第44話 友愛

「あの時から、緑青さんとの漫画作りが始まったんだよね? 黒石くん、どんどん変わっていったからびっくりしちゃった」


 ふふっ、と黄瀬が手で口を隠しながら笑った。確かに俺は変わったと思う。ただそれが黄瀬の目にどう映ったのか気になった。


「変わったって、どんな風に……?」


 そう尋ねると黄瀬はうーんとね、と呟きながら斜め上に目線を向けた。右手の人差し指だけを口元にあてている。次の瞬間俺の方へと向き直った。


「放課後バタバタしてるなーって思ってたら、なんか憂鬱そうで元気なかったり、打って変わって楽しそうだったり。黒石くんってあんまり表情が変わらない人だったのに、なんか表情コロコロ変わって……。特に、私が休みの日に緑青さんと二人でいるとこ見ちゃったって言った時、すごい動揺してて申し訳ないけど面白かった。ごめんね。でも、本当……前と全然……違うんだもん」

「あの時は本当に、心臓が止まるかと思ったよ……」


 黄瀬は優しい眼差しで俺を見つめた。心地よい風が肌を撫ぜる。なんだか微睡んでしまいそうだ。


「緑青さんはね、私の憧れの人なの。あんな美人さんには、なろうと思っても無理だけど……。立ち振る舞いとか、堂々としててかっこいいところとか、いいなぁってずっと思ってた。あんなふうになれたらって……でも、周りを気にして、いい子ちゃんを演じてるような私には真似しようにも、ちょっとね……難しいよね」

「緑青にだって、弱いところはあるよ」


 つい、口を挟んでしまった。黄瀬の瞳の光が揺らぐ。


「え……?」

「完璧な人間なんて、いないよ。いや、もしかしたら世界は広いから非の打ち所がない完璧超人もいるかもしれないけど。少なくとも緑青は、完璧じゃない……と俺は思う。人並みに悩んだり、不安になったりする。それでも堂々と凛々しく見えるのは、きっと積み重ねてきた努力の賜物なんだと思う」


 顔が熱っているのを感じる。緑青のことになると俺はつい熱くなってしまうみたいだ。


「……緑青さんのこと、理解してるんだね」


 黄瀬の言葉に、さらに体温が上昇した。照れる。こんなの、緑青が好きってバレバレだ。でも黄瀬になら、バレてもいいやと思った。


「そんな……まだまだ知らないことばっかりだよ。でも、これから知っていけたら、と思ってる」

「……いいなぁ」


 心底羨ましい、とでもいうような声音。なぜ黄瀬がそこまで緑青に憧れているのか疑問だった。黄瀬は可愛くて優しくて、謙虚で気づかいができて、十分すぎるほど素敵なのに。


「黄瀬は緑青の真似なんかしなくても、十分魅力的だし良いところ沢山持ってるじゃないか」

「な、なに急に」


 口からこぼれた本音に、黄瀬の頰が夕焼けみたいに色づいた。お世辞じゃない、と付け加えるとさらに赤くなった。照れているみたいだ。


「いい子ちゃんを演じてるって言ったけど、もうそれ素だろ? 松来と渡辺のこと、本気で心配して自分のことみたいに喜んでたじゃん」

「だ、だって友達だし! あ、当たり前でしょ」

「前は必要に迫られて人付き合いしてるって言ってたのにな」


 俺がそう言うと黄瀬は顔を手で覆って恥ずかしい、と小さい声でつぶやいた。俺だけじゃない。黄瀬だって変わったと思う。いや、正しくはんだ。知らなかった一面をいくつも。


「なんで覚えてるのぉ……。だって、有里華私のこと本気で心配してくれてて、私今まですごく失礼なことしてたな……って反省したの。ちゃんと上辺だけじゃない、本当の私で向き合うことにしたの。いずれバイトのことも言うつもり」

「よかったな」

「……うん。ねぇ黒石くん」

「なんだ?」


 バスが目の前に止まった。扉が開き、何人かが降りて、また走り出した。エンジン音が遠ざかっていく。


「私ね、黒石くんのこと……好き、だよ」


 黄瀬は俺の方を見ず、前を向いてつぶやくようにそう告げた。俺も同じように前を向いたまま口を開く。


「俺も、黄瀬のこと好きだよ」


 本心だった。


 好き、なんて照れくさくて中々口に出せない言葉だけど、黄瀬になら滑り落ちるように簡単に言うことができた。


「友達になれて、本当によかった。ありがとな」


 この気持ちを、きっと友愛というのだろう。友達として、理解者として信頼している。もっと仲良くなれたらと思う。


「……うん、私も。友達……だもんね」


 少しの沈黙の後、黄瀬は嬉しい言葉を返してくれた。


 俺と黄瀬はオレンジ色に染まる町並みを、ベンチに座ってしばらく眺めた。そして他愛もない会話をしながら駅まで歩き別れた。

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