『RED*CLOCK』

 仲直りしたは良いけど、それイコール和花が好きってわけじゃない。


 僕は目の前にあるコンビニで買ってきた甘めのだし巻きを頬張りながら、隣に座る和花をチラリと見た。

 和花は最近、僕の「正装」である白いセーターの上に緑のエプロンを着るようになっていた。書店員らしいから、ってことらしい。

「ちょっと師匠、この唐揚げがめちゃめちゃ美味しいんですよ。ちょっと食べてみてください」

 そう言って、和花は、化粧無しと言うその白くて丸くてパッチリした目を片方閉じて、つまようじで一つ、唐揚げを取ってきた。

「はい、あーん」

「え? いや、別にいいから。大丈夫、食べて……」

「私が食べて欲しいから食べて欲しいんですよ。ね、いいでしょ? はい、あーん」

 鈍感かよ、おい。こんなの別に好きでもない女子にあーんなんて、こんなの外から見れば完全に恋人じゃないか。

「別にいいからんぐっ!」

 あ行で口を開いてしまった時に強引に和花は一口分の大きな、カレー味と言う唐揚げを突っ込んできた。

「ん……旨いな」

「でしょ?」

 嬉々として和花は、勝手にだし巻きの一切れを手づかみで口に運んだ。


 食べ終わって、そろそろ本棚の入れ替えを始める時間だ。だし巻きを一切れ盗られはしたものの、この食後はまさに至福の時。

 和花は食べ終わってすぐにせっせかせっせかと働いてくれている。朝になってすぐに読んだいくつかの本をキレイに並べ、お手製ポップまで立てている。最近はその本のオススメポスターまで彼女は作り始めた。もう、和花を書店員から外すことは出来ないな……睦子には申し訳ないが。

「そろそろ手伝おうか?」

 さすがにずっと働いてもらっていると店長としての立場がマズいから和花に声を掛ける。

 だが、答えは無い。

「おーい」

 と、バサッという音が聞こえた。

 本が落ちる音。

 不審に思って僕は外へ出てみる。すると……。

「え?」

 和花がいる。いつもと違うのは、いつも白い顔が青白くなっていて、アスファルトの駐車場にぐったりと倒れていることだ……。

「おい、和花! 和花! どうしたんだ?」

 返事はない。

 揺さぶったら余計悪影響だとか聞いたことがある。

「和花! 起きろ!」

 時々、ルカがいなくなったことを引きずる僕でも、今の和花を心配しないわけにはいかない。いつの間にか、服の中がビショビショになっていた。




 どうする……?

 田舎の人は能天気なのか、時々コンビニにやってくる人間は

「この季節の日光浴は気持ちいでしょ」

 とか言ってくる。

 ――バカか。そんな呑気なこと言ってる場合か。

「和花! 和花!」

 一度、頬を平手打ちしてみた。だが、やはり答える気配は無い。

 と。

「……」

「あ、和花!」

 急に和花はすくっと起き上がった。

「良かった、大丈夫か? 何があったんだ?」

 ホッと僕は一息をついた。何があったのか分からないが、救急車を呼ぶような大事にならなかったのは良いことだ。

「何で倒れたんだ?」

「……」

 返事がない。しかも、いつもはパッチリとしてチャーミングな瞳が今は全く焦点があっておらず、その奥には何か黒いものが感じられた。

「と、取りあえず……車の中に入ろう」

 和花は無言で立ち上がり、歩き始めた。表情をピクリとも変えない。

 ――変だな……。

「BOOK MARKって何の魅力も無いですよね」

 え?

「一カ月に一回地方に回っても、あまり客は来ない。そもそも紙の本の需要がもうないわけだし、じきに書店も図書館もたくさん出来てくるでしょう? それなのにガソリン代をかけて広い田舎を駆け回る意味が私には理解できない」

「は? ……おい、どうしたんだ?」

「……取り合えず、車内で話しましょうか」

 和花の目には、何も灯ってはいない。


「……今更なんなんだですけど、私、なんでここに来ちゃったんでしょう」

「……なら、帰ってくれ」

「それも一案ですけど、その前に言うべきことは言わないとダメですね」

 起き上がってから初めて、和花が口角を上げた。瞳に何も灯らない、ひたすら不気味な笑み。

「まずですけど、師匠……雄星さんは何もしませんね。ただレジをするだけじゃないですか」

 師匠とこれまで呼ばれていたのが急に雄星さん呼びになった。

「は? いや、そんなことはないって。最近こそ和花が色々やってくれるから助かってるけど、開店の時も準備してるし、弁当も買ってやってるじゃないか」

「そのお弁当のお金は店の稼ぎからでしょう? 雄星さんが買ってくれたわけじゃないじゃないですか」

「それはそうかもしれない。それでも、僕は運転もしてるし、しっかりオススメの本も並べてる。ポップとかはほとんど任せちゃってるけど、それでもしっかり手伝ってるでしょ?」

