第2話

 新鮮な空気が吸いたいと思ったライズは街の外れにある自然公園に来ていた。


 普段は人も少なく、小鳥たちの囀りで気分が安らぐ場所なのでよく来ているが、今日は想定以上に人が溢れていた。


(人が多いな……あぁ、迂闊だった)


 理由は二つあった。

 一つは、魔闘大会が行われるスタジアム――アンフィテアトルムの近くということ。開催が近いため観光客などが増えているのだろう。


 もう一つは、


「なぁ、今度の大会でアレス校長くるらしいじゃん!」

「あぁ! 気合い入れてこーぜっ」


 白を基調にした制服を着た若い男女。この時間はテレスター学院の下校時間でもあるので、公園を横切る生徒が多数出てくる。


 これは休めそうにないと思ったライズだが、当初の目的を果たすには丁度いいかと考えた。


(うーん、一応声掛けした方がいいよな。嘘じゃなくなるし)

 ユウに怒られないよう、一回くらいは働こうという情けない考えをしたライズは二人組の男子生徒に近づいた。


「やぁ、こんにちは!」

「うわだれこのみすぼらしいオッサン」


 飛び出そうになった拳をグッと抑える。


「実は、魔闘塾の生徒を募集しているんだ。よかったら見学だけでもしてかない?」


 笑顔は崩さず、あくまで朗らかに。愛想の良い対応をしていたライズだが、


「……本当に魔闘塾の人? なんか小汚いし、それに……」

 少年の一人が、ライズの右腕を指さした。


「それ、オーラリングでしょ? てことはフォルティだよね、あんた」

「――ッ」


 指摘されたライズは己の右腕を背中へと隠すが、もう既に遅く、少年たちは嘲笑う。


 オーラリング。


 それは、空中に漂う魔力オーラを吸い上げて溜め込むための器官である魔力器官オーラガンが正常に機能しない人が付ける補助器具だ。


 器官の代わりにリングへ溜め込み、初めて魔術が使える。

 だがそんなオーラリングがあっても、道具には許容量があるもの。


 なので常人と違って強力な魔闘術は使えず、日常生活に必要な最低限の魔力を吸ってリングに溜めるだけ。


 そんな人間は――フォルティとして呼ばれ、この世界では見下される対象として格好の餌食だった。


「フォルティが俺たちに何を教えるって? オーラリングが無いとまともに魔力オーラすら吸収出来ない劣等がよ」

「……教えるのは、俺じゃない。かつての魔闘大会優勝者であるユウ=ラトスだ」


 すると少年は首を傾げたが、すぐに思い至ったように手を打った。


「あぁ、あの雪姫か。そうだなぁ、噂では美人らしいし、体目当てで行ってやってもいいぞ。どうせこうして呼び込まないと人が来ない過疎塾なんだ。入塾をチラつかせたら胸くらい――」

「殺すぞクソガキ」

「――ッ」

 先程まで苦笑いを浮かべ、背中を丸くしていたライズだが、少年の戯れ言に殺気を溢れ出させた。


 かっ開いた瞳孔を、鼻がくっつきそうなくらい至近距離まで近づける。それに驚いた少年は一歩下がり、


「え、《烈風エアリアル》ッ!」

「ぐぅッ」

 ライズは大きく吹っ飛び、近くのベンチに叩きつけられた。


「な、なんだよ、驚かしやがって。けっ、フォルティはそうやって惨めに倒れてるのがお似合いなんだよ」


 少年たちは唾を吐き、去って行った。


(はぁ……いってぇ。フォルティに中級魔闘術なんか撃つなよ、俺じゃなかったら怪我してたぞ)


 ベンチに座り直したライズは空を仰いだ。


(これで一応仕事したし、帰るか……ちょっと休んでから)

 そうして痛む背中を摩っていると、


「や、やめてくださいっ」


 叫び声の方へ視線を向ける。すると、またもやテレスター学院と思しき生徒の集団がいた。


「おいおい。これくらいで嫌がるのかよー、強くなりたいんだろ?」

「そーよ。あたし達は鍛えてやってんだから、ありがたいと思いなさい」


 ガラの悪い数人の男女に囲まれているのは、一人の少女だった。


 桃色のサイドテール。そして甘いベビーフェイスなのに、女の子の平均を優に越えている身長というアンバランスさ。

 スラリとした長い足に、大きな胸。姿勢を正せば、凜とした美しいスタイルを持つはずなのに、彼女は自信なさげに丸まり猫背になっていた。


「うぅ……」


 どうやら彼女は虐められているようだ。


「ほらほら、魔闘術ってのはこうやるのよ……《流水スプラツシユ》!」

「ぶははっ、アイノちゃーん、下着が透けちゃってるよー?」

「――ッ、い、いやぁ」


 アイノと呼ばれた少女は羞恥で顔を紅くし、座り込んだ。


(名門だとしても、あんなイジメあるもんなんだな)


