第40話 スタート地点

 違う。


 はじめは緑青のことなんて好きじゃなかった。告白されても嬉しいより迷惑だという気持ちが強かった。だから、違う。


 でも俺は他人の評価を人一倍気にする人間だ。無意識のうちに、学校中の誰もが憧れている存在である緑青に好意を抱いていたんじゃないのか。


 わからない……。


 考えるのはよそう。だって、たとえそうだとしても、今俺が緑青を好きという気持ちに嘘はないのだから。


 ただ会いたくて、笑ってくれると嬉しくて、できることならずっとそばに居たいと願ってしまうこの気持ちが恋じゃないわけがない。





 後半の夏期講習及び文化祭の準備が始まるまでの休暇を俺は忙しく過ごした。課題も沢山あったし、両親の実家に顔を出してお墓参りもした。


 そして、がむしゃらに漫画を描いた。ネームの内容を別の紙に丁寧に写すだけ。深く考えなくてもいいから楽だった。


 そして次はペン入れ。これも頭をあまり使わずに、線をなぞるだけで良かった。思い通りに線が引けない苛だちもあったが、みるみると原稿用紙が賑やかになっていくのは嬉しかったし没頭できた。


 本当はこの休みの間に黄瀬のバイト先に行きたいと思っていたが、結局行くことはできなかった。


 そして始まった、後半の夏期講習。


 久しぶりに会ったクラスメイト達はこんがりと日焼けしているものが多かった。おそらく海やプールにでも行ったか、部活による日焼けだろう。俺は相変わらず白いままだ。


 講習後の文化祭準備で、俺は迷路の壁に色を塗る仕事を任された。黙々と刷毛で絵の具を塗りたくっていたら、渡辺が片付けるように指示を出した。集中していると時間が経つのが早い。


 ぼんやりと、渡辺の顔を見る。精悍な顔立ちで、リーダーシップのある頼れる好青年。


 彼は緑青に告白した。


 すごく勇気がいったと思う。俺にはとてもできない。渡辺みたいな快活な運動神経の良いイケメンでも振られてしまうのだ。俺に望みなんてない。


 そう、言い聞かせようとすると、白井の顔が頭にちらついた。俺はそれを振り払うかのように、教室を出た。


 国語資料準備室に向かうか、すごく悩んだ。


 連絡をしていないから緑青はいないだろう。白井にあったら気まずい。だからきっと、行くべきじゃない。


 それなのに、足はゆっくりと別校舎へと向かっていく。


 俺はすごく矛盾している。


 会いたいのに、会いたくない。うまく話ができる気がしない。二人きりなんてきっと場がもたない。そう思うのに、気がついたら国語資料準備室の前にいた。


 灯りがついている。白井かもしれない。それか他の国語教師かもしれない。それでも俺は扉を開けた。


「えっ、黒石くん?」


 透き通った懐かしいとさえ感じる声に、胸が締め付けられる。緑青は俺を見て、久しぶりねと微笑んだ。


 その顔を見た瞬間、どうでも良くなってしまった。


 他人の評判から好きになったとしても、そんなこと関係ない。俺はどうしようもなく緑青のことが好きで、それは誰かに依存した気持ちじゃないと、そう思えたから。


「もう……来るなら前もって連絡してくれる約束じゃなかったかしら?」


 悪戯っぽく口角を上げて頬杖をつく彼女は息を呑むほど綺麗で、太陽のように眩しい。俺は直視していられなくなり目を背けながら、悪い、とだけ呟いた。


「折角だから進捗でも聞こうかしらね。とりあえず座ったら?」

「そ、そうだな」


 促されるまま、隣の席に腰をかける。


「どう? 順調?」

「……そ、そうだな、今ペン入れ……清書してる」

「もう清書しているの? 早いのね。凄いじゃない」

「ああ」

「頑張っているのね」


 手を合わせて嬉しそうに俺を見つめる緑青。


 駄目だ、こんな表情をされたら……


 期待、してしまう。


 その瞬間、俺はあの白井の言葉に感じた違和感──いや、不快感の正体がわかった。


 俺は、期待してしまうことが怖かったんだ。


 緑青を変えたのは俺だとか、俺と出会って良かったとか、そんな風に言われてしまったら嫌でも期待してしまう。


 白井がそう言うなら、もしかして、そうなのかも……って。


 俺には緑青を動かす力があって、だからもしかしたら、


 緑青にとって、特別な存在になれるかもしれないって。


 それがすごく怖かった。買いかぶりすぎだから。俺にはそんな力はないのに、緑青が俺に興味を持ったのだって、ただの偶然だったのに。


 わかっているくせに、緑青のことが好きな俺は都合の良い解釈をしようとしている。


 それが堪らなく不安なんだ。


「どうしたの? ずっと黙って……なにか考え事?」


 顔を上げて心配をしてくれている緑青を見た。


 今こうして会話できているのはただの偶然だ。偶々、俺が緑青の親父さんに似ていただけ。


 だから、俺はやっとスタート地点に立ったのだ。


 偶然、こうやって話す機会を与えられた。それを必然にしたい。だからここからは偶然に頼るのではなく、俺自身が頑張らないといけない。


 振り向いて欲しい。俺を、必要として欲しい。


「なぁ、緑青」

「何かしら」

「暇な日、ないか?」

「え? ない事も……ないけれど」

「どこか、出かけないか」


 自分で言って、なんて大それたことを口走っているのかと突っ込みたくなる。でも、やっとなんだ。


 やっと、俺は素直に、心の底から緑青に俺を好きになってほしいと思えた。


 だから、あとはもう攻めるのみ。当たって砕けろだ。

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