「言い訳は止めてください」

「言い訳じゃない。本当に僕はしっかり働いていると思っている。最近はちょっと人手が増えたから任せたりすることもあるけど、それでも……」

「もうそういう堅苦しい言い訳は聞きたくありません」

 そんな抗弁をしているが、正直確かに少し働く分は減ったなぁと自覚はしていた。それでも働くところは働いてると思うのだが……。

 明らかに、和花は何かがおかしい。何かに憑依されているかのようなこの表情を僕は凝視した。


「しかも、最近は本を出すこととか全然やっていないでしょ? 元々力仕事は苦手なんでしょうけど。やっぱり雄星さんひ弱ですね。あの女にも貧弱って言われてましたけど。暴力団が取り立てに来た時も全く守ってくれなかった。男性にしっかり守ってもらえると思ってたのに」

「ひ弱なのは仕方がないだろう。そう生まれてきたんだし。男が全員強いわけじゃない。今は多様性の時代だ……」

「そういう建前は良いんですよ。言い訳は私に通用しません」

 なんだ、このやりとり。苦しすぎる、この抗弁に言い訳だ、いや言い訳じゃないの言葉のキャッチボール。

「仕方がないじゃないか。あと、言い訳なんか言ってる気はない。全部本音だ」

「……そういう男性は嫌いなんですよ」

 ニヤリと笑いながら和花は言った。別に僕は彼女が好きじゃないが、いざそう言われると少し傷つく。


「しかも、雄星さんは小説の中の人物に恋をしましたよね?」

「……!」

 ギクリと来た。まさか、ここまでこの怪しい何かに取り憑かれたかのような和花に知られているとは。正直、今でも少し彼女がいなくなったことに動揺してるくらいなのに。こんなオカルトみたいな展開があるか? もしかすると、彼女は何か幽霊に肉体を盗られているとか……?

「宮田ルカ、でしたっけ。あの女らしくない筋肉の塊の暴力女に。全く、女性を見る目には呆れますよ。本当に」

「いや、そんなことは無いって。ちょっと良い人だなぁって思っただけで」

「良い人だなぁ? 恋人としてぇ?」

 和花の語尾が伸びてきた。いよいよおかしくなってる。

「いや、普通にそういう……それで、また会えるかなぁとか思ってただけで……」

 苦しい反撃。これは、本当に言い訳だ。

「また会ったらお礼しようとか、ほら、そういうのでちょっとさ……それでラガーウーマンって言うんだから、余計すごい人だなぁって思って気になるわけじゃん‥…。和花もそうだっただろ?」

 どうか、首を縦に振ってくれ。

 だが、和花は首を横に振るどころか、誰にも予想できない行動に出た。


 ガッ


 真っ暗だった瞳に少しだけ涙を浮かべる和花がガシッと僕の肩を掴んできた。

「雄星さんだけが好きだったのに……」

 なんだ、この愛の告白みたいな。これは本心か? いや、取り憑いている霊のせいだろう。大丈夫、動揺することはない……。

「あっ」

 と、超近距離で彼女の目をそらすと、とんでもないものを見つけてしまった。だが、これが元凶なのは多分——間違いない。

「おらっ!」

 僕は和花のグリーンのエプロンの中へ手を突っ込んだ。

「うわ!」

 胸のあたりを軽くはたくと、和花は憑き物が落ちたような、驚いた顔をして再び眠りについた――。




「あ、師匠、おはようございます! ちょっと昼寝しすぎましたぁ」

「あ、うん、おはよ……」

 そして今。和花は倒れた後何事もなかったかのように起き上がって、着々と接客を始めた。

 あの出来事はやっぱり覚えていないか。

 あの言葉を言ったことも覚えていないのだろう。やっぱり、和花は僕に好意なんて持っていないのだ。

 仕事に戻っていった和花を見送り、バンのクリップボードに目を落とす。

 そこには、不思議な赤く丸い、金色の時計のマークがついたピンバッチと、そのピンバッチにまつわる三木森勝勢の短編集、『RED*CLOCK』の『いいわけ』というどこか聞いたことのあるエピソードが綴られた章の始まりの見開き。

 あのピンバッチはRED*CLOCKというのか。

 彼女はこのピンバッチに取り憑かれたとして、このピンバッチは一体どんな働きがあるのだろう。そもそも、これは誰のものなのだろう。いつ作られたものなのだろう。疑問は尽きることはない。


「……やっぱり、私にはBOOK MARKが一番だなぁ……」


 と、本棚の方からふと聞こえた若い女性の呟き。

「……ありがとな」

 呟き返してやった。


 ――この、“いつもの”和花は、書店員としてしっかりと養っていかなきゃな。


 あの言葉を思い出すと、今でも心臓がドキドキするのを無いことにして、僕は色紙と格闘する女性書店員へ、そっと手を差し伸べに行った。

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