 どこの学院、塾でも生徒のイジメはある。そしてその対象の殆どは……。

「さっさと立てよ。わざわざフォルティに構ってやってんだからさ、もっと楽しませろっつの」


 アイノの左腕には、ライズと同じ道具――オーラリングがあった。

 つまり彼女はウィザードに劣るフォルティとしてイジメの対象になってしまっている。


 公園にいる人達、他の生徒は流石に助けようと伺っていたようだが、フォルティという言葉を聞いた途端、興味を無くして散っていった。


(ふん。相も変わらずフォルティに対する風当たりが強いこって)


 そう思うライズだが、彼にも助けようなんて考えはなかった。


(フォルティがフォルティを庇ってもイジメが増長するだけ。その場しのぎで、あの子は明日から変わらず虐められるだろうな……ちっ、胸クソわりぃ。そろそろ帰るか)


 空模様も暗くなってきた。帰ればなんだかんだユウも晩飯を用意してくれているだろう。まだ痛む体に顔を顰め、立ち上がる。


「だいたいよー、フォルティのお前が魔闘大会に出るなんて言わなきゃ、こんな事しないんだぜ?」

 男が下卑た声で続ける。


「どうせ出ても勝ち進むなんて無理に決まってんだろバァカ。それなら、俺のオモチャとして生きた方がマシってもんだろ。お前、顔と体だけは一級品なんだし」

「ぎゃはは、あんたまじ変態」


 どうも最近の若者は体だの胸だのさかるのがトレンドらしい。テレスター学院は名門と謳われているが、こんな生徒ばかりだとそのうち評判が地に落ちるのではないか。


 こんなことで失脚するアレスの姿を想像し、ライズがほくそ笑んでいた時。


「――分からないじゃないですかッ!」

 アイノが叫んだ。


「たとえフォルティだとしてもっ、出場する権利があります! たとえ弱くても、努力していれば勝てる事もあると思います!」


 少女の顔は、先程までの気弱さとかけ離れた強い闘気を放っていた。

 そんなアイノが気に入らないのか、化粧の濃い女子生徒が手を突き出した。


 ビクリと震えるアイノ。だがすぐに、受け止めるような構えをとった。

 脇を締め、両の拳を上へと向ける。そして内股でズッシリと体幹を安定させている。


 見覚えのある構えに、ライズは目を見張った。


(あの構えは……まさか)


「またそれ? たしか昔流行ったとかいう近接格闘の……ふん、フォルティのあんたにゃお似合いよ――《水龍砲レヴィアガン》ッ」

「ちょっ、それはマズいんじゃね!?」


 水属性の魔闘術ではポピュラーな部類であり、威力はそこそこの術。しかしこんな魔防の無い所で人に向けて撃つなど言語道断だ。死亡してもおかしくない。


 周りの生徒もそう思ったのか女子生徒を止めようとするが、当人は頭に血が上り聞き入れない様子。


 しかしアイノの顔には恐怖など浮かんでいなかった。歯を食いしばり、静かに、だが強く息をゆっくり吐いていく。


 逃げる事もせず、アイノは魔闘術を受け止めようと――、


「……え?」


 呆然とするアイノ。彼女の前には、いつの間にかライズがアイノと同じ構えで立っていた。


 近くには生徒たちしか居なかったのに、まるで瞬間移動してきたかのような登場だった。


「あぁ? 誰だよ、オッサン」

「だから俺は……」

「あん?」


 構えを解いたライズがフラフラと体を揺らし、幽鬼のように『オッサン』と呼んだ女子生徒に近づいて行く。

 それを不気味に思った女子生徒が同じ魔闘術を撃とうとする。だが既にライズはゼロ距離まで接近していた。


 そしてライズは――見事な腹パンを決めた。


「俺は……オッサン、じゃねぇーッ!」

「――ッ、うぼぇーっ」


 たまらず倒れ、嘔吐する女子生徒。


「なッ!? テメェ、女を殴るなんて正気かよ!」

「男だ女だの似非紳士な考えは持ち得てないし、なによりこの子に暴力を振るってた奴が言うのか?」


 返された男子は言葉に詰まるも、すぐにへらへらと笑った。


「そいつはフォルティだ。何したっていい欠陥品のオモチャだぞ」


 そんな言葉にライズは言い返さず、首を動かしてアイノの様子を覗う。


「お前、大丈夫か?」

「え、あ、あの、はい」

「確かに『三戦サンチン』の構えは防御に特化しているが、さすがに魔防がない状態だとタダじゃすまねーぞ。俺じゃなかったらその可愛い顔は吹っ飛んでるぜ」


 ぽかんとしているアイノにかまわず、クドクドと説教垂れるライズ。


「おいッ、無視してんじゃねーぞオッサン!」

「あぁん!?」


 やからのようにメンチを切るライズ。

 勢いにビビる男子生徒だが、ライズの右腕を見るとニタリと嗤った。


「んだよ、フォルティかよ。同族が弄られて我慢出来なくなったのか?」


 優位は自分にあると安心して囲んでくる生徒たち。だがライズは意にも介さない。


「こいつの落とし前、どうつけてくれるんだ? せめて治療費はたんまり貰わないとな」


 ライズに殴られた女子を指さして言う生徒。ライズは面倒そうに頭を掻いた。


「あ? てめーらで処理しろよ。ゲロくせぇ奴の介抱なんてしたくねーし、同じ腐った連中がどうにかしな」

「……死んだぞ、てめぇ。《土球マッドボール》ッ!」


 ライズの足を狙った一撃。形は拳大の泥団子だが、当たれば複雑骨折は確定だろう。


「よっと」


 しかし、ライズは脚を上げて容易く躱した。そして後ろにいるアイノに当たらないよう、踏み潰す。瞬間、小さいながら地震が起き、生徒たちは体勢を崩す。その隙にライズは他の生徒の背後へとまわった。


