第41話 デートの約束

「どこか、ってたとえば?」

「え、えーっと……海……とか?」


 日焼けをしていたクラスメイトを思い出して、咄嗟に思いついたのが海だった。


「……私あまり人混みは得意ではないのだけど」

「……ああ、俺も。って、いいのか!?」


 誘っておいてなんだが、まさか乗り気になってくれるなんて思っても見なかった。緑青は目線を逸らしながら右手で左腕をゆっくりさすった。


「べ、別に……暇な時くらいなら、ちょっとくらい付き合ってあげてもいいかなと思っただけよ。……それに、どこでも行くわけじゃないわよ。場所にもよるわ」

「そうか」


 嬉しくてにやけそうになる。


「緑青の行きたいところはどうだ? なんでもいい」

「え? そうね……夏祭り、とかどうかしら?」

「それこそ人混みがすごいんじゃないか?」


 言ってからしまった、と思った。


 折角緑青の方から提案してくれたのに却下するような発言。阿保だ。馬鹿すぎる。


「確かに、そうよね……。でも」

「何かやりたいことでもあるのか?」


 金魚すくいとか射的、それともりんご飴やわたあめといった屋台の食べ物に興味があるのだろうか。


 緑青は頬を赤く染め、もじもじと両手の指を絡ませては離してを繰り返している。言いにくいことなのか。


「そ、その……花火が、見たいの」


 小さくか細い声でそう言った。


 花火は夏の風物詩の一つだ。綺麗だし風情がある。儚くも美しい空の芸術。なるほどと思った。


「……近くで見たいなと思って。でも、いいわ。なんでもない」

「いや、待ってくれ。ちょっと調べてみる」


 俺はスマホでこの近くでまだ開催していない夏祭りはないか調べる。お盆を過ぎてからもいくつか花火大会が実施されるところがある。最寄駅から三駅のところが、一番大規模なものだった。


「これなんかどうだ?」


 その花火大会のホームページを緑青に見せる。大きな目がきらきらと、まるでおもちゃを与えられた子供のように輝いた。


 そんなに花火が見たいのか。可愛いな。


「……いいわね。海の近くだし、夜ならそんなに騒がしくなさそうね」


 行きたいな、とこぼれた彼女の本音を俺は聞き逃さなかった。


「……行こう。その、俺と……、一緒に」


 俺の拙い誘いに緑青はこくりと頷いた。その花が綻ぶような笑みを胸に刻みつける。


 もっと格好良くスマートに誘えたらいいのにと思う。でもいきなり人は変わらないし、精一杯だった。


「楽しみ」


 嬉しそうに目を細める緑青が可愛い。


 二人で出かける約束をこぎつけた俺は心の中でガッツポーズをしたが、表面上はなるべく平静を装って、集合時間や場所を決めた。


 もしかすると浴衣姿が見られるかもしれない。


 そう思うと顔がだらしなくにやけそうになる。なんとか抑えて、帰ろうと思った。


 緑青が紙袋を机の上に置く前までは。


 それは見覚えのあるものだった。以前、喫茶店用の衣装の布が入ってたやつだ。そしてやはり、今回もぎっしりと布が詰め込まれている。


 嫌な予感がした。


「なぁ、緑青。それ……流石に多過ぎないか?」

「え?」

「一人当たりの割り当てって、そんなに多いのか?」

「……」

「もしかして、他の誰かの分も作ってるんじゃないのか?」


 緑青の顔に動揺の色が浮かんだ。やっぱり……。


「ち、違うわ!」


 慌てるような、必死さを含んだ声で否定された。


「違うって……」

「私が、自分からやると言ったの」


 真剣な眼差しが嘘ではないことを物語っていた。


 押し付けられたのかと思ったが、確かに緑青は嫌なら嫌とはっきり断れるはずだ。それに彼女に押し付けて楽をしようとする考えの人間はいないだろう。怖いもの知らずすぎる。


 だから彼女のいう通りなのだろう。誤解してしまった。


「衣装を作る係のうち、二人が裁縫が苦手らしくて……。すごく辛そうに作業をしていたから思わず言ってしまったの」


 私が代わりに縫うって、と緑青は俯きながら言った。


「良くないことだって、割り振られた仕事はちゃんと本人がやるべきだって、わかっているけれど、見ていられなくて……」


 無理をしている人を放っては置けない、助けたくなる。それが彼女の性質だ。


 俺のことを気にかけてくれたのだって、それが理由だ。彼女は優しい。でも、その優しさが自分の首を絞めているのだとしたら……。


「で、でもね、もうすぐ完成するの。だから大丈夫」

「優しいな。緑青は」

「……違うわ。自己満足よ」


 小さい声なのに、強い否定の言葉だった。


「助けていい気になっているだけ。私、偽善者なの」

「……別にいいじゃないか。偽善者だって」


 振り絞るような声が出た。そんな風に、緑青が自分のことを悪く言うのが嫌だった。否定したい一心で、俺は続けた。


「偽善でも、その二人は喜んだんだろう? ホッとしたんだろう? だったら何もしないより、ずっといいと思う。役に立ったって、もっと自分を誇っていいと思う!」


 俺の言葉に、緑青は目を丸くした後、俯いて肩を震わせた。ふふっ、と笑い声が聞こえた。そしてもう一度顔を上げ、俺の目を見て、


「……そうね。そう考えることも、ありね」


 と穏やかな笑みを浮かべた。


 緑青を励ますことができた。それだけで、こんなにも心が満たされるなんて。


「……俺、まだここにいてもいいか? 邪魔なら帰るけど……俺も裁縫は苦手で、手伝えることほとんどないと思うけど、でも簡単なことなら出来ると思うし」

「邪魔なんて……いてもいいわよ。ありがとう。心配してくれて」


 面と向かってお礼を言われるとこそばゆい。下心があるから余計にだ。それでもまだここにいていい許可をもらえ、ホッとする。


 今はもう、恋人関係ではない。


 それなのに、二人で出かける約束、いわばデートの約束をすることができた。頑張ったと自分を褒めてやりたい。


 だからって浮かれて漫画を疎かにするわけにはいかない。ペン入れをしたら一度緑青に見てもらうつもりだ。でも、もう少しだけ。


 ここにいたい。手伝いたい。


 俺の申し出を受けて、緑青は俺に布の裁断を頼んだ。


 チャコペンで書かれた裁断線になぞって、裁縫鋏で布を切る。敷かれたレールにそって正しい道を進むように。


 ちょっとペン入れに似ていると思った。

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