第45話 宣言
漫画原稿のペン入れが終わったのは黄瀬のバイト先に行った三日後、金曜の明け方だった。
緑青に根をつめすぎないように、と言われていたがついつい筆が乗ってしまい気がついたら鳥の鳴き声が聞こえ、外が明るくなっていたというわけだ。
手が墨で所々汚れている。俺は部屋を出て、洗面所へと向かった。達成感からか、寝ていないのに気分は清々しかった。
★
気分は爽快でもやはり徹夜続きで体は重いし眠い。講習中は何度も船を漕いでしまった。準備の方は手を動かす分、いくらかマシだ。
俺以外のクラスメイトは初めの頃のぐだぐだが嘘のように、活気があり作業もスムーズそうだった。渡辺と松来もなんだか見ていて砂を吐いてしまいそうなレベルで仲が良い。一応まだ付き合ってないんだよな? と疑ってしまうくらいだ。
俺も、松来を見習って勇気をださないといけない。思っているだけじゃなく、行動しないと願いは叶わない。言わなきゃ、伝わらないんだと気付かされた。
緑青に、恋愛対象として少しでも意識してもらえたらいい。本音を言えば両思いになりたいけど、そこまで望むのは早計だし無謀だろう。
準備が終わった後、国語資料準備室の鍵を白井のところまで取りに行った。今朝、よかったら少し話がしたい、と緑青に連絡すると、鍵を借りて待っていて欲しいと返信が来たのだ。緑青の指定した時間まで後三十分ほどだ。
白井は俺を見ると、にこにこの笑顔で手を振った。俺はそれに会釈で返す。
「あの、鍵を借りに来ました。あと、少しだけお話があるんですけど」
実は、俺は緑青だけではなく白井とも話がしたかった。三十分もあれば充分。
「うんいいよ」
白井は快く承諾し、すっと立ち上がった。一緒に職員室を出て国語資料準備室へと向かう。場所はどこでもよかったが、白井がそこ「指定したのだ。
とくにお互い話すことがなくて、無言で廊下を渡り階段を上った。国語資料準備室の鍵は俺が開けた。
「閉め切ってる部屋は空気がこもってて暑いね」
「……そうですね」
白井がエアコンのスイッチを入れた。少し埃っぽい匂いがする。
「それで黒石くん。話って、何かな?」
「……聞いて欲しいことがあって」
俺は胸に手を当てて深呼吸をしてから、白井を見つめた。エアコンからの風が微かに俺の前髪を揺らす。
「俺、緑青のことが好きなんです」
白井の目が丸くなってそれから、やっぱりね、というように細められた。
「黒石くん。それ、言う相手を間違えてないかな?」
「本人には……いずれちゃんと伝えます。でも、その前に宣言しておきたかったんです。それに、前から気づいてましたよね? 俺の気持ち」
白井があの日言いかけてやめた言葉。君は……の続き。それは、藍ちゃんのことが好きなの? だったに違いないのだ。
白井はまあね、と眉を八の字にして笑った。
「僕はね、二人がお似合いだと心底思うよ」
「……そんなことないです。本当に、そんなことは全く」
自分自身に言い聞かせるように言った。でもそれは諦めるためではなく、自分を奮い立たせるための否定だった。
「でも! だからこそ、頑張るんです。頑張るって、決めたんです! 緑青に振り向いてもらえるような人間になるって。でも……自分の心の中だけじゃ、いまいち決意が固まらなくて、それで誰かに聞いて欲しくなったんです。聞いてもらうなら、白井先生が良かったんです。一方的に、すみません」
「……応援は、しないよ?」
白井が真剣な面持ちで言った。俺は静かに頷く。
「でも、見守らせて欲しいな。どういう結果であれ、ね。人は誰かを好きになって傷ついたり癒されたり、ぶつかりあって、磨かれていく。そうやって人は成長していくものだと僕は思ってるから」
「……はい」
白井の言葉が胸に沁みる。俺は白井のことも好きだ。嫌いになれない、と思った。黄瀬の時みたいに言葉にすることはできないけれど。
「藍ちゃんに彼氏ができるかもしれないと思うと、少し寂しいけどね」
「なっ! き、気が早すぎです。それに振られるかもしれないし……」
「一回振られたくらいで、諦められるのかい?」
「それは……。多分できない、です」
「じゃあ何度も当たって砕ければいいよ。トライアンドエラーだよ」
「ちょっ……砕けるのは嫌ですよ」
白井と俺は見つめあって、お互いに吹き出した。その瞬間は、まるで友達みたいに感じた。
言葉にするって不思議だ。言霊って本当にあるような気がしてくる。口に出しただけなのにが力ふつふつと内側から湧きあがってくる、そんな感じがする。
「黒石くんっ。お待たせ。ちょっと早く切り上げられたわ」
扉が開き、緑青が顔を出した。
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