のブルース』というSF漫画。それの七巻セットを抱えている。
「あ、はい、分かりました、少々お待ちください」
ふわりとした、サラサラの茶髪に、長いまつ毛、ツンと立った鼻……。思わず欠点を探してしまいそうなほどの顔にボーっと見惚れていたが、慌てて和花は車の中へ戻っていく。
――この様子、陸玖に見られてたらサイヤクだな。
「えと、二千五百円です」
「あ、はい、ちょっと待ってくださいね」
千円札二枚と五百円玉が乗った手が、和花に向かって伸びてくる。
「あ、ありがとうございます。ちょうどですね。はい、お買い上げの商品です」
「うん、ありがとう」
大事そうにリュックサックに入れて、彼は砂浜に向かって歩き出そうとしていた。
「あ、あのっ」
「うん?」
和花は一瞬、言葉を飲み込んだが、再びそれを吐き出した。
「何の仕事をされているんですか?」
一瞬、彼はキョトンとした顔をしたが、やがてニコッと微笑んだ。
「ああ、僕は、あそこで仕事をしているんです」
彼が指さす先は、船が何隻か止まっている岬の船着き場だ。
「え?」
「あそこに、赤と白の、昭和レトロなカフェみたいな感じの船あるでしょ?」
「えーっと、あーっ、見えるかも……?」
「そこで、喫茶店を経営しています」
「……と、言うのは?」
和花の黒目の動きがピタリと止まり、パチパチッと瞬きを繰り返す様子を見て、彼はクスリと笑った。
「僕は、あの『けいめい丸』っていう船を使って、移動式の水上喫茶『さんらいず・NEWムーン』をやってます」
「へぇ……」
どこか壮大な響きの言葉に、和花は目を輝かせ、口を開けた。
「……凄いです」
「ありがとうございます。まあ、今となっては幼馴染の女性スタッフにオーナーの座を奪われて、単なる使い走りみたいになってるんですけど」
苦笑する彼の顔もまた、バックの海岸とよく似合っている。
「BOOK MARKさんも移動書店なんでしょ? なんか、すごい同志って感じがしますね。この二つの店でイベントとかやってみたら面白そうだなぁ」
「確かに。また今度やってみます?」
「良いですね!」
「店長、呼んできましょうか?」
「良いんですか?」
「善は急げ、鉄は熱いうちに打て、です」
「すごい、書店員さんって感じする」
「えへへ」
和花はピョンピョンと軽く弾みながら、店の中へ入っていった。
「雄星さん? 起きてます?」
「あぁ……今起きた」
頭からはチョン、と寝癖が存在を主張している。
「あの、今ね、船を使って水上喫茶をしているっていう人が来てるんですけど、ちょっと話してみませんか?」
「ん……なんか面白そうだから、行くわ」
数字の三の形をしている目を擦り、キラリと金属光沢を放つ細い緑の丸眼鏡を掛けて、雄星はバンから降りる。
「ところでさ」
「はい?」
「なんか、すごいハッピーなことでもあったの?」
「へ?」
不意を衝く発言に、和花はだるまさんが転んだ状態になった。
「終始、めちゃめちゃニタニタしてるからさ。ほっぺが蕩け落ちそうなほど」
和花は自分の頬をパチン、と叩いた。
カアッと、両方の頬が沸騰した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます