第36話 自覚してしまった
さっそく原稿用紙を一枚机の上に置き、ペン軸にペン先を挿しこみ、墨汁をつけて線を引いてみる。
力を入れると太い線が、反対に力を抜くと細い線が引ける。その強弱が楽しくて、原稿用紙にぐるぐると円を螺旋状に描いたり、緩急をつけて直線を引いたりした。
だんだんコツが掴めてきた気がする。俺は一息ついてからペン先をティッシュで拭い、ペン立てに立てた。
さてペン練習は一先ずおしまいだ。
次は下書きだ。B4の原稿用紙にネームを見ながらコマ割りをしてから人物や背景の絵を描く。
いざ描いてみると原稿用紙が大きいせいでバランスが取りにくい。こういう時、デジタル作画だったら楽なのだろうかと思ってしまう。アナログにしたのは自分の意思なので文句を言っても仕方がない。
とりあえずシャープペンを動かすことに集中し、十枚描くことができた。
まだ下書きの状態だが達成感があった。これ写真に撮って緑青に送ってみようかな。そう思い、スマホで写真を撮った。
緑青のトーク画面を開いたところで指が止まる。これ、送ってしまってもいいのだろうか。
もちろん内容は完成したらのお楽しみなのでわからないように撮ってある。だけど。
まだまだ完成には程遠い。逐一報告していたら緑青は煩わしく思うんじゃないだろうか。それにもう遅い。夜中に連絡なんて嫌がるかも知れない。いや、緑青はそんな風に思ったりしない。
ネガティブな気持ちになるのは、俺が緑青に嫌われたくないからだ。
ううん、素直に言おう。
好かれたいからだ。
やっぱり完成してから見せた方が格好が良いだろう、と思い取り消しボタンを押す。
その瞬間、緑青からメッセージが送られてきた。
『進捗はどう?』
続けて、頑張って、というセリフのついた猫のようなハムスターのようなキャラクターのスタンプが送られてきた。今すごく人気のもちふわとか言うやつだ。実は俺も同じキャラクターのスタンプをもっている。キャンペーンで無料でダウンロードできたやつだけど。
「あっ……」
そして気づく。今この瞬間、相手のスタンプの横に既読と表示されたことを。
俺が緑青のトーク画面をメッセージが送られる前から開いていたことが、バレてしまった。
しまった、と思っても時すでに遅し。
慌てる俺をよそに緑青は、みてる! というセリフのついた同じキャラクターのスタンプを送ってきた。
居た堪れない気持ちをぐっと堪えて、俺は指を動かす。
『今ちょうど連絡しようと思ってたところだった』
『下書きが十枚終わった』
『もちふわ、好きなのか?』
三つのメッセージを連投して、スマホを机に置いた。ストーカーみたいって思われたらどうしようと頭を抱える。好かれたいのに、気持ち悪がられたら本末転倒だ。
恐る恐る、スマホの画面を見る。そこには新しいメッセージが。
『好き』
そのたった二文字が目に入った瞬間、心臓がどくりと一際大きく跳ねた。全身が一瞬にして熱を帯び、あつくなる。
そして、思い知った。
俺は、緑青藍が好きだと。
緑青藍から好きと言われたら、どんなに幸せだろう、と。
わかっている。
この好きは、俺のことではない。もちふわの、キャラクターことだ。
でも、自覚するには十分すぎる衝撃だった。
『雑貨屋さんでぬいぐるみを見かけて、一目惚れだったの。とっても可愛くて。スタンプもあると知ってつい最近初めて買ったのよ』
にこっと笑ったもちふわスタンプも一緒に送られてきた。
可愛い。
もちふわも可愛いが、俺には緑青の方がもっとずっと可愛くみえる。
キャラクターにハマっているなんて、全然知らなかった。少し子供っぽいところが、普段のクールで大人びた姿とのギャップでこう……ぐっときてしまう。
知れば知るほど、好きになっていく。
そんな緑青の魅力を、知っているのは俺だけで良い、と思う。卑しい独占欲だ。
『下書き頑張っててすごいわ。でも、根を詰めすぎないようにしてね』
『役に立てるかわからないけれど、相談に乗るくらいならできるから』
二つのメッセージと、連絡くださいというセリフのもちふわスタンプが送られてきた。
俺は、ありがとうというセリフのもちふわのスタンプを送る。既読、とついたのを見て、俺は胸がいっぱいになった。
期待に応えたい。緑青に、俺のことを好きになってもらいたい。そして、漫画が完成したその後も、こんなふうにメッセージを送り合いたい。これで終わりにしたくない。
どうしようもないくらい、自覚してしまった。
緑青が好きだ。
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