第42話 松来との約束

「黒石、おはよ」


 靴箱で声をかけてきたのは松来だった。


 げっ、と思わず心の中で呟く。黄瀬がいないのに俺に単独で挨拶なんて、どういう風の吹き回しだろう。


 松来は俺に腹を立てていたはず。なのにどうして。まぁ取り敢えず、挨拶は返すべきだろう。


「お、おはようございます……」

「なんで敬語?」

「いや……」


 眉間に皺を寄せてはいるものの、声から怒気は感じられない。どうやらもう怒ってはいないらしい。松来は靴を脱ぎ、上履きに履き替えながら俺をちらりと見た。


「菜乃花のことだけどさぁ、ありがと」


 お礼を言われることなんて何もしていない。俺は首を傾げた。


「ほら、あんた言ったじゃん。覚えてないの? 直接言ったほうがいいって」

「あー……」


 そういえば。ゴミを捨てに言った時に怒らせてしまった一言だ。


「……菜乃花がなんか元気なくて、だから私思い切って言ったの! なんでも話して欲しいって、うちら友達じゃんって。そしたらさぁ、菜乃花泣いちゃって……あ、嬉し涙だよ。てか、この話内緒だからね。言ったら許さないから」


 キッと睨まれる。相変わらず俺に対して当たりがきつい。


 でも、そうか。良かったな、と素直に思った。


 黄瀬も嬉しかったんだろう。友達だ、って明言してもらえて。俺も黄瀬に言ってもらえてすごく嬉しかったから、気持ちはよくわかる。


「前よりずーっと仲良くなれた感じなの! だからね……一応お礼、言っとこうかなーと思って」

「ああ、良かったな」


 うん! と屈託なく笑う松来に、俺も自然と頰が緩む。でも彼女の顔はすぐにいつもの威圧的な表情に戻ってしまった。


「でもだからって、あんたなんかに菜乃花はあげないからね」

「……はぁ?」

「何その反応。好きなんでしょ? 菜乃花のこと」

「ち、ちげーよ!」


 松来は大きな勘違いをしている。俺と黄瀬は友達だ。慌てて否定した俺を見て、松来は眉をしかめた。


「照れ隠し?」

「違う!」

「えー、怪しい……」

「怪しくねぇよ」


 恋愛脳すぎるだろ……。こういう時は話を逸らすのが吉だ。


「それよか、松来の方はどうなんだよ。渡辺と」

「なっ! 馬鹿! 誰かに聞かれたらどうすんのよ!」


 松来が俺の手首をガッと掴むと走り出した。俺はよろけそうになりながら、引っ張られるまま後をついていく。人気のない体育館近くまで来てしまった。


「お、おい。何処まで行くんだよ?」

「誰のせいだと思ってんのよっ」

「……」

「……ここなら大丈夫ね」


 やっと松来の足が止まった。そしてくるりと俺の方を振り返る。相変わらず眉間に皺を寄せているが、いつもと違って頬を赤く染め、恥じらっているのかもじもじと指を絡ませている。


 この雰囲気は、もしかして……。


「あの……さ。私、告ることにしたんだよね……」

「そうか」


 やっぱり、思ったとおりだ。


「興味なさそうな反応うざっ……まぁいいや。それで、今日文化祭の準備終わったら渡辺をあんたが私のところまで連れて来てよ」

「はぁ? なんで俺が」

「協力してくれる約束じゃん!」

「……」


  それを言われると弱い。確かに嫌々だったけど約束はした。


「いーじゃん。連れて来るだけで良いんだから楽でしょ?」

「まぁ……うん。それくらいなら」

「それでさぁ、何処が良いと思う?」

「え? 何処でも良いだろ」

「まじで言ってんの? 超重要じゃん」


 もー、と松来は頬を膨らませた。そういうものなのか。とりあえず思いつく場所を上げることにする。


「じゃあ、そうだな。屋上とか?」

「鍵かかってんの、あんたも知ってるでしょ」

「教室?」

「誰か来るかもしれないじゃん。あんま人いないとこがいいの」

「中庭は?」

「中庭かぁ……まぁ悪くないかも。よし決定! んじゃ、よろしくね」


 俺の返事も聞かずに、パタパタと松来は去っていった。やれやれだ。


「黒石くん」


 俺を呼ぶ綺麗な声が背後から聞こえた。


 慌てて振り返ると、長く艶やかな髪を風に靡かせて緑青が立っていた。澄んだ瞳と目があう。驚きと嬉しいのとで心臓が高鳴った。


「い、いつからいたんだ?」


 こんな所で会えるなんてラッキーだ。松来にちょっとだけ感謝する。


「ついさっきよ。でも、なんだかお取り込み中みたいだったから声をかけないでいたの」

「そうか」

「黒石くんって……」

「なんだ?」

「いえ、別に。なんでもないわ」


 緑青は左手で髪をかきあげた。その動作がなんとも優美で見惚れてしまう。


「ねぇ、そろそろ教室に行かないとまずいのではないかしら」

「あっ」


 折角早めに家を出たのに、遅刻なんて悲しすぎる。慌てて駆け出そうとする俺を見て緑青は校則違反よ、なんて言っているが人気もないのだから少しぐらい破ったって大丈夫だろう。


 でも彼女にルールを守れない奴だと思われたくなくて、早歩きに変えた。走らず大股で歩く俺を見て、緑青はふふっと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る