新しい町・前
トゥルルルルル……。
何気ない電話が鳴る。
「はい、もしもし、移動書店・BOOK MARKでございます」
「あ、こんにちはぁ。あの、ええっとですね、ほら、その、ね、あの、
中濱口町の町長? なんでなんだろう。というか、中濱口なのに何でよりによって濱田なんだ。田んぼの田から十を抜けばいい話を。
という下らない話は置いておいて。
「はい、どうしましたか?」
「あのね、そのさ、あの、つまり、いわゆる、まあ、ね、ほら、うちに来て欲しいわけですよ」
本題を切り出すまでになんでこの町長はこれだけ時間がかかるんだろう。あのとかそのとかえーっととかが多すぎる。このおじいちゃんは言語難なのだろうか。
――って、え?
「え? あの、うちの店が中濱口町に行くんですか? 中濱口町にはすでに三之丸書店が出店してたんじゃ? うちは本屋や図書館がない場所にしか行かないのですが……」
「いや、あの、さ、ほら、ええっと、実はね、それがねぇ……」
しわがれ声が続く。
「そのね、三之丸書店さんがね、この前ね、あのね、どっか行っちゃってね……それでね、ほらね、今はね、うちのね、町は、ほら、ね、本がない町になっちゃってるわけなのよ、ね?」
――ね、が無駄に多いな!
「だから、ほら、そういうわけね。うん、ね、ほら、そういうね、うん。分かりましたよね?」
「分かりましたけれども」
「じゃあ、来てくださいね。待ってますね。お願いしますね。はい、ね。何なら今からでも来て欲しいけどね、ええっとね、うーん、いつが空いてるだろう。うーん、まあね、うちはいつでも空いてるんだけどね、町長って言ってもね、別にね、ほら、なんかね、その、ね、偉い人思い浮かべるかもしれないけどね、別にね、そんなことはなくってね、ただのね、ほら、その、なんていうの? あ、ほら、その、ね、分かるでしょ?」
いや、全く分からないんですけど。
「あの、つまりは何なんですか……?」
「ええっとね、何て言うんだっけ、あ、ほら、その、思い出した。最近はね、ああいうんだよね、あの、ほら、そのね、いわゆるね、町長はね……」
早く言ってくれー!
「暇人なんですよぉ……」
「へぇ、そう言うことなんですね。中濱口町。つまり、どこでしたっけ、大濱口町の隣ですよね。ずっとね、大濱口町と中濱口町はあって、なんで
「で、その代わりに濱口町があるってな」
「そう、ただの何にもない濱口町。不思議ですよね……」
まあ、小だったら言いづらいということもあるのだろうか。まあ、そんなことは置いといて。
僕は和花のこのどうしようもない地名の話を畳みかける。
「それよりも、その話よ。どうする?」
「どうするとは?」
「受けるのか受けないのかだ」
「えっ!!」
和花は目を見開き、思わず手を抑えた。ものすごい仰天している様子だ。
「え、どうしたんだ?」
「そんなの、受けるに決まってるでしょ? 受けないんですか?」
「いや、僕は受けるつもりでいるけどね……一応確認」
「そりゃあ受けるに決まっているじゃないですか。チャンスですよ。売上も増えますしね」
――売上?!