「うわっ、いつの間に――れっぶぁ……ッ」

「だから人に向けて烈風なんて撃つな」


 腹パン一発をお見舞いし、次々と虐めていた生徒を沈ませていく。そして最後に《土球》を撃った生徒だけが立っていた。


 指をコキッと鳴らすライズに、男子生徒は一歩また一歩と震えながら後退していく。


「な、なんだよ、おまえ……来るな、来るなぁッ――《土壁マッドウォール》ッ!」


 恐怖で足が縺れ、尻餅をついた男子は地面を隆起させ、壁を造り出した。強力な魔闘術さえ防げる土壁に対しライズは拳をくっつけた。


 そして、「ふんっ」という軽い声と同時に、くっぽり拳一つ分の穴が綺麗に空いた。


「後片付け、ヨロシクね」


 空いた穴から覗いてニッコリいうと、男子は青い顔で何度も頷いた。


 ***



 生徒たちが一目散に退却し、今度こそ帰ろうとするライズだが、引き止める者がいた。


「待ってください!」

「ん? なんだ、お前まだいたのか」


 虐められていた少女、アイノが指をもじもじと動かしている。そして、百八十一センチあるライズよりも少しだけ小さい彼女の体がビシッと折り曲げられた。


「助けてくれてありがとうございますっ」

「別に。さっきも言ったけど、魔防も無いとこで無茶すんなよ」


 ぶんぶんと何度も頭を振るアイノ。なんだか大型犬みたいな印象を与える少女に苦笑し、ライズは「それじゃ」と手を振って背を向けた。


 だがアイノはそれで帰る素振りを見せず、並行して歩いて来る。


「ライズ=フォールズさんですよね!?」

「……人違いだよ」


 速度を上げても着いてくる。


「いいえっ。先程の三戦の構えといい、場を揺らした震脚といい、最後の土壁を破った鮮やかな拳の突き……ライズさんに違いありません!」

「鮮やかって……ただ適当に殴ってただけだよ」


 まるでヒーローを前にしたかのような目の輝きを見せるアイノ。興奮のままに、彼女はシュッシュッとシャドーボクシングをしながら続ける。


「まさか本物の魔王ライズ=フォールズさんに会えるとは光栄ですッ! 実は私――」

「人違いって言ってんだろ。しつけーな」


 あまり他人に過去の事を触れられたくないライズは、ついイラッとして睨んでしまう。しかしすぐにバツが悪そうに目線を逸らした。


(やっちまった。こんな子供相手に八つ当たりなんて……ん?)


 強く言い過ぎたせいで怖がらせてしまった。そう考え謝ろうとしたが、アイノは変わらず……いや、更に表情を明るくしていた。


「いいえ。いいえいいえ。私がライズさんを見間違えるはずありません。だってずっと見てきたんですから……ずっと、ずっとずっとずっと、ね」


 幼子のようにキラキラとした声音なのに、なぜか瞳のハイライトが消えているので不気味さが際立っている。


「ひぇ」と一歩下がるライズ。アイノはすかさず一歩追ってくる。


「お願いがあります」

「な、なんだよ……」


 鼻息を荒くして近づいてくる彼女に怖々とした感情がやってくる。そしてアイノはライズの手を取り、


「鍛えてほしいんです!」

「……あぁ、そう」


 ヤンな雰囲気だったため、そういうコトをお願いされるのかと構えていたライズ。ホッと胸をなで下ろす。


「あぁ、ってことは受け入れてくれるんですね!?」

「嫌だけど」

「そんなぁ」


(俺には人にモノを教えるなんて無理だし。それこそユウに……ってそうだよ!)


 外出(※追い出された)の理由を思い出したライズは、まだ手を握ったままの少女に提案した。


「実は俺、魔闘塾・コボシってとこに居てな」

「魔闘塾にですか!? あれ以来音沙汰が無いので心配していましたが、人に魔闘術を教えていたんですね。うんうん、最強のライズさんにピッタリな職業だと思いますよ!」


 純粋無垢な視線から逃げるライズ。


「……魔闘塾、興味あるか?」

「あります、いきます、入塾させてください!」

「よし、決まりだな。着いてこい」

「はいっ」


 ほんの少しの罪悪感と、ユウから託された仕事を完遂した達成感を胸に抱いたライズは、少女を連れて帰るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る