第35話 びっくりさせたい
「おはよう。黒石くん!」
「おはよう。相変わらず黄瀬は早いな」
いつもより早めに登校した俺は下駄箱で黄瀬とばったり遭遇し、一緒に教室まで行くことにした。黄瀬は廊下を歩きながら手で顔をぱたぱた仰いでいる。
「あっついね〜。学校来るだけでもう汗びっしょりだよ」
「そうだな。年々暑くなっている気がするよな」
「ねー。あ、あのさ……黒石くんさぁ、またパン屋さん来ない? 紅葉さんが次は昭仁さんを紹介したいって言ってて」
どうかな? と上目遣いで聞かれた。断る理由なんてない。
「あぁ、近々またパンを買いに行きたいと思っていたところなんだ。母さんがすごく気に入ってさ、他のパンも買ってきて欲しいってうるさくて」
「よかったぁ! じゃあ、また一緒に行こう」
黄瀬はにっこりと嬉しそうに笑った。つられて俺も笑顔になる。
「ああ、楽しみにしてる」
そう言った俺の顔を、黄瀬はじーっと見つめてきた。何か顔についてるのだろうか。
「黒石くん、変わったよねぇ」
「え?」
「なんていうか、こう……ニコッてするようになった」
「にこ……?」
困惑する俺に対し、黄瀬はにこにこ笑っている。
「笑顔がね、自然になったの。前はどこか壁があるっていうか、距離があるっていうか……ちょっとよそよそしい感じだった。って、私が言うの可笑しいよね」
黄瀬はあはは、と小さく笑った。その横顔を見ながら俺は今までのことを思い返す。
確かに、俺は変わった。
「きっと、緑青と黄瀬のおかげだよ」
緑青と出会い、黄瀬と友達になって俺は良い方へ変わることができた。
「や、やだ黒石くん惚気?」
黄瀬がきゃー、と顔を赤くした。俺はありがとうと言おうとした口が塞がらない。
「ちっ、違う!」
慌てて否定する。
そういえば、黄瀬は誤解したままだった。俺と緑青が付き合っていると。
俺は緑青と別れたこと、そもそも二人の間に恋愛感情はなかったことを伝えた。緑青は俺が描く漫画に興味があったのだとも。
黄瀬はえーっ! と目を丸くして驚き、それからふむふむと頷き、なるほどと呟いた。どうやら納得したらしい。勿論、緑青の秘密──俺に声をかけた経緯については触れずに。
「そうだったんだね。でも、やっぱりすごいよ。漫画描けるなんて。完成したら雑誌に応募とかするんでしょ? それともネットにあげるの?」
雑誌に応募することもネットに投稿することも考えてなかった。完成後どうするか、ちゃんと決めておいた方がいいと気づく。
一度本格的に描いてみるという目標で始まった漫画制作だが、完成品を緑青と黄瀬に見せて終わりでは、少し寂しい気がする。一度、自分の実力をみてもらうのもいいかもしれない。
ネットは不特定多数の人に見てもらえる利点があるがその分批判もされやすいだろう。俺はあまりメンタルが強い方ではない。その点、出版社に送るだけならたとえ駄目でもダメージは少ない気がする。
「そうだな。出してみる」
「うんうん! いい結果が出るといいね」
応援してくれる人がいると、こんなにも前向きになれるのか、と俺は改めて黄瀬に感謝した。
★
夏期講習はお盆の期間を挟んで前半と後半で分かれている。お盆の間は休みなのだ。そして明日で前半が終わる。
しばしの休暇を俺は漫画に費やすことにした。慣れないペンで大きな原稿用紙に絵を描くのはすごく難しそうだ。練習あるのみだろう。
そんなことを考えながら文化祭準備をしていると松来が、これ重いから手伝って、と声をかけてきた。その両手には大きなゴミ袋が。
渡辺に頼んで二人で捨てに行けばいいのにと思いつつ、渋々ゴミ袋を一つ受け取る。教室を出てしばらく経ってから、松来は口を開いた。
「あのさぁ、菜乃花のことなんだけど」
「え、渡辺のことじゃないのか?」
「ちょっ! 名前出すとか馬鹿なんじゃないの? もうほんっとうに最低」
さっそく機嫌が悪くなってしまった。松来は大きくため息をついて、こちらを睨んだ。
「わ、悪い」
「……菜乃花のことなんだけど! あの子さぁ、あんたに結構気ぃ許してるじゃん?」
「そ、そうか……?」
「そうだよ! あんたに対しては菜乃花すごくリラックスしてる感じするもん。あんた何したの?」
特に何かしたわけではないので返答に困ってしまう。ただ仲の良い友達なだけだ。
「な、何もしてない」
「嘘! 私らのがずっと仲良いのにおかしいもん!」
「それ、黄瀬に直接言ってやれよ。喜ぶと思う」
「はぁ? もうほんっと使えない」
松来はぷんぷん怒って先をずんずん歩いて行ってしまった。どうやら俺は松来の機嫌をかなり損ねてしまったらしい。
でも、松来は思っていたより良い奴だとわかった。友達思いで、黄瀬のことをよくみている。
松来とはそのまま別行動となり、俺は彼女よりだいぶ遅れて教室に戻った。すると教室内は片付けモードに入っていて、俺は慌てて作業途中だった道具をしまった。解散後、真っ直ぐに家に帰る。
緑青と決めたのだ。
原稿用紙を学校に持ってくるのは控えたほうがいい。作業は基本的に俺が家でやること。
これには理由がある。原稿用紙の大きさだ。俺の買ったプロも使う投稿用の原稿用紙はB4サイズ。通学用の鞄に入らないし個人用のロッカーにも入らない。
次にインク。墨汁で代用可能だと言うので墨汁を使うにしても国語資料準備室で万が一こぼしたら取り返しのつかないことになる。大切なプリントや参考書、タブレットを危険に晒すわけにはいかない。
そしてなにより机が小さすぎるのだ。狭い国語資料準備室には職員用のものを除けば木の机が二つしかない。そこにやれペンだのインクだの大きな原稿用紙だのを置いたら大変だ。腕の置き場がなくなる。
よって作業は俺の自室で行うことに決定。俺の机は高校入学時に新調した割と大きめの机で、原稿用紙を回転させても問題がない。まぁ、妥当な判断だと思う。
だから、俺が見せたい時に部屋に呼んでほしいと緑青に言われた。
できることなら、びっくりさせたい。緑青は今まで俺の落書きしか見ていない。でも、今度は違う。何重もある迷い線ではなく、一本のはっきりとした線で描く。可能な限り丁寧に。話はもうすでに知られているから、今度は絵で驚かせたい。
俺は気合を入れて、原稿用紙の封を破った。
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