僕はその言葉にビビッときた。
「おい、和花。売上は後だ。その前に、どうやって本を広めるか。これが大事なんだ。分かるか? 売上なんか後回しだ」
「そんなの口酸っぱく言われてるから分かりますよ。分かってますけど、その本を広める書店を維持するには売り上げが必要じゃないですか。それに、本を広めるためのポップなりポスターなり企画用の何かなり、そういうものを作るには必ずお金がいるんです。収益が増えることはさらに本を広める方法の選択肢を広めることになるじゃないですか」
うぐっ。ついにこの小娘、僕に反論してきやがった。
「そうでしょ?」
「……ああ、そうだ」
負けは認めたくなかったが……口は弱い人間だし、こんなのにこだわっているのもバカバカしい。
「まあ、そう言うことですね。で、いつ行くんですか?」
「町長は自称暇人だからいつでも行けると言っていたが……」
「じゃあ、休みの日が良いですかね。もう当分休みはありませんけど。休みの日にはすでに予定が入ってるし……」
「まあ、そうだな。じゃあ、どうしようか……」
「大濱口町に行くときで良いんじゃないですか。その日の夜にでも訪問させてもらえば」
「それだな」
「じゃあ、何時ぐらいにしましょうか? 七時くらい?」
「そうだな……そうするか」
「分かりました。じゃ、電話入れときますね。番号教えてください」
と言っている時にはすでに手元に固定電話がセットされているじゃないか。
「ええっとな……」
僕は聞いておいた電話番号をスラスラと言う。
「はい、ありがとうございます。それじゃ、書きますね。……あ、閉店間際にお客さん。雄星さんお願いします」
「了解……」
最近毎回思うことが、店長はどっちだったかってことだ。
チリリリリリリリリリリリリリ……。
目覚まし時計が暴れ出した。
いつもの通り、目覚まし時計の暴走をこの拳で止めてやる。
「はい、ありがとさん」
ちょうど、防災無線チャイムが夕焼け小焼けを歌っているところだった。
BOOK MARKでは閉店時間を告げる合図をアナログな目覚まし時計にしている。理由は、紙の本にしても何にしても、店長兼書店員・大森雄星がアナログ派だからだ。
「よし、じゃ、和花。悪いけど今日は一人で本棚片づけておいてくれ」
「いや、雄星さん。私が町役場に行く準備するので、お願いします。雄星さんがやったところで何をするかも理解してないし、プレゼンもできないでしょ?」
な、なんと失礼な。
「無理を言ってまでうちの店で働かせてもらってるくせに、いつからそんな偉そうになったのかなぁっ?」
「あ、すみません。ちょっと事実を述べてしまっただけで」
「おいこら」
「ジョーダンです! えへへ」
こういうところが可愛いんだよな。それが何か憎らしいけれども。それでも、愛する書店員だ。
――あくまで恋人としてじゃないけど。
準備が終わり、僕たち二人は中濱口町役場へ向かうことにした。
運転は僕。最近全く運転をしていなかった。というか、もう何もかもが和花に任せきりというイメージがあった。色んなアイデアを考えてそれを実行している和花とは対照的に、僕はほぼほぼ何もしていない気がしていた。
そろそろ何かしないとなぁというのは思っていたのだが、和花とは脳の構造が根本的に違うわけで、何のアイデアも湧いてこない。
何か、無いだろうか……。
「どうしたんですか? ゆーせーさーん?」
「あ、いや、何でもない」
「なんか考え事してますね?」
「……まあな」
ここから深追いしてくるのかと思ったが、意外にも和花は何も聞かずに運転に集中し始めた。
「あの、すみません。濱田市長とお約束している、BOOK MARKの大森と言うのですが……」
「ああ、濱田とですね。分かりました。では、三回にある町長室へどうぞ」
窓口の人に聞いて、僕たちはエレベーターに乗り、町長室へと向かう。
外見は古っぽい木造だったのだが、中は意外と近代的だった。
――え?
と、そんなことがない不届き物を見つけた。
「狭っ!」
エレベーターが、狭すぎるのだ。大人二人がなんとか乗れるほどの大きさ。
ウィーン……ガタガタ、ダン
三階へとエレベーターはゆっくりと上昇していく。ただ、問題だったのが距離感。
「近っ……」
なぜか二人は向かい合う形で乗ってしまったわけで、息がすごいかかってくるところ。今は僕の唇が少し僕より背が低い和花に触れてしまいそうな至近距離。
「あの、雄星さん、もう少し離れて……」
「そんなこと言ってもさ、離れられないんだってぇ……」
と、ちょんと僕と和花の胸が僅かに触れた。
和花の顔が沸騰している。そんなのを見ていると、こっちまで顔がどんどん熱くなっていくのを猛烈に感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます